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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第十四章 喪失

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0277.深夜の脱出行

 ラクエウス議員は動きやすい服装に着替え、息を殺して時計を見詰める。

 鞄をたすき掛けにし、竪琴を手にして事が起きるのを待った。


 鞄の中身は、保存食と新聞をまとめたノート。

 竪琴は、彼が「ハルパトール」と呼ばれ、十代半ばから勤めたラキュス・ラクリマリス交響楽団時代からの愛用品だ。

 耳には濡らしたティッシュを固く絞って詰めてある。


 常命人種の平均を大きく超え、九十年以上生きたが、まだ為さねばならぬことがある以上、ここで寿命が尽きるのを座して待つワケにはゆかない。

 常命人種でも、力ある民ならば、百五十年近く生きる者も居るが、ラクエウス議員も姉のクフシーンカも、いつ召されてもおかしくない程の高齢だ。


 もう、存命中に姉と再会できる日は来ないだろう。

 ここを無事に出られても、ラクエウス議員には、リストヴァー自治区に帰る時間的余裕も手段もなかった。


 時計の針が十時を指した。

 いつもならとっくに眠る時間だが、動悸が激しくなる。

 (かす)かに女性の歌声が聞こえた。ティッシュをもう一枚取り、半分に裂いて丸めて耳に詰めた。



 議員宿舎の正面玄関と裏の通用口。二カ所同時に【歌う鷦鷯(ミソサザイ)】学派の術者が、魔力を蓄積させたサファイアを握り、眠りをもたらす呪歌を(うた)うのだ。

 行方不明になった魔哮砲の捜索で、見張りの魔装兵の大部分が一般兵に替わり、見張り全体の数も減った。

 恐らく、彼らではサファイアで強化した呪歌に抗しきれまい。



 十時五分。

 ラクエウス議員はそっと立ち上がり、ドアスコープを覗いた。帽子を被った後頭部が見える。護衛を兼ねる見張り兵は、まだ眠らずに立つ。


 十時十二分。

 兵が動いた。廊下の手すりに駆け寄り、中庭を見下ろす。

 何事かと各階の扉が次々と開く。銃声が響いた途端、固く閉ざされた。

 室外に居るのは、今夜の作戦を知る者と、混乱に乗じて逃れようと行動を起こす者、議員の逃走を阻止せんとする兵たちだ。


 ラクエウスの耳にも、呪歌の高音部が途切れ途切れに届いた。指で耳を強く押さえ、懸命に聞くまいとする。

 今頃は、二カ所の出入口に掛けられた【一方通行】の術を【舞い降りる白鳥】学派の術者が、強制的に解除した筈だ。



 寄り掛かった扉をコツコツ打つ者がある。

 そっとドアスコープを覗く。クラピーフニク議員の緊張した顔があった。急いで鍵を開ける。

 彼も小さな鞄だけを肩に掛け、耳栓を外すよう手振りで示す。ラクエウス議員が応じると、若手議員は早口に囁いた。


 「兵は、まだ何人か起きてます。歌い手は逃げました」


 ラクエウス議員が細く開けたドアから抜けると、若手議員は空いた手を繋いだ。

 「水を盾にしますが、我慢して下さい」

 頷くと、クラピーフニク議員の後ろに控える水の塊が広がった。身を低くし、廊下の端を行く。



 散発的に銃声が轟き、廊下の常夜灯(じょうやとう)が一斉に消えた。

 二人は息を殺し、廊下の壁を伝って這うように進む。


 「階段です」

 「うむ」

 待ち伏せがあるかもしれない。銃声に身が(すく)む。老いた足を叱咤し、若手議員の足手纏いになるまいと懸命について行く。


 「うわッ!」

 クラピーフニク議員が体勢を崩し、手を放した。階段室は全くの闇で様子がわからない。

 「どこだ? 大丈夫か?」

 「はい。人を踏みました。こっちへ」

 どうやら咄嗟に手すりに掴まって転落は免れたらしい。ラクエウス議員の膝を軽く叩き、手を繋ぎ直して誘導する。



 踊り場の角を曲がると、階段から、淡い光に照らされた中庭が見えた。

 何人も倒れたようだが光量が足りず、服装まではわからない。だが、動くものを発見するには事足りる。

 銃を構えた人影の背後から、誰かが操る水が忍び寄り、あっと言う間に頭部を包んだ。逃れようともがき、照準も合わせず、振り向きざまに乱射する。闇雲に撃った背後には誰もおらず、その兵はすぐに倒れて動かなくなった。


 銀の糸が、庭をぼんやり照らす光に尾を引いて落ちる。

 低く刈り込まれた植込みの灌木を雨が打つ。夕方までは快晴だった。これも、誰かが術で呼んだのだろう。


 正面玄関付近は術の応酬があるのか、目を射る激しい輝きが起こっては消える。


 ラクエウス議員は、クラピーフニク議員に導かれるまま、血臭漂う廊下を抜け、裏の通用口へ向かった。

 静かだ。

 戦闘が既に終了したのか。

 若手議員が左右を見回し、誰も居ないことを確認して頷いた。倒れた者たちに構わず、開け放たれた扉の向こうへ出る。

 雨に打たれ、裏庭を小走りに抜けた。

 倒れた者の輪郭が、街灯で(おぼろ)に滲む。生きて動く者はなかった。


 早くしなければ、周囲を警備する警察官の増援が来る。気は(はや)るが、老議員の足は思うに任せなかった。

 通用門を抜けた直後、クラピーフニク議員が早口に呪文を唱え、老議員の手首を掴む。一瞬の浮遊感の後、ラクエウス議員は知らない場所に居た。



 満天に星々が輝き、街灯のない住宅街を淡く照らす。

 見回すと、背後に小さな児童公園があった。滑り台が星明かりでぼんやり浮かび上がる。

 「ここは……?」

 「実家の近所の公園です。思わず来ちゃいましたけど、すぐ手が回るでしょう」

 クラピーフニク議員は、再び同じ呪文を唱えた。



 「歌の調査をお願いした人の家の近くです」

 先程の街とは違い、民家が申し訳なさそうにビルに挟まる。街灯に照らされた街は静かだ。

 クラピーフニク議員が別の呪文を唱えた。ずぶ濡れの服から水が抜け、あっという間に乾く。

 「さあ、行きましょう」

 「だが、集合場所は港ではなかったのかね?」

 「情報が漏れていたら、一網打尽ですよ」


 そう言われてみれば、確かにその通りだ。一人も残らないよりは、一人でも残って真実を伝えた方がいい。

 ラクエウス議員は、与党から離反した若手議員に従った。


 挿絵(By みてみん)

☆十代半ばから勤めたラキュス・ラクリマリス交響楽団時代……「0214.老いた姉と弟」参照

☆【歌う鷦鷯】学派の術者が(中略)眠りをもたらす呪歌を謳う/今夜の作戦……「0273.調理に紛れて」参照

☆行方不明になった魔哮砲の捜索……「0274.失われた兵器」参照


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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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