0289.情報の共有化
無計画に生命を捨てる報復をやめさせるには、どうすればいいか。
諜報員ラゾールニクに話を聞いてから、呪医セプテントリオーは考え続けた。
警備員オリョールたちはあれ以来、北ザカート市の拠点から帰らない。
手伝いに行く葬儀屋アゴーニが、「軍備の増強に余念がない」と、溜め息混じりに教えてくれた。
準備を整えればゲリラの生存率は上がるが、その分、アーテル共和国の被害は大きくなる。彼らが立つのは、新たな憎しみを産み出す際限のない報復戦の入口だ。
「軍の連中、まだ魔哮砲を捜してンぞ」
夕飯後、葬儀屋アゴーニが香草茶を啜って言った。彼は毎日、北ザカート市の拠点で食糧と呪符素材の調達を行いながら、ネモラリス軍の様子を覗う。
狩りの獲物や木の実、薬草などを抱えて、日が暮れる前にランテルナ島の医療拠点へ【跳躍】し、朝になればまた廃墟の拠点へ跳ぶ生活だ。
呪医であるセプテントリオーは、ここを離れられない。
手伝いの老婦人シルヴァは、ここしばらく留守がちだ。
情報収集拠点にした民家の老人の体調が悪いらしい。一度、戻った時に褥創だけでも治療を申し出たが、断られた。
「呪医にはお分かりにならないかも知れませんが、歳ですからねぇ」
淋しそうに笑って首を横に振り、一人で【跳躍】した。
セプテントリオーは治療にかこつけて、ランテルナ島の市街地に設けたと言う拠点の位置を知りたかったが、アテが外れた。
老婦人シルヴァは最近、情報収集に力を入れるようだ。老人宅に長居する口実としても、回復されては困るのだろう。
諜報員ラゾールニクは回復後も、ここに顔を出すようになった。
「これ、タブレット端末。ヤミで買った奴で違法ツール色々入れてるから、アーテル政府のアクセス制限を突破して、アーテル領内でも外国のサイトを閲覧できるんだ」
そう言われても、呪医セプテントリオーには全くわからない。
ラゾールニクが、材質さえわからない薄っぺらな板の表面を指で撫でた。黒かった板に色が付き、模様が現れる。
一緒に覗くアゴーニが仰け反った。
「何だい、そりゃ?」
「これ? 科学文明国で主流の無線通信機器。えーっと……大抵の国は、自由に通信できるんだけど、アーテルは通信制限を掛けてて、自国にとって都合の悪い情報の流入や流出を防いでるんだ。勿論、穴はあるけど」
「そんなコトできンのか」
葬儀屋アゴーニが感心して板を見詰める。セプテントリオーは、驚きのあまり言葉も出なかった。
ラゾールニクは金髪の頭を掻き、インターネットについて噛み砕いて説明しながら端末を操作する。
「この拠点は圏外……街から離れた森にあるから接続できないけど、データやアプリをダウンロード……えーっと、コピーって言ったら、わかるかな?」
「ん? あぁ、複写機なら使ったコトあるぞ。同じコト書いた紙、何枚も刷る奴だろ?」
「それを電子上で……物体のない情報だけで行うのですね?」
「流石、二人とも飲み込みが早くて助かる。で、これ、今朝ダウンロードした星光新聞のアプリ」
ラゾールニクの指が滑らかな画面を撫でると、新聞の一面が表示された。
「こんなちっせぇ板切れに新聞丸ごと入ってんのか!」
キルクルス教徒向け新聞の一面トップ記事は、ネモラリス軍との戦闘を報じる。
アーテル軍は、魔哮砲を搭載した防空艦レッススをミサイルで沈めた後は、大した戦果を挙げられないらしい。
時折、戦闘機か爆撃機が防空網を突破し、ガルデーニヤ市まで到達するが、極少数では開戦直後並の大規模空襲には至らない。
魔装兵による防空網が、最前線の北ザカート市北方にも配置され、都市への爆撃前に迎撃されることが多いようだ。
一機も帰還しないことを美化し、僅かな戦果を針小棒大に書き立てた。
「生きて帰った奴が居ねぇのに嘘ばっか書いてんだな。アーテル人は、こんな記事で騙されンのか?」
「機体にカメラが付いてて、逐一、基地にデータを送ってるんだろうな」
ラゾールニクは、アーテル人の頭の程度を哀れむ葬儀屋に別のページを示した。
煙を上げる街の航空写真が大きく掲載される。カラー写真の隅に並ぶ数字は、撮影年月日と時間だろう。一昨日の戦闘らしい。
「えっ? 電波の基地から遠いと、繋がらないのですよね?」
「軍用の衛星回線を使ってるんだよ。この端末とかは、街ン中の民生用回線」
陸の民の青年は、湖の民二人が頷くのを待って、また別のページを表示させた。
取締りが奏功し、テロリストの活動が大幅に減ったと報じる。
二人は眉間に皺を寄せ、同時に溜め息を吐いた。武闘派ゲリラの活動量は変わらない。次の大規模攻撃に備え、爪を研ぎ牙を磨く形に変わっただけだ。
「庶民は安心して、油断しているでしょうね」
「まぁ、治安は悪くなってるから、戸締りはしっかりしてると思うよ」
セプテントリオーの懸念は、諜報員ラゾールニクにとって完全に他人事らしい。端末を撫でて新聞を閉じ、全く別の画面を表示させた。
「何だい、こいつは?」
「最近、ネットで話題になってる歌。暗い話ばっかじゃ、気が滅入るだろ?」
ラゾールニクの声に前奏が被さり、湖の民二人は顔を見合わせた。
……天気予報?
〈降り注ぐ あなたの上に 彼方から届く光が……〉
タブレット端末から混声合唱団の歌声が流れる。男声と女声、子供の歌声も混じり、合唱団の年齢層の幅広さを物語る。五、六人の声ではないが、数十人規模ではないようだ。セプテントリオーは一人一人の声に耳を澄ませた。二十人居るか居ないかと言ったところか。
曲が終わると、ラゾールニクは更に端末を撫でながら言った。
「下手だし、プロじゃないっぽいけど、パン屋のCMソングも歌ってるんだ」
「へぇー……素人さんがねぇ」
葬儀屋アゴーニが、何て言やいいかわかんねぇと言いたげに首を振る。
呪医セプテントリオーも、ネモラリス国営放送の天気予報のBGMにこんな歌詞があるとは知らなかった。素人の歌が国を跨いで話題に上る程、広く知れ渡ることにも驚き、不思議に思った。
「それともうひとつ、話題になってんの、これ」
諜報員ラゾールニクが、また端末を撫でた。




