0028.運河沿いの道
湖と繋がっているせいか、運河にも魔物が棲んでいた。
レノは群衆を引き離し、ほとんど独走状態で駆ける。
背後で時折、水音と悲鳴が聞こえるが、立ち止まったところで助けられないのでそのまま走った。
ニェフリート運河と並走する道路は、相変わらず途切れることなく車列が続く。
運河は、【魔除け】を掛けた船でなければ通れない。
運河と国道が接する所に開閉式の橋が架かっているが、先程は上がったままで渡れなかった。次の橋はミエーチ区までない。
橋を渡る気のないレノは、運河に沿ってかなり西進した。鉄鋼公園から遠ざかって行く。
不安になったが、足はゆるめない。
車の動きが次第に鈍くなり、やがて、歩くような速度にまで落ちた。この先で何があったのかわからないが、渋滞だ。
……よし、これなら行ける。
レノは運転手に会釈しながら、車列の間を走った。
クラクションを鳴らされても強行突破する。車間距離が詰まり、いつ追突事故が起きてもおかしくない。
……ひょっとして、前が詰まってんのは、それか?
思いながらも、体を斜めにして車の間をすり抜ける。誰もが少しでも戦闘地域から離れたがっていた。
やっとのことで内陸部に入り、レノは東を振り向いた。火勢は衰えるどころか、ますます盛んに街を舐め尽そうとしている。
……消防とか、どうなってんだ? みんな、あいつらにやられちまったのか?
運河から離れて南に向かうと、交通量がぐっと減った。全く知らない街並みが続く。まだ無事だが、人の気配が少ない。
日暮れになっても街灯が点らない。ここもやはり停電していた。家々にも灯が点らない。
時折通り過ぎる車のライトを頼りに、地名の標識を探す。
案の定、レノはジェリェーゾ区を通り過ぎ、ミエーチ区まで来ていた。
……なんだ。やっぱ行き過ぎか。
膝が笑って走れない。もうフルマラソン以上に走っただろう。
汗だくの服が肌に張り付き、風が吹く度に体温を奪われる。吐く息が、車のライトを白く反射した。
ゆるゆる歩き、どこか安全に休めそうな場所を探す。
小さな児童公園に人が集まっていた。
火は焚かず、人々は身を寄せ合って寒さを堪える。
レノは手洗い場の蛇口を捻ってみた。水が出ることに安堵し、冷水で顔を洗って喉を潤す。
エプロンのポケットに入れていた手拭いで手と顔を拭くと、人心地ついた。同時に、どっと疲れが押し寄せる。これ以上、歩けそうにもない。
それに、日没後に一人で屋外に居るのは危険だ。
夜は、魔物や雑妖が我が物顔で闊歩する。
奴らに対抗する術を持たない力なき民にとって、死の世界に等しい。
周囲の家々には灯がなく、普段なら夕飯の支度をする匂いが漂う筈だが、それもない。この地区も既に避難を終えたようだ。
戦火がどこまで広がるかわからない。ラジオで避難の呼び掛けがあった可能性もある。
「兄ちゃん、あんたもこっち入れ」
陸の民の中年男性に呼ばれて近付く。
寒さを凌ぐ十数人の一団は、ビニール紐の大きな輪の中に入っていた。
「これ、俺が作った【簡易結界】。寒さは防げんが、雑妖なら何とかなる。まだ二、三人はいけるから、遠慮しないで入れ」
「ありがとうございます」
この男性が居なければ、公園に身を寄せた力なき民は、朝まで生き延びられないところだ。
レノがビニール紐を跨ぐと、足に纏わりついていた雑妖が、弾き出された。
急に体が軽くなり、レノは改めて雑妖の重さに気付いた。
周囲に会釈し、遠慮がちに腰を降ろす。
人々はレノをあたたかく迎え入れてくれた。
「一人でも多い方が、あったかいからね」
老婆が嬉しそうに言う。
レノはエプロンを外し、肩に掛けて座った。
必死に走って来た為、自分が目にしたことの他、何の情報も持っていない。
レノは、機械いじりが好きなクルィーロが、純粋な科学文明国や科学を重視する両輪の国には「テレビジョン」と言う機械がある、と言っていたのを思い出した。
それなら、映画みたいに映像も同時に見られるから、ラジオよりずっと詳しい情報を大勢の人に伝えられるらしい。
ネモラリス共和国には、ラジオ局はあっても、テレビジョン用の放送局がない。
この状況について正確な情報を得られたところで、無一文になった力なき民には、できることが限られていた。
……朝日が昇ったら、鉄鋼公園に行こう。
家族と幼馴染に合流できることを祈り、抱えた膝に頬を乗せて目を閉じた。




