0282.寄付の始まり
リストヴァー自治区の仕立屋クフシーンカは、弟の支持者幹部を集めた。
預かった鍵で事務所を開ける。国会議員本人は不在だが、幹部たちは全員、姉の呼出しに応じた。
型通りの挨拶に続いて、クフシーンカが用件を切り出す。
「弟が留守とは言え、活動を停滞させるのは如何なものかと思われます。そろそろ落ち着いてきましたし、自治区の生活を向上させる活動を再開しましょう」
バラック街の火災で亡くなった者を除く七人が拍手で応える。
クフシーンカは幹部を見回した。
「東部の仮設住宅では、毛布、タオル、下着類は配布されましたが、まだまだ生活物資が足りません」
「そうですねぇ。東部のお店は全部焼けてしまいましたし」
工場の道路を挟んだ向かいには、工員相手の様々な店が並び、ちょっとした商店街を成す。四車線道路が防火帯となり、工場は焼失を免れたが、店舗兼住宅は全滅した。資金難で建設を断念した工場跡地も一掃され、現在は区画整理が進む。
「生活物資……今は、おカネを出してもモノが手に入り難いですからね。寄付ったって」
察しのいい幹部が、先回りして懸念を口にする。
バラックではない住居、草を編んだ敷物ではない毛布、着替えの下着やタオルまである現在は、以前の暮らしに比べれば、飛躍的に改善された。それでも、最低限の水準には届かず、極貧の域を出ない。
クフシーンカは微笑んで同意した。
「何年も使わずに仕舞い込んだ品を出していただきましょう。私は、若い頃の服を出しますよ。もうこの歳では着られませんからね」
その例に場の空気がふっとゆるむ。別の幹部が成程と大きく頷いて提案した。
「家や職場で余った文具類も、学校に寄付するといいですね」
「あぁ、絵本や玩具も一緒に」
「そうですね。使いかけでも、ないよりはマシですから。直接、子供たちの手に渡ることが肝要です」
クフシーンカの承認を得て提案が活発になる。
「では、子供服も、学校で配った方がいいでしょうね」
「乳幼児の服は、東教区の教会に配布をお願いしましょう」
「大人の服はどうします?」
その質問で声が止む。言った幹部が一同を見回した。
仕事のある者は、受取りに来られないかもしれない。サイズなどの問題で、各戸配布はできない。いい服は奪い合いになるかもしれない。配布後、盗難に遭うかもしれない。暴力で剥ぎ取られる惧れもある。今でさえ、干した下着やタオルがなくなるのだ。
問題は山積みだが、誰の頭にも、すぐには解決策が浮かばない。
「でも、全ての対策が決まるまで、何もしないと言うのも、どうでしょうね?」
クフシーンカの問いかけに、幹部たちは隣の者と顔を見合わせる。
ややあって、大人の服の件を聞いた幹部が小さく首を横に振った。
「どうせ、一度に全部の配布はできませんし、できることから少しずつ、様子を見ながら実行した方がいいですよね」
「えぇ、そうですとも。まずは文具類と子供服、子供たちにも読める本からにしましょう」
「じゃあ、私、司祭様たちに協力をお願いしに行ってきます」
「ありがとう」
今日は一旦、それで解散した。
クフシーンカは帰宅してすぐ、計画を紙に書き出した。
特に持病などはないが、齢九十を越え、いつ天に召されてもおかしくない。誰が見ても、この事業を引継げるよう、わかりやすくまとめる。
書き上がって顔を上げると、窓の外がすっかり暗い。肩を回して凝りを解した。
壁掛け時計が、いつもなら寝床に居る時間を指し、ペンダコがじわじわ痛む。空腹感はなかったが、水とドライフルーツで昼食兼夜食を済ませ、寝台に入った。
翌日は店を開けず、朝から自宅にある物を寄付の目的別に仕分けした。
久し振りに弟の書斎を開ける。扉と窓から風が抜け、澱んだ埃っぽい空気が出て行った。
……あの子がここを使う日は、もう二度と来ないでしょうね。
机の抽斗を開ける。書類や資料を収めた本棚も調べたが、文具類は使いかけが少しみつかっただけだ。
ノートやメモ帳の使用済みページを切り取り、ファイルに綴じる。白紙ページだけにしたノート類は、端切れで作った手提げ鞄にまとめた。
仕立屋の店舗に入り、久し振りにミシンを踏む。筆記具をまとめる細長い小袋を作り、ついでに巾着袋も五つ拵えた。
自分の寝室に入り、箪笥を開ける。季節毎の服を二着ずつ寝台に置き、下着類以外は全て段ボール箱に詰めた。「冬物上着」など、季節と種類別で箱を分け、太いペンで内容品を大きく書く。部屋の隅に並べた箱の蓋をガムテープで塞ぐと、溜め息が出た。
老女クフシーンカが自力で運ぶのは無理だ。話がまとまってから、若い支持者に運んでもらいやすいよう、準備だけ万端に整えた。
これだけで、もう昼過ぎだ。
昼食を手早く済ませ、今度は食器類を古新聞で包んで箱詰めする。食卓の下に置いた段ボール箱は、来客用の食器だけでいっぱいになった。
……あんまり頑張り過ぎて、明日寝込む羽目になると困るものねぇ。
昨日の夜更しを思い、お茶の時間に手を止めた。
今夜眠れば、明朝には目を覚まさないかもしれない。いつ永眠してもおかしくない年齢だ。後を託す前に逝くかもしれない焦りはあるが、さりとて、一日で何もかも終えられる体力は、もう残されていない。無理をすれば、それが残り僅かな寿命を縮めるだろう。
クフシーンカは、手を洗って香草茶を淹れ、不安を鎮めた。
……引継ぎなら、昨日、紙に書いたから大丈夫よ。
台所の窓から中庭を見た。お茶にする香草が青々と葉を茂らせる。
常命人種としては、長く生き過ぎた。縫製の知識と技術はアミエーラに引継いだが、それだけでは不充分な気がしてきた。
……あの子はもう、ここには戻れない。どこかで元気にしてるかしら。
親友の孫娘を僅かな食糧と魔法の品を持たせただけで送り出した。道を外れなければ、山を抜けてどこかの街へ着いただろう。
リストヴァー自治区の外なら、魔法の品を所持しても咎められない。今の状況で恐ろしいのは、フリザンテーマが残した魔法の品で防げる魔物ではなく、何もかもを失った人間だ。
生きてさえいれば、何とかやってゆけるだろう。
アミエーラは、小さな鍋ひとつ受け取ることさえ遠慮して恐縮した。
……あの子はそう言う子。どん底の貧乏でも欲張らないし、他人様の物に手を付けたりなんかしない。
荒廃したネモラリス共和国で、彼女の美徳が命取りにならぬよう、深く祈った。




