0294.弱者救済事業
翌朝早く、クフシーンカは弟の支持者二人を連れ、東地区の教会へ足を運んだ。
真新しい歩道には、塩害に強いウバメガシが植樹された。若木だが、秋になればドングリを食べられるだろう。緑化と食糧調達。一石二鳥の樹種だ。
「この木、無事に育つといいですね」
「そうねぇ」
黒髪の新聞屋に言われ、クフシーンカが頷く。新聞屋の妻も首を縦に振り、胸の前で抱えたクッションが大きく揺れた。
ウバメガシは、フラクシヌス教の主神「樫」の一族だ。星の標の団員に伐られるかもしれない。
再建したばかりの教会が朝日に輝き、敬虔な人々がぞろぞろ出て来るのが遠目に見える。朝の礼拝が終わってしまった。
……年寄りの足じゃあねぇ。
クフシーンカは自嘲し、杖を頼りに先を急いだ。若い支持者たちは、そんな老婆の足に合わせて歩いてくれる。
ウバメガシは、教会の前の道にも植わるが、今のところ無事だ。
三人が教会に入ると、聖職者と乳児連れの若い母親だけが残っていた。
「おはようございます。司祭様」
「おはようございます。店長さん、お久し振りです」
二人が当たり障りない挨拶を交わす傍らで、若い母親が居心地悪そうにする。
「お話の邪魔をして、ごめんなさいね。でも、あなたにも関係あることだから堪忍してね」
「あたしも、ですか?」
司祭も小さく頷いてみせる。
思いがけず、司祭と旧知の老婆にやさしく声を掛けられ、若い母親は怪訝な顔をした。
「実は、教会の掲示板に求人広告を貼らせて欲しいんです。不躾なお願いだとは存じておりますが、誰でもいいワケではございませんので」
「成程。アミエーラのように敬虔で、心正しい人材をお求めですか」
司祭が深く顎を引き、そのまま俯く。
針子のアミエーラは、日曜毎に父と二人で教会へ足を運び、清掃奉仕などにも参加した。その父娘があの大火以来、一度も姿を見せない。
仕立屋の店長クフシーンカは、アミエーラは無事だと伝えたくなったが、思い留まった。言ったところで、二度と会えないことに変わりはない。密かに自治区から出したと知れれば、クフシーンカが咎められる。
飲み込んだ言葉の代わりに、用件を伝える。
「お針子は二人。あの子と同じくらい心正しい女性を。もう一件、箒作りのお仕事も、お願いしたいんですけど」
「箒、ですか?」
「はい。材料の一部はお持ちしました。ここに置いていただきたいのですが」
新聞屋が、抱えていた麻袋を上げてみせる。
クフシーンカが補足した。
「箒のお仕事は、事情があって働きに出られない方々にお願いしたいんです」
「そう言うことですか。喜んでお手伝いさせていただきます」
職にあぶれた弱い人々の救済事業だと気付き、司祭が満面に笑みを湛えて歓迎する。
若い母親が不安な面持ちで三人を見た。
クフシーンカは母親に微笑んでみせ、仕事内容を語る。
箒の見本、柄にする棒、穂を束ねる麻紐と鋏はここへ置く。
作り方は、週一回、日曜礼拝が終わってから昼食までの間、新聞屋の夫婦が指導に来る。仕事に参加する者は、シーニー緑地で素材の草を集め、箒作りの作業に取り掛かる。
作り方を覚え、麻紐を切って持ち出せば、自宅でも緑地でも、都合のいい時間と場所で作業できる。
教会には、誰が何本作ったか記録してもらい、完成品を預かってもらう。
「報酬は、完成品を引き取る時に服や食べ物をお持ちします」
「成程……どうですか? 乳飲み子を抱えて針子の修行は無理でしょうが、箒作りなら、この子が眠っている間に何とかできそうですよ」
司祭が若い母親に声を掛ける。
泣き疲れてぐったりした赤子から顔を上げ、母親は司祭を見た。
まだ、十代後半だろうか。幼さの残る顔には疲れの色が深く、眼の下には隈が濃い。青白い頬に髪が一筋貼り付き、やつれた顔を一層みすぼらしく見せた。
「あのー、司祭様。もし、教会のお部屋を貸していただけるんでしたら、作業の間だけ、私が小さい子をお預かりできるんですけど」
「成程。集会室をひとつ使えば……しかし」
司祭は、新聞屋の妻の申し出に頷いたものの、その先を言い澱んだ。実際、どのくらい人が集まるか予想がつかない。割のいい仕事に人が殺到すれば、収拾がつかなくなってしまうだろう。
「込み入った話ですから、奥へどうぞ。……ウィオラさんはお好きなだけ、ここに居ていいですからね。遠慮しないで下さい」
「はい、有難うございます。司祭様」
司祭は若い母親ウィオラへ慈愛に満ちた眼差しを向け、三人を奥の応接室に案内した。
言問い顔の新聞屋夫婦に口止めし、司祭は彼女の事情を語った。
「あの子は、気の毒な境遇なのです」
中学に上がった頃から、彼女の両親は娘に客を取らせた。
あの大火の日も、工場敷地内の社員寮に出張中だった。あの夜以来、彼女の両親は行方不明。生存の見込みはない。
彼女を買った男は気の毒がり、しばらくは寮に置いたが、腹の膨みに気付くと追い出した。
そして先月、たった一人でどこの誰の子とも知れない赤子を産んだ。
仮設住宅には入居できたが、隣人に毎日「泣き声がうるさい」と怒鳴られた。乳の出が悪く、赤子は日に日に弱ってゆく。
隣人は、夜勤専従で工場に雇われたが、家賃を浮かせる為に寮やアパートへ移らず、仮設に居座った。
母子は日中、シーニー緑地や教会で過ごす。
「父親はわからなくても、あの子にとっては、たった一人の肉親ですからね。なんとか二人とも助けてあげたいのですが」
大火以前から、リストヴァー自治区の東部バラック地帯では、よくある話だ。
誰も養育できない子は、信者団体が里親を募ったが、今は孤児が多く、生き残った人々にも余力がない。団地や農村地区の富裕層とて、全く影響を受けずに済んだワケではないのだ。
「こう言う人たちこそ、助けてあげたいんですけどね」
新聞屋が涙ぐみながら言う。妻はハンカチで顔を覆った。
クフシーンカも胸が痛んだが、この歳では乳飲み子の母親にはなれない。
「できることを、できるだけしか、できませんものね」
仕立屋の店長クフシーンカはそう言って、針子の求人の話を進めた。




