0029.妹の救出作戦
「羽となり ゆるり風の背 ふわり乗り この身浮き 花弁と成し 空ひらり」
クルィーロは、身動きとれない群衆の中で【浮遊落下】の呪文を唱えた。
……こんなことなら、もっと真面目に魔法の修行をしときゃよかった。
魔力があっても、大して修行しなかったせいで、制御が難しい【跳躍】などは使えない。
幼い頃から機械に興味があり、ゴミ捨て場で拾った家電製品を分解して遊んだ。工業高校に進学したいと言った時も、工場に就職した時も、両親をはじめ、周囲に呆れられたが、全く気にならなかった。
……それが、こんなところでツケを払わされるなんてなぁ。
魔法で【跳躍】できれば、自分の家族もレノたちも、一人も欠けることなく助けられただろう。
クルィーロの家族は、魔力を持たない「力なき陸の民」だ。
親戚もみんな力なき民だが、先祖に力ある民が居たらしく、クルィーロ一人が魔力を持って生まれた。
近所の塾に通わされたが、家の中で自分一人、魔法使いなのがイヤで、サボってばかりいた。
……こんなことなら、もっとちゃんとやっとくんだった。
そんなことを考えながら唱えた力ある言葉でも、術は間違いなく発動し、工員の身体は羽毛のように軽くなった。
両隣の男性の肩に手を掛け、前に詰まる男の肩によじ登る。
「何すんだコノヤロー!」
「ごめんごめん」
全く悪怯れず、術の効力が切れない内に、他人の肩から肩へ、軽やかに飛び跳ねる。その度に、短く切り揃えられた金髪が、ふわりと揺れた。
店の庇に飛び付き、屋根によじ登った。
屋根の上から、歩道脇の街灯に飛び付く。支柱の中程にしがみつき、てっぺんまでよじ登り、笠で大きく踏み切って、中央分離帯にゆるゆると着地した。
まだ、雲の上を歩くようだが、術を掛け直す。
停電で機能を失った信号機によじ登り、対岸へ跳ぶ。二車線を飛び越え、ギリギリで歩道の植え込みに着地した。
歩道も人がいっぱいで、クルィーロの入る余地がない。
標識によじ登って、庇にふわりと降り立ち、屋根伝いに北西へ進む。
西へ行く狭い路地にも人が詰まっていた。
何度も同じ呪文を唱え、ひとまず小学校を目指す。
屋根から東を見下ろすと、湖からの風に煽られ、火災が西と北へ広がるのがよくわかった。
煙に咳込み、首に巻いたタオルで口許を覆う。
テロリストの集団が、トラックから住宅や店舗に手榴弾や火炎瓶を投げ、逃げ惑う住人を機関銃で撃つ。数人がトラックを降り、死体を踏み越えて、人が密集する路地に自動小銃を乱射する。
……むちゃくちゃじゃないか……軍と警察は何してんだよ?
魔道部隊の魔装兵や魔装警官なら、銃を持ったテロリストにも対応できる。
クルィーロは西を見て鳥肌が立った。
妹が通う小学校まで、二百メートル程しかない。
テロ集団は民家や商店を破壊し、避難する人の群を麦刈りでもするように薙ぎ倒しながら進む。
トラックに残ったテロリストが、ロケット弾を発射した。クルィーロの三軒手前に着弾し、民家があっけなく崩壊する。周囲の路地から悲鳴と呻きが上がった。
クルィーロの肩と額にも破片が当たったが、気にする余裕はない。
痛みが、悪夢のような光景を現実だと教えてくれた。
クルィーロは、もう何度目かわからない【浮遊落下】を唱え、屋根から屋根へ飛んだ。
小学校の校庭に、軍用車が見えた。
大型トラック一台とジープが五台。丁度、兵が降りるところだ。近代兵器を携えた力なき民の部隊と、魔法の鎧を纏った魔装兵だ。
助けを求める住人と、児童を迎えに来た保護者の車が、校庭と通学路に溢れる。
校舎の扉は開いているが、もう人がいっぱいで入れないようだ。この辺りには、工場勤めの力なき民が多いからだろう。
クルィーロは、屋根の上を通ったおかげで、逃げて来る群衆に巻き込まれずに済んだ。一方通行の車道に飛び下り、校門へ走る。
「兵隊さん! 兵隊さんッ! テロリストッ! もう、そこまで来てる!」
校庭に駆け込みながら叫ぶ。
「機関銃と、何か爆弾とロケット砲と、火焔瓶! 他にも持ってるかも!」
「情報ありがとう。ここはもういっぱいだ。可能なら、中学へ行きなさい」
「無理ッス! ここ、妹が居るんで!」
兵はそれ以上言わず、隊長の号令に従って校門を出た。
小学校の防衛とテロリストの制圧。二手に分かれるらしい。
クルィーロは遊具に登り、二階の庇に飛び下りた。窓から二階の廊下に侵入する。ここも既に児童を迎えに来た保護者で溢れていた。
入る者と出る者でごった返す中、人波を掻き分け、妹の教室を目指す。
やっと五年二組に辿り着き、開け放たれた扉から教室に入った。
授業が中断し、机が廊下側に寄せてある。迎えに来た保護者と避難したのか、空席が目立つ。
大人たちが窓辺に集まり、外を窺う。すぐ避難できるようにか、子供たちもコート姿だ。緊張した顔だが、大人しく席に着いていた。
まだ若い女性教師が、新たな保護者の来訪に会釈する。
「先生、俺、アマナの兄です。迎えに来ました」
机に伏せていた妹が、弾かれたように顔を上げた。
銃撃戦が、校門のすぐ前にまで迫る。
「エランティスちゃんも。椿屋さんたちと鉄鋼公園で待ち合わせしてるんだ」
レノの妹が、戸惑った顔で教師と兄の幼馴染を見比べる。
「他のみんなは魔法が使えないから、別の道から行ってる。俺だけ屋根の上を飛んで来たんだ」
クルィーロが事情を説明すると、若い教師は頷いた。
「二人をお願いします」
二人は、その言葉と同時に机の横に下げた鞄を掴み、青い作業服姿の工員に駆け寄った。
「お姉ちゃんは?」
エランティスが半ベソで聞く。
「中学にも寄るよ。さ、行こう」
クルィーロは二人の鞄を取り、左右にたすき掛けした。もう一度【浮遊落下】を唱え、二人の手をしっかり握って廊下に出る。
爆発音に悲鳴が上がった。
妹たちも、クルィーロの腕にしがみつき、足を止める。
「兵隊さんたちが居るから大丈夫。それより、窓から出るから、しっかり掴まってろよ」
極力何でもないように言って廊下の窓を開け、妹のアマナを抱えて窓枠に座らせる。次に、レノの妹を座らせ、自分も窓枠に上った。
小学生二人を両脇に抱え、裏庭に飛び下りる。
三人分の体重と荷物がある分、流石に落下が速い。だが、そのまま飛び下りるよりずっとマシだ。
着地した瞬間、二人の手を引いて走った。
☆椿屋さんたちと鉄鋼公園で待ち合わせ……「0021.パン屋の息子」参照




