0290.平和を謳う声
鋭いホイッスルに続いて前奏が流れる。
「国民健康体操じゃねぇか!」
「あっ、やっぱ知ってます?」
葬儀屋アゴーニが懐かしさと驚きに声を上げ、諜報員ラゾールニクが笑顔を向ける。呪医セプテントリオーも、平和な時代の思い出にじっと耳を傾けた。
〈ネーニア ネモラリス フナリス ラキュスの島よ
ランテルナ アーテル 岸辺も元はひとつ……〉
主旋律に合わせ、全く知らない歌詞が流れる。三人は息を詰めて聞き入った。
〈心を鎮めて 湖畔に立って
新しい日々みつめ みんなと手をつなごう
平和な明日へ 思いを歌にして
みんなの強い願い 謳い続けようよ
勇気を与え はばたく歌ここに
平和な未来の 夢 叶う日まで〉
体操の趣旨とは無関係な詩だ。何カ所か主旋律とは音数が合わないが、子供にもわかりやすい言葉が連なる。
平和を謳い、戦争の終結を呼び掛ける詩だ。
曲が終わると同時に大きな吐息が漏れた。
「で、この歌がネット上で話題になってんだ。昨日、ユアキャストにUPされたばっかで百万再生越え! スゲェだろ? 湖南地方だけじゃなくて、SNS経由でバルバツムとかアルトン・ガザ大陸の国でも話題になってて」
興奮した声で一気に捲し立てられたが、湖の民のおっさん二人には、何が何やら全くわからない。取敢えず、理解できた部分の疑問を口にした。
「百万人に聴かれたと言うことですか?」
「なんでンなコトわかンだ? 野鳥の会みたいな奴がいちいち数えてンのか?」
諜報員ラゾールニクはもどかしげな顔で、ソーシャルネットワーキングサービスと動画投稿共有サイト「ユアキャスト」について簡単に説明した。
「で、交通量の調査みたいなカウンタがついてて、再生回数を画面の下に表示してるんだ。さっきここへ【跳躍】して来る前に見たら、百万回突破してた。同じ人が何回聞いても一回って数えられるから、回数と人数は一致しない」
葬儀屋アゴーニが感嘆の息を漏らす。
歌詞の意味を噛みしめ、呪医セプテントリオーは聞いた。
「誰が作詞して、どこの合唱団が歌ったのですか?」
「両方、ネモラリス人の難民らしいんだ」
「難民が、ですか?」
セプテントリオーは即座に疑問を発した。
少なくとも、この二人はつい先程まで、タブレット端末の存在を知らなかった。
ネモラリス共和国内では流通のない機器をどのように入手したのか。電波はどうなっているのか。
ラゾールニクは「当然だ」と頷いて答えた。
「三月頃に『真実を探す旅人』って名乗る奴が、SNSに北ザカート市の被害写真をUPしたんだ」
「なんだそりゃ?」
「葬儀屋さん、まぁ、聞いてくれよ。……んで、ザカート隧道で難民と合流。誰も報道しなかった場所の写真があるってんで、一気に拡散して、それにネット専門のマスコミが食いついて爆発的に広まって、今、『真実を探す旅人』のアカウントが注目を浴びてるんだ。フォロワーが今、七十万以上居るんだったかな?」
二人はわからないまでも、諜報ゲリラの説明に耳を傾ける。
「そこへ、難民が『戦争をやめよう』って呼掛ける詩を書いて、女子供も一緒に歌ってる。あ、歌詞書いたの、難民の女の子らしいんだ」
ラゾールニクは、端末に触りかけた手を止めた。
真実を探す旅人のSNSのアカウントに詳しい経緯が載るが、今はインターネットに接続できない為、確認できない。
じれったそうに画面から顔を上げ、二人の目を見て言う。
「この素人臭い歌い方が、またイイんだろうな。『可哀想』ってんでSNSでまた爆発的に拡散して、ネットメディアが記事にして再生数が爆発だ」
「可哀想ったって、そいつら同情するだけで何かしてくれるワケじゃねえだろ」
葬儀屋アゴーニが皮肉な笑みに唇を歪める。
アルトン・ガザ大陸にある科学文明国の大半がキルクルス教国だ。
国教を定めず、信仰の自由を宣言する国は多いが、キルクルス教徒が多数派を占める。聖典に基づく価値観で全てが決まり、実質的にはキルクルス教国だ。
「それが、そうでもないんだ」
ラゾールニクは端末を操作しかけたが、その手を上げ、宙に四角形を描いた。
「動画の再生画面の下には広告が表示されるんだ。ユアキャストが出稿企業を募集して、勝手にくっつけるんだけど」
「新聞の記事下広告のようなものですか?」
「そうそう。そんなカンジ。呪医、察しがよくて助かるよ。ちょっと違うのは、動画を投稿した奴にも、広告収入が山分けされるってコトだな」
「じゃあ何か? どこの馬の骨とも知れねぇ『旅人』って奴の懐に大金が転がり込むってのか?」
アゴーニは不機嫌に鼻を鳴らした。
「命懸けで空襲の被害写真を撮ってUPするくらいだから、『真実を探す旅人』はフリーの記者なんだろうな。今はこの難民の合唱団と一緒に行動してるらしい。端末をネットに繋ぐのに接続料が要るから、その活動資金だと思えばまぁ」
「彼らはネモラリス領ではなく、それが使える場所に居るのですね?」
「まぁ、そうだろな」
「国際世論がアーテルへの批難に傾けば、国連などが停戦を働き掛けやすく……なるものでしょうか?」
呪医セプテントリオーは途中から自信がなくなり、意見を疑問に変えた。葬儀屋も小さく頷いて呪医に同意し、諜報ゲリラを見る。
ラゾールニクは、少し考えて答えた。
「ネットのブームは大抵すぐ終わるから、偉い人を動かすのは、俺もムリだと思うよ。でも、今、『この難民たちを助けよう』って、国連難民高等弁務官事務所や世界保健機関、国連児童基金に寄付する一般人が増えてるなんだ」
「そんなことまでわかるのですか?」
「うん。ネットのニュースやSNSをちょこちょこ覗いた感触だけどな。印刷と配達の手間がないから、回線さえ繋がってりゃ一瞬で世界中に伝わるんだ」
「世界中……」
「一瞬でか?」
「可哀想って思った奴ら全員が寄付するワケじゃないけど、分母が大きくなるから、相対的にマジで行動する奴も増えるって寸法だ」
湖の民二人は、ただただ圧倒された。
……知らない間に外国ではそんなコトになっていたとは。
四百年以上生きたセプテントリオーにとっても、世界は未知に満ちる。改めて思い知らされ、呆然とする間にも、若い諜報ゲリラの説明は続いた。




