0283.トラック出発
朝食後すぐ荷台を開け、荷物を積み込んだ。
蔓草班が作った細工物と、使用人たちが用意してくれた食糧、紙と筆記具、袋類だ。食糧は木箱ふたつ分増えたが、きちんと片付いたお陰で狭く感じない。
「長い間、有難うございました」
レノ店長に続いて、移動販売店見落とされた者の一行が口々に感謝を告げる。
ロークも、胸を締め付けられる思いで礼を言った。
使用人たちは何人も、堪え切れずに前掛けやハンカチで目頭を押さえる。
「こちらこそ、有難うございました。お蔭さまで、大勢の市民が助かります」
商業組合長ラトゥーニが深くお辞儀する。玄関前に並んだ使用人たちも、主人に倣って一斉に頭を下げた。
「おじちゃん、おばちゃん、さよなら」
エランティスが手を振って荷台に乗り込む。アマナとクルィーロ、ピナティフィダも「お世話になりました」などと言いながら続いた。ロークも、屋敷の人々に会釈して荷台に上がる。
「毎日、美味いモン食わせてくれてありがとな。俺、あんなご馳走、初めてだ」
最後に少年兵モーフが乗ると、運転手メドヴェージが扉を閉めた。
流石に五月も末になると、荷台の中は蒸し暑い。
ロークは運転席の後ろの係員室に入り、小窓を開けた。メドヴェージが運転席の窓を全開にする。助手席に乗ったアウセラートルも、シートベルトの着け方を教えてもらった後、窓を開けてくれた。
トラックが動き、風が吹き込む。
「ありがとよー!」
メドヴェージが大声で言い、トラックを門へ向ける。新緑に輝く木々が車窓を流れた。庭園の台座で睨みを利かせるガーゴイルさえ、名残を惜しむように見えた。
門前で騎馬の警官隊が待機する。
三騎がトラックの前に出て露払いした。物見高い人々が慌てて道の端に避ける。残りの騎馬警官が左右に分かれた。多分、後ろにも付いただろう。
厳重に警備され、トラックはドーシチ市の道をゆっくり走った。
道行く人々が端に寄り、トラックに譲る。手を振り見送る者、感謝を叫ぶ者、中には「行かないでくれ」と声を上げる者も居たが、あの日のように縋りつく者は一人も居なかった。
朝市の片付けをする中、広場を通過する。
南門から先は湖岸沿いの道だが、そちらには小さな漁村しかない上、遠回りだ。
警官の先導で、ガソリンスタンドのある東門へ向かう。こちらから出れば、内陸の道でプラヴィーク市まで少し近道だと言う。
「お隣のプラヴィーク市は、鉱山の街なんです」
「鉱山?」
メドヴェージは前方から視線を外さず、アウセラートルの説明に疑問の声を上げた。商業組合長ラトゥーニがくれた地図では、プラヴィーク山脈と街はかなり距離がある。
「山は魔物が多いですから、術で鉱石を運んで、後の処理は街でするんですよ」
「あぁ、そう言うことか」
納得したメドヴェージが運転に集中する。
採掘する鉱夫は、怪我人が多いだろう。貴重な魔法薬を他所へ売りたくないと言うのも、致し方ないように思えた。
ロークは、ファーキルとの会話を思い出し、バックミラーに映る運転手を複雑な気持ちで見た。邪気のない瞳は穏やかに澄む。
ファーキルにはあぁ言ったが、星の道義勇軍ではなく、ロークこそが、いつかその報いを受け、償わなければならない罪人だ。
「やってしまったことの罪は、いつか償わなきゃいけない」
自分の言葉が楔となって胸に深く刺さる。
早い時点で、祖父と両親の計画を軍や警察に通報すれば、星の道義勇軍のテロは未然に防げたのだ。まさか、ホントにそんなコトしないだろうなどと甘い考えで漫然と放置し、大勢のゼルノー市民を死なせてしまった。
テロの直後、アーテル軍の空襲に見舞われた。
彼らの死を結果的に回避できなかったとしても、友人たちを見殺しにした罪は、消えてなくなったりはしない。
「それから、伯父がお渡しした地図が少し古くてすみません。昨年、プラヴィーク市からラズーリ湾南端のプラーム市まで、直通道路が開通しました」
「ホントか? ありがてぇ。ものスゴい近道じゃねぇか」
「えぇ、ただ、一部の区間が森を通るので、安全面では」
「思い切り飛ばしゃ振り切れンじゃねぇか? 俺ら、クルブニーカ市からザカート市まで森ん中通って来たぞ?」
クブルム山脈の北側に広がる森林地帯を貫き、ネモラリス共和国領を横断する道路には、【魔除け】など護りの呪文を刻んだ石碑が点在した。昼間だったせいもあるのだろうが、トラックは魔物と遭遇せずに済んだ。
「まだ、レサルーブ古道が使えるのですか?」
アウセラートルから意外そうな声が返る。
「レサルーブ? あの道は、そんな名前が付いてンのか」
「えぇ。地脈の力を魔力に変換して、道全体に護りを掛けてあったのです。術を発動させる石碑の手入れは大変ですが、同じ仕組みの道はたくさんありますよ」
長命人種のアウセラートルは当たり前のように言うが、ロークは初耳だ。
メドヴェージがハンドルを切り、警官に続いて角を曲がりながら聞く。
「じゃあ、その最近できた道も、そうやって護りを掛けてあんのか?」
「いえ、そちらは通行人の魔力を使うので……まだ、開通したばかりで、交通量が少ないですからね」
魔力の補充が足りないと言いたいのだろう。
商業組合長ともあろう者が、最新版の地図を入手できない筈がない。ラトゥーニは安全寄りの視点に立ち、力なき民が多い移動販売店見落とされた者には、敢えて最新版を渡さなかったのだ。
アウセラートルは、どの途プラヴィーク市に着けば新道の存在に気付くから、警告してくれたのだろう。
トラックがドーシチ市唯一のガソリンスタンドに入った。
騎馬警官隊が、店舗前に整列して待機する。
待ち構えていた店員が、テキパキと仕事に取り掛かった。メドヴェージが降り、荷台を開ける。空の燃料タンクを預けて給油を待った。
「先生ーッ!」
荷台から降りた一行と、警官たちが何事かと声のする方を見た。数人の若者が駆けて来る。
「ま、まっ……間に合った!」
「ギリギリですみません」
薬師候補生だ。
臨時講師を勤めた薬師アウェッラーナが驚いて声を掛けるが、息切れして返事もできない。女子候補生が少し遅れて到着し、袋や布を抱えた七人全員が揃った。
「用意に手間取って、お屋敷に行ったらもう、出たって」
「ガソリンスタンドって初めてなんで、迷子になっちゃって」
最初に着いた二人が、額の汗を拭ってアウェッラーナに別れの挨拶をした。手に持った布を広げて見せながら、早口に言う。
「あの、それで、これ、お礼に受け取って下さい。旅用のマントです」
「わざわざ見送りに来てくれて有難うございます。でも、いいんですか? 授業料はもう組合長さんから」
薬師アウェッラーナが遠慮すると、候補生たちは是非受け取って欲しいと首を横に振り、声を揃えて礼を言った。
「助手の方は、力なき民だって聞いたんで、これを」
「えっ? 俺も?」
ロークに差し出されたのは、小さな【魔力の水晶】と手の甲に刺繍が施された革手袋だ。左手しかない。
「これ【守りの手袋】です。【水晶】を握って呪文を唱えれば、【不可視の盾】が使えます」
「これ、カンペです」
「いいんですか? 俺は薬師じゃないし、何も……」
「いいんです。素材の下拵えとか、手際良くて、よくわかりました」
「仕事の進め方、すごく参考になりました。有難うございます」
力ある民の薬師候補生たちは、ロークの戸惑いに明快な答えをくれた。
心尽くしの品を受け取ったが、胸が詰まって言葉が出ない。精一杯の感謝を籠めて、握手を交わす。候補生の目にも涙が溜まった。
「それと、店長さん、五枚しかないんですけど、【魔除け】の呪符です」
封筒を渡され、レノ店長が驚いた目で受け取る。パン屋の青年は、何度も感謝の言葉を繰り返して押し戴いた。
「お針子さんがいらっしゃるって聞いたんで、みなさんにはこちらを」
女子候補生がアミエーラに小さな布袋を渡した。複雑な模様は、ロークも見覚えがある。容量以上に物が入る【無尽袋】だ。
受け取った針子のアミエーラが首を傾げる。
「これは……?」
「布と糸です。お好きな服を作って下さい」
「有難うございます!」
アミエーラが勢いよく頭を下げた。
給油が終わり、各種防護の術を施されたポリタンクを荷台に積み込む。
「みなさん、お元気で」
「先生方もどうか……」
声を詰まり、別れの言葉が途切れた。一人一人の手を取り、交わすぬくもりに全ての想いを籠める。
「ご無事で」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう!」
「あんたらも、これから大変だろうが、頑張れよ」
荷台に乗ったアマナとエランティスが元気よく手を振る。メドヴェージが言い、荷台の扉を閉めた。
警官が隊列を組み直し、トラックが出発する。
荷台からは見えないが、彼らが手を振るのだろう。メドヴェージが窓から手を出し、振り返した。
あの日のような混乱はない。
トラックは誰にも妨げられることなく、東門に到着した。
アウセラートルが助手席を降りる。
「それじゃ、兄ちゃん、色々ありがとよ。お屋敷のみんなにも、よろしく言っといてくれや」
「えぇ。こちらこそ、契約以上によくしていただいて、有難うございました」
運転席のメドヴェージが代表で別れを告げた。言葉こそ粗野だが、声には誠実な響きがあった。
「あの歌の通りになるよう、我々ラクリマリスの民も共に祈ります。どうか、ご無事で、その日を迎えられますように!」
動き出したトラックにアウセラートルの声が届いた。




