0292.術を教える者
翌日もよく晴れた。これなら、日の当たる場所を通る分には安心だ。
ファーキルは昨日、ネットで検索した情報を恰も見て来たかのように語った。
グロム市民だと偽った以上、ボロを出さないよう細心の注意を払わなければならない。
助手席に座り、日当たりのいい場所にタブレット端末と充電器を置いた。この先もっと暑くなれば、トラックのダッシュボードには置けなくなる。
「坊やは、この新しくできた道、通ったことねぇのか?」
「はい。あの、親が知ってるとこには魔法で跳んでくれたんで……乗り物自体、あんまり乗ったことないんです」
メドヴェージの質問にすらすら澱みなく嘘が出る。
「そうか。そりゃまた……今更だけどよ、車酔い、大丈夫か?」
「はい。最初の頃はちょっとキツかったけど、慣れました」
「そっか。もうすぐ地元へ帰れるからな。もうちょっとの辛抱だ」
眼は前を向いたままだが、運転手の声には嘘偽りない真心のぬくもりが滲む。
キルクルス教徒の運転手は、小さく溜め息を吐いただけで、何も言わずにそっとしてくれた。「ラクリマリス人の少年」の無言を故郷に帰っても、もう家族が居ないのを悲しむからだと解釈したのだろう。
ファーキルは、嘘に塗れた自分に心の底からのやさしさを向けられ、胸が詰まった。
アウセラートルが言った通り、対向車は滅多にない。ラクリマリス王国は魔法文明寄りで、車の保有台数が少ないせいだ。
道の両脇には、腰くらいの高さの石碑が等間隔で並ぶ。これが【魔除け】なのだろう。車で通過する力ある民から、どの程度の魔力が供給できるか疑問だ。
アウェッラーナとクルィーロなら、何か感じるのだろうか。
道の両脇は牧草地で、北側はクブルム山脈まで森が続く。
ネット情報によると、ネーニア島南岸の四都市は、モースト市を除いてほぼ復興したらしい。まっすぐプラーム市を目指すと決まった為、廃墟のままだろうと、移動販売店見落とされた者の一行には関係ない。
ファーキルは、プリペイド残高の方が気掛かりだ。
容量の大きい動画ファイルを幾つも送信した為、データ通信料が高くついた。節約すれば、一カ月は何とかなりそうだが、心許ない。
……でも、ここじゃ、カードを補充できないしなぁ。
携帯会社のプリペイドカードを購入し、その番号を専用サイトで登録すると、購入金額と同じ利用料が入金される。
ラクリマリス王国領では、アーテル共和国の携帯会社の料金カードを入手できる筈がなかった。
……ネットには接続できなくなるけど、充電できれば記録はできるし、音楽の再生もできるし、何とかなるか。
グロム市の情報なら、ダウンロードして保存した。暗記して、グロム市まではギリギリ一緒に行ける。だが、ボロを出してアーテル人だとバレたら、最悪、命がないかもしれない。
接続料が払えなくなる前にプラーム市で別れた方が安全だろう。頭ではわかっても、ファーキルはプラエテルミッサの一行と別れ難かった。
……できれば、無事にクレーヴェル行きの船に乗るのを見届けたいけど……流石にそれはムリだよな。
荷台から、薬師アウェッラーナが、レノ店長たちに【魔除け】の呪文を教える声が聞こえる。呪符などの道具は、発音が多少あやふやでも術を発動できるからだ。
魔力のない者には、それを使う作用力もない。
作用力のない者でも特定の術を使えるようにするのが、呪符やファーキルとロークがもらった手袋のような補助具だ。
呪符は、籠められた魔力を呪文の詠唱で消費し、記された術を発動する。
ファーキルたちの手袋は、【魔力の水晶】などで魔力を外部供給しながら呪文を唱えれば、組込まれた術を使えた。
呪符は使い捨て、補助具は繰り返し使えるが、魔力の供給源を別に用意しなければならない。一長一短だ。
ファーキルは今朝、ドーシチ市で手袋と一緒にもらった説明書を見ながら、ロークに【不可視の盾】の呪文を教えた。
力なき民で、キルクルス教徒だったアーテル人の自分が、自力では使えない呪文を異国の地で教える。客観視した自分の姿は底抜けに滑稽だ。
……両親が知ったら、ひっくり返るだろうな。
久し振りに家族を思い出したが、彼らの安否などもうどうでもよかった。ネモラリス人ゲリラの攻撃で、巻き添えにでもなればいいとさえ思う。
両親にとって「学校でいじめられた」など、厄介な問題を家に持ち込むファーキルは、邪魔な存在でしかなかった。それでも、成績はよかったから、一流大学に進学して一流企業に就職して、両親の老後を安泰にする為の道具として……将来の投資目的で飼われていたに過ぎない。
ロクに話も聞かず、問題の合理的な解決を図ることを面倒臭がり、理不尽な迫害から我が子を守らなかった。耐えることを強い、我が子を欠陥品扱いする。
親子間の愛情は、ただ血縁があるだけで自然発生するものではないと思い知らされ、ファーキルも、両親を見捨てた。
現在、行動を共にする移動販売店プラエテルミッサの一行は、二組の兄妹を除けば、他人の寄せ集めだ。それどころか、テロ集団「星の道義勇軍」まで居る。
ロークから大体の事情は教えてもらったが、ファーキルにはこの居心地の良さが不思議だった。成り行きで何となく一緒に居ると言うが、それだけなら、とっくに別れただろう。
彼らは、テロの被害者と加害者だ。
生き延びる為に互いを利用するだけなら、ファーキルの実家のように空気がギスギスする筈だ。暴力による支配もないのが、不思議でならない。
昨日の話し合いでは、キルクルス教徒の四人から一言も、手前のモースト市で別れる話が出なかった。
その理由なら、何となく想像がつく。
数日前、ドーシチ市の屋敷でニュースを調べ、リストヴァー自治区が急ピッチで復興中だと知った。アーテル領へ渡るより、魔道機船に乗って、フラクシヌス教の聖地を経由することに目を瞑ってでも、自治区への帰還を選んだのだろう。
屋敷で見せてもらった新聞や、ネットのニュースで見た写真は、彼らの目にも、そこがどこかわからないくらい変わったらしい。
本当に自治区の復興なのか、ネモラリス政府が別の地区の様子を「リストヴァー自治区の復興」として発表し、アーテルが宣戦布告した理由を潰して、停戦に持ち込もうするのか。
実際に見てみないことにはわからない。
……話し合い……小学生のアマナちゃんの発言も、みんなちゃんと聞いて、頭ごなしに黙らせたりしなかった。怖がりだってバカになんかしなかった。安心させて納得させてた。
アマナの兄クルィーロだけでなく、テロリストの筈のメドヴェージまで、小さな女の子を安心させようとやさしく接した。ファーキルの両親とは雲泥の差だ。
ファーキルは運転席のメドヴェージを見た。制限速度ギリギリでトラックを飛ばし、運転に集中する。真新しい道路は凹凸が少なく、トラックは快調に進んだ。
地図アプリで調べたところ、制限速度の上限で走り続ければ、昼食はプラーム市で食べられるらしい。
「さぁて、いよいよだ。坊や、頼んだぞ」
「はい!」
ファーキルは手袋を付けた右手で【魔力の水晶】を握った。前方には鬱蒼と茂る森が口を開ける。キルクルス教徒のメドヴェージから、魔法の使用を頼まれる状況に内心首を傾げつつ呪文を唱えた。
「撓らう灼熱の御手以て、焼き祓え、祓い清めよ。
大逵より来たる水の御手、洗い清めよ、祓い清めよ。
日々に降り積み、心に澱む塵芥、薙ぎ祓え、祓い清めよ。
夜々に降り積み、巷に澱む塵芥、洗い清めよ祓い清めよ。
太虚を往く風よ、日輪翳らす雲を薙ぎ、月を翳らす靄を祓え」
右手袋から淡い光が広がり、すぐに消えた。運転席の霊的な穢れが祓われ、場が清浄な気配で満たされる。荷台からも、レノ店長とクルィーロ、薬師アウェッラーナの詠唱が聞こえた。
「おっ、何か明るくなったな」
「はい。穢れを祓ったんで、雑妖とかは近付き難くなりました」
運転席は、バックミラーにぶら下がる【魔除け】の護符で守られる。護符の効果範囲を清めれば、【魔除け】の効果が高まる為、無駄ではない。
今日は天気が良く、道路に掛かる枝は払ってあった。暗い森に通る一条の光かと錯覚する。
最初の森を無事に抜け、ホッと息を吐く。何をした訳でもないのに肩が凝った。
脇道を示す標識が現れて速度を緩める。路傍のミラーに角を曲がって来る車の姿はなく、アクセルを踏んだ。




