0278.支援者の家へ
行く手の細道に雑妖が蹲る。クラピーフニク議員が力ある言葉で何事か唱えると、慌てて逃げ出した。
二人は、雑妖を追い払ったビルの隙間の細道を抜け、一軒の民家の庭先に出る。
若手議員が、固く閉ざされた鉄の門扉を前に呪文を囁いた。次いで、普通の声で呼掛ける。
「スニェーグさん、スニェーグさん」
その声は庭の奥、家の玄関前から聞こえた。何の術かしらないが、ここで大声を出すよりずっといい。
ラクエウス議員は、聞かなかったことにして周囲を窺った。この家は周囲から隔絶され、両隣のビルにも灯はなく静かだ。来た道を振り向くと、街灯が小さく見えた。
ややあって扉が開き、雪のような白髪を頂く男が小走りに出てきた。
「クラピーフニク君、よくぞ無事で……こちらは?」
「ラクエウス先生です」
「この方が……ともかく中へ」
老人は門扉を開け、深夜の訪問者を招じ入れた。金属の鍵を掛けた上から術を掛け、念入りに施錠する。
寝間着姿の老人は、二人を台所へ案内して食卓に座らせた。術で湯を沸かし、手早く淹れる。座って二人に茶を勧め、質問した。
「逃げ出せたのは、お二人だけですか?」
「いえ、両輪の軸党の方々が中心になって行動を起こしてくれたんです。我々はそれに便乗しただけです」
「その人たちは?」
「わかりません。兵と戦闘になったので……他にも便乗した人がいるかもしれませんし」
老人は成程と頷いて、紅茶を一口啜った。
クラピーフニク議員が申し訳なさそうに頭を下げる。
「ここにも手配が伸びるかもしれません。ご迷惑をお掛けします」
「なぁに、構わんよ。私も早く戦争を終わらせたいからね」
ラクエウス議員は話が途切れるのを待って、クラピーフニク議員に聞いた。
「この方は……?」
「あっ、ご紹介が遅れてすみません。リャビーナ市民楽団のピアニストの方で、僕の支援者です」
「スニェーグとお呼び下さい」
クラピーフニク議員の紹介を受け、雪白の頭を下げる。
「スニェーグさん、こちらはリストヴァー自治区選出の国会議員の先生です」
「議員としては、ラクエウスと呼ばれ、昔を知る身内などからは、ハルパトールと呼ばれております」
ピアニストのスニェーグは、ラクエウス議員が抱えた竪琴を見て頷いた。
ここもいつ、捜索の手が及ぶとも知れない。三人は早速、情報交換した。
クラピーフニク議員が、魔哮砲が兵器化した魔法生物であること、防空艦が何らかの攻撃で沈められ、魔哮砲が行方不明になったことを告げる。
スニェーグが顔色を変えた。
彼の口からは、国連が兵器の査察団を派遣したこと、ネモラリス政府が“青い薔薇の森”の査察団員を誤魔化したこと、市民有志が行う草の根レベルの平和活動が知らされる。
有志の活動は、難民化した罹災者への支援、アーテル領内でのゲリラ戦防止、市会議員や国会議員への働き掛けだ。
全てを失った者も、生活の不安が減り、守るものができれば、ゲリラに身を投じることに躊躇する可能性がある。
具体的な活動は、自殺抑止の期待も籠めて、仮設住宅の建設と、飼い主を失った犬猫の飼育委託を推進した。
仮設入居者に飼育を委託し、手数料として本人の食糧とペットフードを届ける。配達を装った定期訪問は罹災者の「見守り支援」も兼ねた。
他にも就労支援や医療、心療の支援も行う。
それらの費用は、寄付と週末コンサートの収益で賄われた。
「コンサートの最後には、必ず、教えていただいた民族融和の曲を演奏させていただいております」
「こちらこそ、有難うございます」
市民レベルでは、これ以上できることはない。
この戦争はそもそも、アーテル側がいきなり吹っ掛けたものだ。ネモラリス人の大半は、戦争の継続を望まない。特に、半世紀の内乱を知る世代の厭戦感は強かった。
新聞などの世論調査では、アーテル討つべしとの強硬論は三割にも満たず、正規軍の士気も決して高くはない。
「そもそも、頼んでもせんのに“自治区のキルクルス教徒を救う”との名目だった筈だ。今、リストヴァー自治区は」
ラクエウス議員には、地元の様子もわからない。
スニェーグが、報道と財界の知人から聞いた話を語った。
「自治区に工場を置く大企業と、アルトン・ガザ大陸のキルクルス教国が、寄付金や物資を集めて、区画整理事業を進めていますよ」
大火でバラック地帯の八割が焼失した。
これを機に災害に強い街に造り変えると言う。既に道路や淡水化プラント、下水処理場、教会や学校などの建設が進む。生存者の仮設住宅への入居は、つい先日、完了したらしい。
交通、公衆衛生、浸水対策、水資源、住宅の問題が、一気に解決しつつあった。
「成程な。バラック街の生活が向上すれば、アーテルが戦争を継続する口実もなくなる」
ラクエウス議員は、長年の悲願でありながら成し遂げられずにいた事業が、星の標による放火の結果、成されたことが悔しかった。
星の標は、星の道義勇軍のテロに対するゼルノー市民の報復と見せ掛け、多くの自治区民をその手で焼き殺して、過密人口を解消したのだ。
復興支援する大企業がどこまで事情を知り、どんな意図があるか読めないが、これが終戦に繋がるなら、今はこのまま全力で進めるしかない。
あまりにも多くの犠牲が払われた。
今度こそ、恒久の平和を打ち建てなければ、生命を奪われた無辜の民に申し訳が立たない。
三人は夜明けまで、これから為すべきことを話し合った。
☆魔哮砲が兵器化した魔法生物……「0241.未明の議場で」「0247.紛糾する議論」「0248.継続か廃止か」参照
☆防空艦が何らかの攻撃で沈められ、魔哮砲が行方不明……「0272.宿舎での活動」「0274.失われた兵器」参照
☆国連が兵器の査察団を派遣/ネモラリス政府が青い薔薇の森の査察団員を誤魔化した……「0269.失われた拠点」参照
☆教えていただいた民族融和の曲……「0268.歌を探す鷦鷯」参照
☆この戦争はアーテルの側が突然、吹っ掛けた/頼んでもせんのに“自治区のキルクルス教徒を救う”との名目……「0078.ラジオの報道」「0213.老婦人の誤算」参照
☆区画整理事業……「0156.復興の青写真」「0276.区画整理事業」参照
☆大火でバラック地帯の八割が焼失……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照




