0288.どの道を選ぶ
ドーシチ市の商業組合長がくれた地図には、去年開通した新道がない。ファーキルが、タブレット端末で調べて描き込んでくれた。
「あの人たちが【魔除け】の呪符くれたし、森の中でも大丈夫じゃないか?」
ピナの兄貴が、薬師候補生たちが餞別にくれた封筒を示して言う。
魔法使いの工員クルィーロが中身を出し、一枚ずつ確認して顔を上げた。
「うん。まぁ、そこそこイケそうだけど、クブルム山脈の南、どんなのが居るか知らないからなぁ」
「ファーキル君は、早く帰りたいよな?」
高校生のロークが聞く。グロム市民の少年は曖昧な顔で頷いた。
「プラーム市まで行けば、グロム行きの船が出てて……えーっと、家畜とか運ぶトラックが乗るの見たことあるんで、トラック丸ごと乗れれば、すごく近道できますよ」
「そうか! ……船賃、何とかできりゃいいけどよ」
運転手のメドヴェージが瞳を輝かせたが、すぐに声を落とす。
少年兵モーフは、船にトラックを積めるのも知らなかった。こんな大きなトラックを丸ごと運ぶとなれば、相当な額になるだろうが、想像もつかない。
ピナの兄貴が広げた地図に目を落とし、ファーキルが加えた道を視線で辿る。
プラヴィーク市から南東へまっすぐ、ラズーリ湾南端のプラーム市まで太い道が伸びる。途中、ネーニア島南岸の四つの都市への脇道もある。小さな街や村も黒い丸で示されるが、新道は、大きな街にしか繋がらない。
少年兵モーフは、プラーム市のひとつ手前の大きな街モースト市で別れ、キルクルス教徒だけ、アーテル領ランテルナ島へ渡れないものかと考える。
……街ひとつ分くらい、歩いてでも行けンじゃねぇの?
プラーム市まで行けば、船でグロム市まで行ける。
フラクシヌス教徒のみんなは、【魔力の水晶】や【魔除け】の護符など魔法の道具を全部渡せば、何とかなりそうな気がした。
……食糧は山分け……いや、薬師のねーちゃんが一緒だから、ナシでもいいか。
少年兵モーフはそこまで考えたところで、緑髪の魔女と別れたら焼魚を食べられなくなると気付き、提案を断念した。
地図を見詰めるソルニャーク隊長の横顔からは、考えを読み取れない。
メドヴェージのおっさんは、みんなと一緒にまっすぐ進むつもりらしい。
近所のねーちゃんアミエーラは何も言わない。多い方の意見に従う気だろう。
「……でも、森を通るんでしょ? 急がば回れって、学校で習ったよ」
アマナが兄の袖をちょっと引っ張り、小さな声で不安を口にした。工員クルィーロは妹を抱き寄せ、背中をとんとん叩いてあやす。
「大丈夫だって。【魔除け】の護符は、トラックの備品とローク君の私物があるし、呪符は五枚ももらったし」
「ファーキルさんの手袋も、そうですよね。確か……【守りの手袋】?」
薬師のねーちゃんがファーキルの右手袋を指差した。みんなの視線が集まり、頷いて左も見せる。
……暑苦しいのにずっと着けてんのは、魔法の手袋だったからか。
納得する少年兵モーフを他所に、ファーキルは手袋の説明をした。
「そうです。右が【退魔】で、左は、ロークさんのと同じ【不可視の盾】です。どっちも【魔力の水晶】を握って呪文を唱えたら、術が発動します」
「へぇー、そうなんだ。カンペもらったけど発音わかんなくて。後で教えてくれる?」
「勿論、いいですよ」
アマナが、ファーキルとロークの話にじっと聞き入る。
薬師のねーちゃんが、荷台からマントを降ろして広げて見せた。
「クルィーロさん、このマント、差し上げます」
「えっ? でも、アウェッラーナさんがもらったのに」
「このコートと同じ呪文が染めてあるんです。二枚も着たら、魔力が足りませんから」
マントはフード付きで、薬師のねーちゃんが着れば、足首まで届く長さだ。
前はボタンで留められる。若草色の地色で、裾とフードの縁には、帯状に四本、色違いの模様が描いてある。
クルィーロがその模様……魔法の呪文を読んで魔法使いの先輩に確認する。
「これは【魔除け】と【耐寒】と【耐熱】……えっと【衝撃緩和】……ホントにいいんですか?」
「使わないで置いてる方が、勿体ないですよ。折角いただいたんですし、活用しないと」
薬師の手からマントを受け取り、魔法使いの工員は何度も礼を言った。
魔力があれば、それだけで色々なものから守られる。
少年兵モーフは複雑な思いで、青いツナギの上に若草色のマントを纏った工員を見た。彼が着ると膝丈だ。妹をふわりと包んで安心させる。
「なぁに、クルブニーカからザカートまで無事に通れたんだ。カッ飛ばしゃ平気だよ」
メドヴェージの陽気な宣言で、まっすぐプラーム市を目指すことに決まった。
日が傾きかける頃、少年兵モーフが、ピナと兄貴のレノ店長と三人で店番中、広場に面した雑貨屋から初老の男が出てきた。
一言の断りもなく、蔓草細工をあれこれ手に取って確める。すぐ机に戻し、何も買わずに自分の店へ戻った。
……結局、売れたのは、隊長の帽子一個かよ。
少年兵モーフは、自分が作った籠がひとつも売れず、がっかりした。
二人は何も買わない客が全く気にならないのか、日に当てた苗をいつ片付けるか相談を始めた。
広場には殆ど人通りがない。少年兵モーフは、店番なんて要らない気がしたが、言わなかった。
大通りの方へ顔を向け、客が来るのを待つフリをして、ピナの横顔を眺める。兄貴のレノ店長とよく似ていた。
自治区では会ったことのない雰囲気の少女だ。
落ち着いて、オドオドしたところがなく、よく笑う。
運河の畔で炎に巻かれた時は、冷静に状況を見て、無駄に泣き叫んだりしなかった。大人たちに教えられて、応急処置の手伝いまでした。
そんなことをしても何の得にもならない筈で、実際、同級生らしき少年少女は、誰も手伝わなかった。
移動販売を始めてからは、初めての街でも堂々と客の相手をする。
さっきの雑貨屋が、肩に大きな布袋を掛けて戻ってきた。
少年兵モーフは盗みを警戒し、前掛け姿の男の手元を見詰める。
「籠と帽子を全部くれ。交換品はこれだ」
布袋から出したのは、蓋付きの深鍋ひとつだ。ピナが声を弾ませる。
「有難うございます」
ピナの兄貴が袋を受け取り、帽子五つと籠ふたつを詰めた。入りきらない籠は、雑貨屋が自分の腕に把手を通して持つ。
「ここらじゃ、術の掛かってない物なんか売れんぞ」
「ご親切に有難うございます」
「作りがしっかりしてるから、素材として、もらってくけどな。さっさと他所へ行った方がいいぞ」
「はい。明日の朝には発つんで、大丈夫です」
「そうか。道中、気を付けろよ」
店長兄妹が笑顔で礼を言うので、少年兵モーフもぎこちない笑みを浮かべて礼を言った。
「……買ってくれて、ありがと。籠、俺が作ったんだ」
「そうか。頑張れよ」
長机からごっそり商品がなくなった。残りはクッキーと蔓草細工の鍋敷きと育苗ポットだけだ。
雑貨屋の店主が店に引っ込むのを見届け、ピナが少年兵モーフに教えてくれた。
「あの人、【編む葦切】学派の職人さんよ」
「マントと同じ術とか、荷物を軽くする術とか、後付けするんだろうな」
ピナの兄貴がその先を言い、机の上を片付け始める。
……買った奴があれをどうしようと、俺にゃ関係ねぇよ。
少年兵モーフは、胸の奥をチクリと刺す信仰心の棘を引っこ抜き、店の後片付けを手伝った。
☆ドーシチ市の商業組合長がくれた地図……「0283.トラック出発」参照
☆薬師候補生たちが餞別にくれた……「0283.トラック出発」参照
☆グロム市民の少年……「0198.親切な人たち」参照
☆クルブニーカからザカートまで無事に通れた……「0192.医療産業都市」~「0196.森を駆ける道」参照
☆運河の畔で炎に巻かれた時……「0061.仲間内の縛鎖」参照




