0293.テロの実行者
新道から南岸の都市へ向かう脇道が草原を通り、窓から吹き込む風が涼しい。移動販売店見落とされた者のトラックは、牛や羊が放牧される牧草地を通過した。
ここでも、角を曲がって現れる車はなかった。
荷台のみんなは呪文を練習する。
ドーシチ市の屋敷でもらった【魔力の水晶】には、ファーキルの私物と同じ作用力を補う効果を持つ物も幾つかあった。これを握って呪文を正確に唱えれば、力なき民でも魔法を使える。
術を構成する力ある言葉は、自然言語にはない発音が多く、一朝一夕に習得できるものではなかった。
今は一人ひとつずつ、別々の呪文を覚えようと頑張る。
ロークは、ファーキルが教えた【不可視の盾】、薬師アウェッラーナの教えで、レノ店長は【魔除け】、ピナティフィダは【簡易結界】、エランティスは【灯】、アマナは兄のクルィーロから【退魔】を教わって繰り返し唱える。
流石に、キルクルス教徒たちは呪文を覚えたくないらしい。
……でも、練習の邪魔しないだけ、大人だよなぁ。
ファーキルは、信仰の為に生命を守る手段を放棄するなど、バカな話だと思う。だが、キルクルス教国となったアーテル共和国では、それが常識として人々の間に浸透し、強制される。
一部の「不信心な金持ち」は、魔物が出る度にランテルナ島の駆除屋を雇うが、雇う者も雇われる者も、卑しいと蔑まれ、白い眼で見られた。
大切な人を魔物から守ることの何が、どう、卑しいのか。
信仰に殉じ、魔物の餌になることのどこが、高潔なのか。
アーテルでは、大切な人を見捨てて自分一人助かるなんてことは日常茶飯事で、その部分がニュースで語られることはない。報じられるのは、魔物の出現場所と数と姿、被害者数。それだけだ。
ランテルナ島の魔法使いたちは、どんなに蔑まれても、何も言わずに魔物駆除の仕事をこなす。アーテル本土に来ても暴動を起こさず、命懸けで戦った後はすぐ島へ帰る。
高額のカネが動くとの噂はあるが、正確なところは当事者にしかわからない。
……そう言えば、南ヴィエートフィ大橋にも、魔法の防護が掛かってんのに普通に使ってるよな。
制限こそあるが、ランテルナ島民でも一応、バスでアーテル本土と往来できる。
ランテルナ島へ渡るキルクルス教徒は少ないが、プラエテルミッサのみんなから聞いたリストヴァー自治区のように閉じ込められるワケではない。
……そりゃ、魔法使いを完全に出入り禁止にするなんてムリだけど。
戦う力があっても暴動を起こさないのは、そう言う事情もあるかもしれない。
ファーキルが見た限り、ランテルナ島民の暮らしは豊かに思えた。
リストヴァー自治区は貧富の差が大きいのだろう。
針子のアミエーラは、富裕層に雇われて高収入なのか、いい服を着て、物をいっぱいに詰めたリュックを持つ。
少年兵モーフはボロを着て、食事にもありつけない日が多かったのか、野良猫のような食べ方で屋敷の使用人たちから失笑を買った。
学校もロクに行けなかったらしい。歳が幾つか知らないが、栄養失調で小柄なだけで、ファーキルと同じくらいか、もしかすると年上かもしれない。
屋敷で栄養のあるものをたっぷり食べて肌艶がよくなり、貧相だった身体が少し健康的になった。
ソルニャーク隊長とメドヴェージもそうだ。
二人はもう少しマシな生活だったのか、モーフ程ではないが、それでも屋敷に来た前と後では、明らかにいい方に変わった。
ファーキルは、隣でトラックのハンドルを操るメドヴェージを見た。
前方に森が迫る。ここが一番の難所だ。地図では、森を表す濃い緑がプラーム市の少し手前まで続き、モースト市への脇道は南にも伸びた森の中を通る。
「坊や、さっきのは……」
「さっきの? あぁ【退魔】も【魔除け】も、まだ効果が続いてますよ」
「そうか」
メドヴェージの声には安堵の色がある。キルクルス教徒のテロリストなのに、魔法で守られることに抵抗がないらしい。それどころか、さっきはファーキルに術の使用を頼んだ。
……星の標みたいな原理主義者ってワケじゃないのかな?
キルクルス教の原理主義組織「星の標」の悪いニュースなら、アーテルの実家に居る頃、検閲を突破したネットのニュースで散々見た。
テロの標的が魔法使いなので、アーテル政府はロクに取締まらない。国営放送や新聞は、それがテロ攻撃だと報じない。全て「事故」として片付けられ、時には魔力の暴走として、被害者の魔法使いが悪者にされる。
時折、わざわざランテルナ島まで乗り込んで自爆テロを行う団員さえ居た。
「三界の魔物の惨禍を二度と起こさぬ為、悪しき業を行う者は、根絶やしにせねばならない」
「聖者キルクルス・ラクテウスの叡智の光によって、悪しき者と邪悪な魔物を退けよ」
「星々の示す道を踏み外さぬように」
休日には、人通りの多い街の広場で、星の標の演説する姿が必ず見られた。
アーテルの人々は、それを当たり前の光景として受け容れる。忙しい人はそのまま通り過ぎ、そうでない人は足を止めて耳を傾けた。
誰も、星の標に野次を飛ばしたりしない。
ファーキルの両親は、星の標の団員ではないが、演説に拍手を送った。
「お父さん、お母さん、早く行こうよ」
「こらっ、今、あのおじさんたちが大事なお話してるんだから、ちゃんと聞きなさい」
「ふふっ。坊や、まだ小さいもの。大人のお話は難しくて退屈よね?」
幼い頃、家族揃ってデパートへ行く途中、演説に足を止められた。
母の手を引いたが、唇に人差し指を当ててシーッと言われ、父には叱られた。
人垣を縫ってビラ配りする女性団員が、ファーキルの頭をやさしく撫でて、笑顔で取り成した。
その人は数日後、テレビのニュースに出た。
爆弾を満載した自動車でランテルナ島内の建物に突っ込んだと言う。珍しく、星の標が犯行声明を出し、自分たちが撮った映像を国営放送に提供して、放映させたのだ。
出発前の宣言から突入まで、一連の攻撃の要約が夕飯時の家庭に流れた。
当時のファーキルは幼く、宣言の内容が難しくてわからない。あの女の人がどうなったのか、何故そんなことをしたのか、事情も飲み込めなかった。ただ、数日前に出会ったばかりの人が、テレビに出たことだけが記憶に残った。
何年も経って、ふと思い出し、星の標のサイトで詳細を知った。
殉教者リストが作られ、誇らしげに「戦果」やその団員の活動履歴が並ぶ。
あの自爆テロの死者は彼女一人。
車は商業ビルの扉を破って突入したが、建物本体は術で守られて無事。中の人々も、服に掛かった各種防護魔法のお陰で、少し負傷しただけで済んだ。それも、駆け付けた呪医の癒しの魔法で瞬く間に癒やされた。
彼女だけが即死だったが、星の標はそれも、彼女は魔法使いたちに悪しき業で殺されたと喧伝する。
「炎に巻かれて死なない人間が居るでしょうか?」
「魔法使いは魔物と同じ。魔術によらぬ炎では、傷ひとつ負わぬのです」
「心正しき無原罪の彼女は、その事実を見事に証明してみせ、聖者様の許へ召されました」
戦果報告のページが、彼女の死を美化する言葉で飾られる。
あの日、手渡されたビラは、彼女が作った物だった。
添えられたビラの画像には「悪しき者たちを焼き払う力を下さい」と、火薬や燃料の購入資金を募る言葉が並ぶ。
メドヴェージたちとは、テロの目的が根本的に違う。
……まぁ、生活苦しいからって、ヤケになってテロ起こしてもいいワケじゃないけどさ。でも。
ソルニャーク隊長たち、星の道義勇軍のテロは、ネモラリス政府が防ごうと思えば、防げた筈なのだ。自治区の生活を向上させ、モーフのような極度の貧困に喘ぐ人々をもっと助けていれば、ヤケになる人は極少数で、普通に犯罪者として取締まれただろう。
ファーキルは、どう見ても人殺しなんかしそうにないメドヴェージの横顔から目を逸らし、森に突入する新道の先を見据えた。




