0030.状況を読む力◇
小学校の裏手は、人が少なかった。
もっと西を目指す避難者が、坂を駆け上がって行く。
「お兄ちゃん! 手、離して! 自分で走る!」
「私も!」
二人に言われ、クルィーロが手を離す。
身軽な小学生二人は、荷物を持った成人男性のクルィーロより早かった。
「西へ、西へ走れッ! 人が少ない方に! 遠回りになってもいい、迷子になるなよ!」
後ろ姿に声を掛け、二人を追い掛ける。
妹たちは振り向かずに頷き、走り続けた。
中学の手前を走る幹線道路は、避難の車で大渋滞だ。
停電で信号が消えたのも一因で、のろのろ歩くようにしか流れない。
「轢かれないように俺と手を繋いで渡るんだ」
三人は、罵声とクラクションを浴びせられながら、渋滞の中を突っ切る。
黒煙がすぐ後ろに迫り、構う余裕などなかった。
三人に倣って、他の歩行者も渡り始め、渋滞が更に進まなくなる。
中学も、小学校と同様だった。
こちらの校庭には軍用車ではなく、パトカーが一台。他は全て、住民や保護者の自家用車だ。
「お姉ちゃん……二年三組……!」
息切れしたレノの末妹エランティスが、苦しそうに絞り出す。
校庭を横切って校舎に入った。小学校より広いからか、廊下の人は少ない。教室までは楽に行けた。
二年三組では、男性教師たちと保護者数名が言い争っていた。
「もう、すぐそこまで来てるんだ! 娘は連れて行く!」
「他の生徒と不公平になります」
「不公平もへったくれもあるか!」
「ここは避難所として、近隣の皆さまに解放しています。ここに留まる方が安全です」
「警察も来ました。お父さん、落ち着いて下さい。生徒たちが動揺するといけませんので」
「パトカー一台でどうするんだ!」
「エリス! 行くぞッ!」
保護者の一人が娘の肩を抱き、連れ出そうとする。
教師の一人が戸口に立ち塞がり、それを阻止した。
「邪魔だッ!」
「落ち着いて下さい」
生徒たちが、大人たちの遣り取りを不安な眼差しで見守る。鞄を抱え、半ば腰を浮かせる生徒も居た。
窓の外へチラチラ目を遣り、絶望の色を浮かべる生徒も多い。
「お姉ちゃん!」
エランティスの叫びで、姉のピナティフィダが鞄を抱えて駆け寄る。
「おい! 座れッ!」
教師に一喝され、肩をびくりと震わせて立ち止まった。
「先生、そんな場合じゃありません! これ、フツーの火事じゃなくて、テロで放火されてるんです! テロリストの集団は、爆弾と銃で人を殺しながら、もう、すぐそこまで来てるんです!」
クルィーロの切迫した説明にも、教師は首を横に振った。
「今、魔法使いの先生方が消火なさっている。ここに留まった方が安全なんだ」
「ここに来るまでの間、防火水槽の水を起ち上げた途端、射殺されるのを何回も見て来たんだ!」
クルィーロは落ち着き払った年配の教師に怒鳴り返し、生徒たちに向き直った。
「おいッ! みんな、魔法使える子は知ってる限り、西へ跳べ! 湖の方はもうダメだ!」
ツナギ姿の青年が叫ぶと、保護者が戸口の教師を強引に押し退け、我が子を連れて出て行った。
硬直が解けたピナティフィダが、妹に駆け寄る。
「待てッ! 外は危険だ!」
「先生には守る力も戦う力もないんだろッ! だったら、せめて逃がしてやれ! このままグズグズしてたら、皆殺しにされるんだよッ!」
クルィーロはそれだけ言うと、教師を突き飛ばし、ピナティフィダを連れて廊下を走った。
生徒の半数も、教師の制止を振り切って教室を飛び出す。
クルィーロたちは、廊下を走りながら叫んだ。
「逃げろ! ここも時間の問題だ!」
「逃げてーッ! 西へ逃げてーッ!」
「ただの火事じゃないの!」
「テロリストが来た! 逃げろーッ!」
窓の外の光景が、叫びの正しさを裏付ける。
廊下の保護者が教室に駆け込み、声を聞きつけた生徒たちが廊下に出て来た。
クルィーロたち四人は裏門を走り抜けた。
学校の敷地を出てすぐ、数人の生徒が立ち止まって【跳躍】の呪文を唱える。結びの言葉を唱えた途端、その姿がいずこかへ消えた。
「お兄ちゃんは、あれ、できないの?」
アマナが走りながら聞く。
「すまん。俺、呪文を覚えてないんだ」
「でも、助けに来てくれてありがとう」
ピナティフィダが、エランティスと手を繋いで走りながら礼を言った。力なき民の生徒たちが、四人の後について走る。
……この判断が間違ってたなら、後で、先生に怒られればいい。
叱られる可能性が低いことを薄々感じながら、ピナティフィダは走った。
眼の前の出来事を見誤った先生や、先生の言葉を信じた級友を見捨てて逃げる。
その後ろめたさを振り切るように、妹の手を引き、力の限り走った。
★第一章 あらすじ
二月一日のできごと。
薬師アウェッラーナはいつも通り、アガート病院へ出勤する。
ラジオの報道「ゼルノー市南東部、リストヴァー自治区に隣接するグリャージ区で、複数の火災が発生。自治区の住民が武装蜂起」
報道通り、キルクルス教徒の「星の道義勇軍」が、ゼルノー市を襲撃していた。
テロリストの攻撃が、ゼルノー市立中央市民病院に迫る。
パン屋の青年レノは、避難する人の群に巻き込まれ、両親や親友のクルィーロとはぐれる。
魔装兵ルベルは、治安部隊としてゼルノー市でのテロ鎮圧作戦に派遣された。
リストヴァー自治区出身のラクエウス議員は、議会で今回のテロについて糾弾される。
自治区民のアミエーラは単なる火災だと思い、父と二人で明日の予定を立てる。
クルィーロは、妹たちを救出する為、知っている限りの魔法を駆使して小学校と中学校に向かった。
※ 登場人物紹介の一行目は呼称。
用語と地名は「野茨の環シリーズ 設定資料」でご確認ください。
【思考する梟】などの術の系統の説明は、「野茨の環シリーズ 設定資料」の「用語解説07.学派」にあります。
★登場人物紹介
◆湖の民の薬師 アウェッラーナ 呼称は「榛」の意。
湖の民。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。
隔世遺伝で一族では唯一の長命人種。外見は十五~十六歳の少女(半世紀の内乱中に生まれ、実年齢は五十八歳)
実家はネーニア島中部の国境付近の街、ゼルノー市ジェリェーゾ区で漁業を営む。父と姉、兄、甥姪など、身内で支え合って暮らす。
ゼルノー市ミエーチ区にあるアガート病院に勤務する薬師。
魔法使い。使える術の系統は、【思考する梟】【青き片翼】【漁る伽藍鳥】【霊性の鳩】
真名は「ビィエーラヤ・オレーホヴカ・リスノーイ・アレーフ」
◆パン屋の青年 レノ
力なき陸の民。フラクシヌス教徒。十九歳。濃い茶色の髪の青年。
ネーニア島のゼルノー市スカラー区にあるパン屋「椿屋」の長男。
両親と妹二人の五人家族。パン屋の修行中。
レノは、髪の色と足が速いことからついた呼称。「馴鹿」の意。
◆工員 クルィーロ 呼称は「翼」の意。
力ある陸の民。フラクシヌス教徒。工場勤務の青年。二十歳。金髪。
パン屋の息子レノの幼馴染で親友。ゼルノー市スカラー区在住。
両親と妹のアマナとの四人家族。
隔世遺伝で、家族の中で一人だけ魔力がある。魔法使いだが、修行はサボっていた。使える術の系統は、【霊性の鳩】が少しだけ。
◆お針子 アミエーラ
陸の民。キルクルス教徒。十九歳の女性。金髪。青い瞳。仕立屋のお針子。
リストヴァー自治区のバラック地帯在住。工員の父親と二人暮らし。
◆少年兵 モーフ 呼称は「苔」の意。
力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の少年兵。十五~十六歳くらい。
リストヴァー自治区のバラック地帯出身。
◆隊長 ソルニャーク 呼称は「雑草」の意。
力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の一部隊の隊長。モーフたちの上官。おっさん。
◆元トラック運転手 メドヴェージ 呼称は「熊」の意。
力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の一兵士。おっさん。
リストヴァー自治区のバラック地帯出身。
以前はトラック運転手として、自治区と隣接するゼルノー市グリャージ区の工場を往復していた。仕事で大怪我をして、ゼルノー市ジェリェーゾ区にある中央市民病院に入院したことがある。
◆市民病院の呪医
湖の民の男性。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。
ゼルノー市立中央市民病院に勤務する唯一の呪医。
【青き片翼】学派の術を修め、主に外科領域の治療を担当。
◆葬儀屋
湖の民の男性。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。
【導く白蝶】学派の術を修めた葬儀屋。
商売柄、服には【魔除け】や【退魔】などの呪文を刺繍してある。
自前の魔力が尽きない限り、この服を着ている間は常時、それらの術が葬儀屋を守る。
◆ラクエウス議員
リストヴァー自治区選出の国会議員。
自治区の生活向上の為に命懸けで尽力する老議員。




