0291.歌を広める者
「大きい国際機関は、ネモラリス難民専従じゃないし、すぐ近くの湖東地方でも長いこと民族紛争が続いてるから、寄付が丸ごともらえるワケじゃないけど、アミトスチグマ政府が用意してくれた難民キャンプは、今よりもうちょっと楽になるだろうな」
「そう言えば、難民キャンプは今、どうなっているのですか?」
「一応、屋根があって、爆弾が降って来ないとこで暮らせるけど、食糧が足りないんだ。一日一食だけど、今は取敢えず、毎日食えてる」
難民キャンプに収容されたネモラリス人だけでなく、地元民にも食品や医薬品の高騰、治安の面で不安が広がる。
フラクシヌス教団や民間の人権団体などが、可能な限り支援を行い、アミトスチグマ王国民と難民の軋轢解消に動くが、難民による盗難や、地元民による難民襲撃が散発した。
難民にも呪医と薬師、科学の医師と薬剤師は居るが、人数と医薬品や魔法薬の材料が足りず、キャンプ内で発生した集団感染に対応しきれなかった。
「この状態がいつまで続くか、誰にも予測がつけらんねぇってのも、イライラの原因なんだよな。今日はボランティアが例の曲を流して、キャンプに居るみんなの気持ちを和ませようとしてるってよ」
国民健康体操は、四十歳以上の旧ラキュス・ラクリマリス共和国民なら、知らない者が少ない。体操で身体を動かせば、少しはストレスを軽減できるだろう。
例の歌をアミトスチグマへ逃れた難民たちが歌い、ユアキャストに難民キャンプの映像を添えて「歌ってみた」カテゴリで投稿すれば、この戦争への人々の関心を維持する手段のひとつになる。
再生回数によっては、力なき民や子供でも、薬や食糧の購入資金を稼げる可能性さえあると言う。
「ま、あれだ。できるコトしかできねぇもん。ボランティアの手も借りて、何でもやってみなきゃな」
若い諜報員ラゾールニクは、その言葉で難民キャンプの現状報告を締め括った。
呪医セプテントリオーは、クルブニーカ市の薬師らと共にそちらの支援へ行った方がよかったかもしれないと思ったが、誰かが武闘派ゲリラを止めなければとの思いも強かった。
国際機関からの支援が増強されれば、持ち堪えられる日数が延びる。その間に何とか、終戦まではゆかずとも、せめて、停戦だけでも実現できないものか。
……我々庶民の力でどうにかなるものではないが、それでも。
セプテントリオーはふと気付いて、ラゾールニクに聞いた。
「回線が繋がっている限り、世界中どこでも……と言うことは、政府が通信制限を課すアーテルでは」
「うん。そうなんだ。肝心のアーテルには、全くこの歌が届かない」
諜報ゲリラは、先回りして答えた。
「だから俺、今日はダウンロードした歌のデータをアーテル領内でバラまいてきたんだ」
「そんなコトできんのか?」
葬儀屋アゴーニが緑の目を丸くする。諜報ゲリラは軽く肩を竦め、何でもないことのように言った。
「武闘派の活動のせいで俺もゲリラだってバレたからな。清掃会社バックレて、ネカフェ渡り歩いてんだ」
ラゾールニクは露草色の瞳を輝かせ、インターネットカフェがどんな店で、彼がどのようにしてセキュリティを突破するか語った。
開戦後、情報統制が厳しくなり、インターネットカフェでは身分証の提示が利用者に義務付けられた。
ラゾールニクは、支援者が用意してくれた偽造身分証を何種類も所持する。
顔写真は全て別人だ。それに合わせて【偽る郭公】学派の【化粧】の術で人相を変えた。
「科学の目で、顔だけ確認したってムダなんだよ。一応、指紋認証ってのもあるけど、コストが高くつくからな」
呪医セプテントリオーは、嘯いてせせら笑うラゾールニクをうすら寒い思いで見詰めた。
彼は、身元を偽って現地社会に溶け込む情報収集より、アーテル社会を欺き、監視を掻い潜って、敵国政府にとって不利な情報をバラまく方が性に合うらしい。
今、湖の民二人に見せるこの顔も、素顔ではないのかもしれない。
元の動画が載る動画投稿共有サイト「ユアキャスト」は、本社がアルトン・ガザ大陸のバルバツム連邦にあると言う。
アーテルからバルバツムのサイトは閲覧できないが、同様のサイトは国内に幾つもあった。
「サイバーポリスのパトロールにみつかったら速攻で消されるし、最悪、逮捕されるけど、手は二重三重……いや、もっと打ってあるからな。アーテル人の不満を煽って、戦争してる現政権を倒させてやる」
「お前さん、すごいコト思いつくもんだな」
葬儀屋アゴーニが感心する。諜報員ラゾールニクは苦笑した。
「俺じゃねぇんだ。諜報ゲリラ仲間や、支援者の偉い人が作戦立ててくれて、俺たちはそれに乗っかってるだけだ」
「その支援者の方と言うのは?」
諜報員ラゾールニクは、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「流石にそれは言えないな。ここは武闘派ゲリラの出入りが多いし。俺はあんたらだから、教えたんだ」
だから、二人で武闘派を止めて欲しいと含みを持たせ、腰を浮かす。
呪医と葬儀屋は、玄関まで諜報員を見送りに出た。
「ちょっと長居し過ぎたかな。来年、アーテルで国政選挙があるから、今の内にせいぜい現政権の悪評を広めて来らぁ」
諜報員ラゾールニクは、二人に手を振って【跳躍】の呪文を唱えた。
翌朝、呪医セプテントリオーは、いつもより早く起きて庭に出た。
初夏の庭園には、雑草が活き活きと蔓延り、そこかしこに緑の塊を作る。
別荘と外界を隔てる高い塀。内と外を繋ぐ門扉に手を掛けた。
微かな魔力を感じるが、この程度なら簡単に突破できる。
「我が前に横たわる道 我と道とを隔てる者よ
固く閉ざした塞の鍵 ゆるゆると ゆるみほどけて 今開け」
遠い昔、ラキュス・ラクリマリス王国の軍医だった頃に教わった。
人間だけでなく、知性の高い魔物も魔法を使う。術で閉じ込められないようにと騎士のひとりが教えてくれた【舞い降りる白鳥】学派の【解錠】の術だ。
ずっと使う機会はなかったが、忘れなかったことに自分でも驚く。騎士の呼称は思い出せないが、呪文と同時に彼のひょうきんな笑顔が朧げに浮かんだ。
頑丈な鉄扉が、軋みながら外へ向かって開いた。




