0281.行く先は不明
サンルームを出て、移動販売店プラエテルミッサの一行は、蔓草細工の作業部屋に集まった。他のみんなは作業机に着き、女中頭がくれた紙束に歌詞を書き写す。
ファーキルは、みんなの同意を取り付けられて、ホッと息を吐いた。
既に歌詞はテキスト入力し、画像化してある。後は動画編集アプリで、音声と合わせて公開するだけだ。日当たりのいい窓辺に椅子を移動させ、自分の作業に集中する。
歌詞の表示と音声の進度を合わせるのに思ったより手こずった。
何とか四曲を公開し終えた時には日が傾き、充電もギリギリだ。
他のみんなは……と見回した。
こちらも作業を終え、肩の凝りを解す。書けばそれだけ、早く覚えられる。これからはみんな自信を持って歌えるだろう。
女中頭が、食事の用意が整ったと呼びに来た。
レノ店長が書き上がった歌詞の束を渡す。年配の女性は三枚だけ取って後は返した。
「私らはこれだけでいいよ。旦那様と私らの分と予備。自分たちで書き写すから。後は、あんたたちが行く先々で配っておくれ」
「有難うございます」
レノ店長の疲れた顔が、パッと明るくなった。女中頭も笑顔で応じる。
「いいのよ。私らも早く戦争が終わればいいと思うんだけど、このくらいしか手伝えないからね」
ネモラリス人たちが口々に礼を言う。
ファーキルも、ラクリマリス人の厚意に心の底からの謝意を籠め、頭を下げた。
……アーテル人として。
まだ、祖国を捨ててから出会った人は、そう多くない。
それでも、今のところ、戦争の継続を望む者とは一人も出会わなかった。
今夜は「晩餐」と呼ぶに相応しい豪華さだ。誰からともなく感嘆が漏れる。
「ドーシチ市の医療に多大な貢献をして下さった皆様へ、ささやかではありますが、ご用意致しました。受けた御恩には到底及びませんが、お楽しみいただけましたら幸いです。誠に有難うございました」
屋敷の当主ラトゥーニが口上を述べると、壁際に並んだ使用人たちが拍手した。
「こちらこそ、とても親切にしていただいて助かりました。有難うございます」
レノ店長が礼を返す。
プラエテルミッサの一行と、屋敷の人々が頭を下げ合い、食事が始まった。
上品に盛りつけられたパテと温野菜は味わい深く、香草で味と香りを整えられた濃厚なスープ、野菜を練り込んだパンと新鮮な果物は舌だけでなく、目も楽しませる。分厚い牛肉のステーキは焼き加減が絶妙で、切ると肉汁が溢れた。
ファーキルにもわかる最高級の食材が惜しみなく使われる。
少年兵モーフは、最近になってやっと食事の作法を覚え、以前のように食べ散らかして使用人の失笑を買わなくなった。
ここでは、誰にも食べ物を横取りされない。それに気付いて、落ち着いて食事する姿は、ごく普通の少年だ。
ファーキルは、少年兵モーフの育ちがよろしくないのは一目でわかったが、彼がどんな暮らしの末に兵士となったのかは、知らない。
会話の断片から、ネモラリス共和国内のキルクルス教徒の自治区で、貧しい暮らしを送ったらしいが、流石に本人には聞けなかった。
度々耳にする「星の道義勇軍」で検索したら、その自治区で結成されたテロ組織との結果が出て驚いた。
フラクシヌス教徒と行動を共にし、笑顔を向けあい、魔法薬の製造を愚痴ひとつこぼさず手伝う姿と、ネット情報が頭の中で一致しない。ニュースサイトの情報を信じたものか、判じ兼ねた。
ファーキル自身もそうだが、プラエテルミッサの一行は、誰ひとりとして、食前食後の祈りも、朝夕の礼拝もしない。だが、不信心な無法者でもなかった。
改めてよく見ると、不思議な一団だ。
……ここを出た後、次はプラヴィーク市。
そこを出れば、ネーニア島南岸の四都市を経由し、ラズーリ湾沿いに東進してグロム市を目指す。
もしかすると、キルクルス教徒四人はヴィエートフィ大橋を渡り、アーテル領ランテルナ島へ渡るかもしれない。
ラクリマリス王国側の大橋は封鎖中だが、実際に行ってみなければわからない。
もし渡れるなら、トラックを運転できるのがメドヴェージ唯一人なので、フラクシヌス教徒たちの東行きの旅は、厳しいものになるだろう。
グロム市に着けば、ファーキルは嘘がバレないように、みんなと別れなければならない。
日々の忙しさに追われ、考えることを先延ばしにしてしまった。これから先、どうすればいいか、改めて考えながら、人生で最高に贅沢な食事を終えた。
割り当てられた部屋に引き揚げ、ロークと二人きりになる。
明日いよいよ出発となると、そわそわして寝付けなかった。どうやらロークも起きているらしい。
……どの時点になるかわからないけど、別れるのは決まってるんだしな。
思い切って声を掛けた。
「ロークさん、まだ、起きてますか?」
「ん? うん」
「質問、いいですか?」
改まった口調に、ロークが何事かとこちらを向く。
ファーキルは、ロークの目をまっすぐに見詰めて聞いた。
「ネットで調べたら、ソルニャークさんたちの『星の道義勇軍』が、キルクルス教徒のテロ組織だって説明が出て来たんですけど、全然そんな風に見えなくて」
「その情報で合ってるよ」
「えっ?」
即答され、耳を疑った。ロークは淡々と続ける。
「戦争が始まる直前、星の道義勇軍のテロで、俺たちのゼルノー市は焼かれたんだ」
リストヴァー自治区に近い湖岸の三地区は、特に被害が酷かった。
レノたち三兄姉妹のパン屋も、クルィーロの勤務先の工場も、ロークの友人たちが通う学校も焼けた。
密輸した部品を組み立てて武器を作り、多くの市民を殺傷した。
ソルニャーク隊長たちの部隊は、他の部隊と共に市民病院を襲撃。職員と患者の反撃で、テロリストの大部分が死亡したが、あの三人の他、何人かは警察に捕まった。
近隣都市の避難所行きのバスと、テロリストを乗せた護送車は同時に出発した。その時、アーテル軍の空襲が始まり、避難民と逮捕者の多くが命を落とした。
「えっと……それで、なんで……」
「平気な顔してテロリストなんかと一緒に居られるのかって?」
「えっ、あっ……はい」
質問を見透かされ、気マズい思いで肯定する。
ロークは遠い目をして答えた。
「俺は、ミエーチ区の知り合いのとこに行ってて、一人だけ助かったんだ」
実家は運河の対岸で、テロの被害はなかったが、アーテル軍の空襲で焼失したと言う。
「だから、俺んちは、テロの被害者じゃないし……親と仲悪かったから。他のみんながどうして一緒にいるのか、よくわかんない。でも」
「でも……?」
ロークは黙ってファーキルの瞳に焦点を合わせた。薄いカーテン越しに射し込む月光が、淡い光を注ぐ。
ファーキルは何を言われるのかと身構えた。
「君もさっき言ってたじゃないか。あの三人、すごいイイ人で、全然テロリストに見えないだろ?」
ファーキルは、ロークの目を見詰めたまま頷いた。
……だから、質問してんだけどな。
「自治区って貧富の差が激しくて、モーフ君を見れば想像つくと思うけど、貧民はホント悲惨な生活なんだ。他所のキルクルス教徒が知ったら、ブチ切れても仕方ないって言うか、よく今まで暴動が起こんなかったなってレベルで」
こんな言い方だが、ロークの口調には、貧民街の住人を蔑む色がない。同情しているのだろう。
「だから、アーテルの空襲も仕方ないって言うんですか?」
「そうは思わないよ。でも、貧民街の人たちが、テロを起こす気持ちはわからなくもない。それに」
空襲でギリギリ生き残った人々は、炎と煙に巻かれて運河の畔に追い詰められ、中には自分が助かりたいが為に、テロリストより酷いことをした者たちがいた。
「信仰の違いや貧富の差は、人間としての良し悪しには関係ない。やってしまったことの罪は、いつか償わなきゃいけないけど、俺たちが今、裁くことじゃない」
ロークは自分に言い聞かせるような物言いだ。
彼自身、完全に納得したワケではないのだろう。
「レノ店長たちも、そう思ってるんですか?」
「さあ? レノさんたちのお父さんは、運河の時点ではまだ生きてた。でも、テロリスト以下の奴らのせいで、死んだようなもんだ」
ファーキルはロークの答えを頭の中で反芻し、改めて質問した。
「テロリスト以下の人たちって?」
「一言で言うと、自己中な奴だな」
「自己中……」
「力ある民が三人か四人しか居なくて、簡易結界がギリギリだったんだ」
ロークは忌々しげに当時の状況を語った。
彼らはテロリストたちを結界から排除しようとし、更に、命が消えつつある子を捨てようとした。諍いが起こり、結界の輪が切れた。そこへ雑妖の群が雪崩れ込んだ。大人しくしていれば、結界は朝までなんとかなっただろう。
「空襲と、運河の魔物や雑妖の群から何とか逃げた後、アミエーラさん以外の十人で助け合って生き延びてきたんだ」
「アミエーラさん以外?」
「アミエーラさんは、モーフ君の知り合い。トラックを手に入れてから偶然、出会ったんだ」
リストヴァー自治区の貧民街はテロの後、原因不明の大火災でほぼ全焼した。
アミエーラは身ひとつで焼け出され、自治区内の団地地区にある職場で、しばらく保護されたらしい。雇い主は「ネモラリス島の親戚を頼るように」と彼女に色々な物を与えて、自治区から送り出したと言う。
「ソルニャーク隊長たちが居なかったら、少なくとも俺とアウェッラーナさんは死んでた」
ロークはこの件について詳しく語らなかった。ファーキルは少し気になったが、本筋とは関係ないので、質問を飲み込んだ。
ファーキルには、人種も信仰も異なる人々が、ギリギリの状況で助け合えたことこそが奇跡だと思えた。
「あのー、それで、この先って言うか、ヴィエートフィ大橋より先って、みんなで行けるんですか? それとも」
東へ行くか。
南へ渡るか。
「自治区の人たちがどうするか、俺もまだ聞いてないんだ。大橋を渡れるか、わかんないし」
「そうですよね。実際どうなのか、見てみないと決めらんないですもんね」
ファーキルは少し安心した。
「君は、テロリストなんかと一緒に居る俺たちを、バカだと思ってる?」
「えっ? いいえ……って言うか、テロリスト云々じゃなくて、あの人たちは、イイ人っぽいんで、一緒に居ても大丈夫かなって」
「だろ? 少なくとも、俺はそう思ってる。メドヴェージさんなんて、全然、悪いことしなさそうだろ」
「はい。思います、思います」
……あんなイイ人たちをテロリストにするなんて、やっぱ、キルクルス教なんかゴミじゃないか。
ファーキルは、批難を口には出さずに頷いた。
☆ファーキル/アーテル人として……「0162.アーテルの子」「0183.ただ真実の為」「0198.親切な人たち」参照
☆以前のように食べ散らかして使用人の失笑……「0237.豪華な朝食会」参照
☆星の道義勇軍のテロで、俺たちのゼルノー市は焼かれた……「0006.上がる火の手」「0013.星の道義勇軍」~「0015.形勢逆転の時」参照
☆俺んちは、テロの被害者じゃない……「0096.実家の地下室」参照
☆炎と煙に巻かれて運河の畔に追い詰められた……「0060.水晶に注ぐ力」~「0069.心掛けの護り」参照
☆自分が助かりたいが為に、テロリストより酷いことをした者たち……「0070.宵闇に一悶着」「0071.夜に属すモノ」参照
☆レノさんたちのお父さんは、運河の時点ではまだ生きてた……「0062.輪の外の視線」「0066.内と外の境界」「0071.夜に属すモノ」→「0256.兄妹水入らず」参照
☆トラックを手に入れてから偶然、出会ったんだ……「0186.河越しの応答」参照
☆リストヴァー自治区の貧民街は、原因不明の大火災……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照
☆雇い主は(中略)自治区から送り出した……「0090.恵まれた境遇」「0091.魔除けの護符」「0099.山中の魔除け」参照
☆ソルニャーク隊長たちが居なかったら/この件……「0082.よくない報せ」~「0086.名前も知らぬ」参照




