0298.この先の心配
摘みたての薬草が、爽やかな芳香を放って清々しい。パンク修理中、荷台の扉を開放したお陰で空気が入れ換わり、息苦しさが減った。
薬師アウェッラーナのコートと、工員クルィーロのマントには、【耐寒】と【耐暑】、【魔除け】と【耐衝撃】の最下級の術が施され、暑くはない。
他のみんなは普通の冬物衣料だ。コートとセーターを脱いでマフラーを外し、厚手の袖を捲るが、それでも暑いだろう。
少年兵モーフは、ファーキルにもらったトレーナーを脱いで鞄に仕舞い、元のボロ着に戻った。
……いつまでこんな生活が続くかわからないし、交換品で夏物の服をもらわないと、熱中症になっちゃう。
途中から加わったアミエーラは針子だが、服は型紙がなければ作れないと言う。しかも、手作業だ。彼女一人で九人分の服を縫えと言うのは、あまりにも酷だ。
次のプラーム市では、魔法薬の対価に「着られる大きさの夏服」を要求しようと心に決める。
ドーシチ市の商業組合長から、製薬の報酬にたくさんの物をもらったが、服は一着もなかった。
どれも役に立つ有難い品ばかりで、文句を言ってはいけない。
ラクリマリス人の彼らはきっと、移動販売店見落とされた者の一行が、魔法の服を着られないなど、思いも寄らなかったのだろう。
この国は、魔法文明に重きを置く両輪の国だ。あの雑貨屋が言った通り、魔道具ではない品を用意するのは、難しいのかもしれない。
……あ、でも、交換でくれたのは、普通のお鍋?
もしかすると、先にプラヴィーク市へ逃れた難民が、食べ物か何かと引換えに置いて行った品かもしれない。
武器職人の親方の話では、フラクシヌス教団などの働きで、難民たちは安全な場所へ行けたらしいが、移動販売店プラエテルミッサの一行は完全に出遅れた。
……難民。
薬師アウェッラーナは、生き別れになった家族を思った。
あの日、いつもは父に付添う姉の姿が、病室になかった。テロ当時、イレックスはどこで何をし、今は無事なのか。
兄たちはラキュス湖で操業中だった。魔道機船だから、ネーニア島東部水域の魔物にはやられない。どこか安全な港や湖上でテロと空襲をやり過ごしたとして、その後どうなのか。
ネモラリス島か、すぐ南のラクリマリス領の港に避難できたのか。
自分や姉を捜しにゼルノー市のグリャージ港や母港のゾーラタ港に戻ったら、テロリストの置き土産で魔力を奪われ、魔物に沈められたかもしれない。
マスリーナ港で、あの巨大な魔獣に襲われたかもしれない。
暗い考えがどんどん心を重くする。
……ダメよ。余計なコト考えちゃ。
王都ラクリマリスは、大勢のネモラリス難民が経由した。神殿で尋ねれば、何かわかるかもしれない。何度も自分に言い聞かせて顔を上げる。
……することがなくなったから、余計なコトを考えるのよ。
鞄を漁り、ゼルノー市の図書館で取り急ぎまとめたメモを引っ張り出す。
普段使わない【浮遊落下】などの術も書き留めてあった。
……今は【魔力の水晶】がたくさんあるし、作用力を補う上等なのも幾つかあるから、店長さんたちにもっと呪文を覚えてもらおうかな。
次は誰に何を覚えてもらおうか、しばし考える。
アウェッラーナは、薬師候補生への手解きで、教える楽しさに目覚めた。
道具に頼ってでも魔法が使えれば、使えない場合と大きな差が出る。
この先、別れの日は必ず来る。
この知識がきっと、力なき民の彼らを守るだろう。
……キルクルス教徒に無理して教えようとは思わないけど。
そう言えば、針子のアミエーラはあれ以来、何も言ってこない。まだ迷うのか、それとも、信仰に生きると決めたのか。
今の彼女は、少年兵モーフが編んだ籠の把手に細長い端切れを巻いて補強する。
……まぁ、いいか。ネモラリス島に着いてからのハナシよね。
そこから更にネーニア島北部へ渡っても、政府の立入制限が解除されなければ、ゼルノー市にもリストヴァー自治区にも戻れない。
急いで決める必要はないし、アミエーラの人生は彼女自身のものだ。
アウェッラーナが急かすことではなかった。
生活費を稼ぐのは、問題ないだろう。縫製技術がある。働き口は仕立屋か工場ですぐ見つかる筈だ。
キルクルス教徒だと知られなければ、アミエーラはどこでだって生きてゆける。「作用力がなくて魔法を使えない」と言えば、誰も怪しまない。本人がイヤでなければ、【魔力の水晶】に魔力を補充するアルバイトだってできる。
ソルニャーク隊長たちも、今は復興特需で仕事にあぶれないだろう。
特にトラックを運転できるメドヴェージは、引く手数多だ。少年兵モーフは力が強いから、多分、工事現場で下働きとして雇ってもらえるだろう。
レノ店長たち兄妹は、製パン、製菓の技術があり、力ある民のクルィーロは元工員だ。何か技術があるのだろう。さっきも、タイヤ交換を手際よく手伝った。
一番心配なのは、高校生のロークだ。
この間、レノ店長に「一度もアルバイトをしたことがない」と話すのが耳に入った。商業高校生だそうだが、卒業前では、会計事務所も会社の経理部門も雇わないだろう。
自治区民のように蔓草細工も巧くない。最近やっと、鍋敷きを拵えられるようになったが、まだ一枚も売れなかった。
薬作りの手伝いは手際よくしてくれたが、子供でもできる簡単な作業ばかりだ。製薬会社が雇う仕事ではない。
……まぁ、私が一生ずっと見守るワケにはゆかないし、あのコが自分でなんとかするしかないのよね。
「何だありゃッ?」
メドヴェージの叫びで、アウェッラーナは現実に引き戻された。




