0279.悲しい誓いに
アーテル軍のミサイル攻撃で、ネモラリス軍の防空艦一隻が轟沈――
ネモラリス人有志ゲリラの手で、アーテル側の報道がネーニア島とネモラリス島へ届けられた。
頼みの綱の魔哮砲を失い、ネモラリス共和国に動揺が走る。
ラクリマリス王国でも、湖南経済新聞など中立国に本社を置く報道機関が、同様の内容を報じる。ネモラリス政府は火消しに躍起になったが、支援団体を通じた国民への伝播は、防ぎようがなかった。
ネモラリス軍が、防空艦レッスス轟沈を認めたのは、例の攻撃から五日も経ってからだ。
この件に関して、アーテル共和国政府はコメントを出さなかった。「魔哮砲搭載艦を沈めた」と軍の戦果報告を発表した後は、沈黙を守る。
アーテル世論は、「邪悪なネモラリス、断乎討つべし」と強硬意見に傾いた。
魔法生物を兵器化した魔法使いを滅ぼさない限り、第二、第三の魔哮砲が作られるとの懸念と恐怖、ネモラリス人有志ゲリラの活動への怨恨が、アーテル人の戦意を煽る。
「そろそろ、潮時ではありませんか?」
呪医セプテントリオーが疲れ切った顔で言う。
傍らで、葬儀屋アゴーニも頷いた。
隠れ家の談話室には、警備員オリョール、用心棒のウルトールとパーリトル、湖の民ジャーニトルら、魔法戦士が集まる。手伝いの老婦人シルヴァは戸の傍で静かに佇む。
「戦争の口実にした自治区民の窮状って奴も、今はかなりマシになってるってハナシだ」
アゴーニが湖南経済新聞を示して言った。ゲリラ兵クリューブが、ラクリマリス王国で調達したものだ。
「これ以上は、アーテル人の憎悪を煽り、徒に戦争を長引かせるだけです」
セプテントリオーに同意する者はなく、魔法戦士たちは、岩のような表情で首を横に振る。
「魔哮砲が喪われた今こそ、アーテル軍の基地を直接、叩かなければならないんです」
「ミサイルとかいうモノを打ち込まれたら、どうするんです!」
オリョールとジャーニトルが言うことは尤もらしく聞こえたが、そんな大きな作戦こそ、正規軍の仕事ではないだろうか。
有志ゲリラには、まともに戦える魔法戦士がほんの僅かしか居ない。参加する警備員や用心棒には、魔装兵と同等の魔力を持つ者はなかった。
「魔力なら、志半ばで逝った同志の【魔道士の涙】がある」
ウルトールが葬儀屋を見た。アゴーニは、悲しみを滲ませた声で説く。
「そんなモンで魔力足しても、魔装兵が使うような強力な術にゃ到底及ばねぇ」
復讐に駆られ、戦う術を知らぬまま戦いに身を投じて死んだ者たちは、元々大した魔力がない。【魔道士の涙】に残される魔力は、高が知れていた。
「また何十年も戦争が続けば、常命人種の子供たちは、平和な時代を知らずに一生を終えてしまいます。こんなことを繰り返して、憎悪の歴史を重ねては……」
「呪医、あんた、一族を皆殺しにされて、許す気になるのに何年掛かった?」
用心棒ウルトールが地を這うような声で問う。
長命人種のセプテントリオーは答えに窮した。
許したのではない。
半世紀の内乱中は、ラキュス・ラクリマリス共和国が幾つもの陣営に分断され、互いに血を流した。
どの陣営の誰が、一族の生命を奪ったか、敵が多過ぎてわからない。憎しみをぶつける相手を見失い、憎んでも彼らが甦る訳ではないと、諦めただけだ。
多くの人が復讐に身を投じ、殺し合う様に呪医として無力感を覚えた。そこから立ち直ることさえ、数十年を要した。
セプテントリオーが答えられずに俯く。ウルトールは大地の色の瞳を翳らせ、吐き捨てた。
「俺たちゃあんたと違って毎年老けるんだ。残りの寿命全部使っても許せる日なんざ来ねぇよ」
「だがなぁ、今のやり方じゃ分が悪ぃ。戦える奴だけでも、正規軍に合流しちゃどうだ?」
アゴーニの提案に湖の民ジャーニトルが緑の目を伏せた。
闇色の髪を掻き上げ、パーリトルが言う。
「正規軍は今、魔哮砲の回収で躍起になってる。それに防空にも人手を回さにゃならん。アーテル本土を叩くなんて無理だ」
警備員オリョールが、諦め顔で言った。
「呪医、今までのご協力、有難うございました。我々は、最後の一人が死に絶えるまで、アーテル軍への抵抗をやめません」
他の魔法戦士たちが力強く同意を示す。戸口で老婦人までもが小さく頷いた。
あれ以来、アーテル本土の隠れ家は軍の強襲を受け、一カ所を残して壊滅した。
この治療拠点と食糧などの補給拠点、手伝いの老婦人シルヴァが情報収集に使う老人宅も含め、残ったのは四カ所しかない。
「アーテル軍から武器をかっぱらうのは危ねぇ。ネモラリス軍に合流して、呪符か何かもらってきた方がいい」
アゴーニの提案に同意したのは、湖の民ジャーニトルだけだ。
警備員オリョールが首を横に振る。
「分けてもらえるワケないでしょう」
「国内で発生した魔物の駆除で、呪符屋は手いっぱいだって聞きましたよ。物資不足で素材も足りないし」
パーリトルにも言われ、アゴーニが頬を掻く。
セプテントリオーは顔を上げ、言葉を絞り出した。
「協力はやめませんが、私は、みなさんに無駄死にして欲しくないのです。できれば、生きて帰って」
「生きて帰ったって、家も家族も、何もないんだ。帰ったって、誰も待っ……」
遮ったウルトールが声を詰まらせる。堪え切れずに零れた涙が、白くなる程強く握った拳を濡らした。シルヴァが前掛けで目頭を押さえる。
半日掛けて話し合ったが、平行線に終わった。
魔法戦士たちはアーテル本土の拠点へ【跳躍】し、ここにはいつも通り、負傷者と呪医たちだけが残される。
セプテントリオーは、魔法戦士は戦う力を持つが故に説得に応じないのだと見切りをつけ、患者の説得に病室へ向かった。
診察しながら、ネモラリスの故郷へ帰るよう説くが、首を縦に振る者はない。
「呪医、もういいじゃありませんか」
シルヴァの声に驚いて振り向く。手伝いの老婦人は、悲しげな微笑を浮かべ、寝台に横たわる負傷者たちを見回した。
「この人たちはみんな、生きる希望を失くしたんです。何もかも一遍に喪って、でも、大した力がないから、何もできない」
「帰って、復興の手伝いをして、孤児を引き取って育てるって生き方もあるぞ」
葬儀屋アゴーニが反論する。
シルヴァは首を振り、薄く笑った。
「何もかも失くした貧乏のどん底で、他所の子を引き取って育てるなんてムリですよ」
「いや、でもな、だから、役所が色々手当てを……」
「この人たちはね、死に場所を求めてここへ来たんです。……ねぇ?」
老婦人が葬儀屋の話を遮り、患者たちが微かに顎を引く。
シルヴァは二人に勝ち誇った目を向け、言い放った。
「ここで死ねば、【魔道士の涙】になった後も、復讐に使ってもらえるんです。誰が今更、島へ帰るものですか」
「みなさんは、本当に……」
「婆さんの言う通りだ」
「俺たちゃもう、生きてても仕方ねぇ」
「何もしないで帰って、残りの寿命を後悔ですり減らして終わるくらいなら、こんな命、惜しかねぇんだ」
意識のある患者たちが、湖の民セプテントリオーに皆まで言わせず口々に決意を語り、その唇が淋しい笑みに歪む。
呪医セプテントリオーは、彼らの目を蔽う深い闇を拭い去る術を知らなかった。
修めた【青き片翼】学派の術は、身体の傷なら癒せるが、魂の傷は癒せない。
死者の魂が迷わぬよう冥府へ導く葬儀屋アゴーニが、首から提げた【導く白蝶】の徽章を握りしめた。
希望を失った者は死んだも同然だが、まだ生きて自らの意志を持つ。絶望の闇に閉ざされた目は、復讐する敵の他には何も映さず、説得の声も聞こえない。
家、家族、友、職、財産、故郷。喪ったものは二度と還らない。
喪失と同じ数だけ未来の可能性を捨て、暗闇の中で復讐以外の目的を見失った。
身体の傷を癒しても、何度でも武器を手にアーテルで己と同じ復讐者を産む。
ランテルナ島の森にあるこの拠点は、アーテル軍の攻撃では決して陥落しない。ここが無事である限り、ネモラリス人有志ゲリラの抵抗が止む日は来ないだろう。
呪医と葬儀屋には、憎悪と悲しみに縛られ死地へ赴く彼らを説得できる材料がなかった。
☆アーテル軍のミサイル攻撃/防空艦レッスス轟沈……「0272.宿舎での活動」「0274.失われた兵器」参照
☆湖南経済新聞など中立国に本社を置く報道機関……「0144.非番の一兵卒」「0239.間接的な報道」参照
☆戦争の口実にした自治区民の窮状……「0078.ラジオの報道」参照
☆今はかなりマシになってる……「0156.復興の青写真」→「0276.区画整理事業」参照
☆あれ以来、アーテル本土の隠れ家……「0269.失われた拠点」参照
☆老婦人シルヴァが情報収集に使う老人宅……「0269.失われた拠点」参照
☆ネモラリス人有志ゲリラの活動……「0254.無謀な報復戦」「0261.身を守る魔法」参照
☆この拠点は、アーテル軍の攻撃では決して陥落しない……「0254.無謀な報復戦」参照
▼【導く白蝶】学派の徽章
▼【青き片翼】学派の徽章




