0275.みつかった歌
ロークが最後の一袋を箱に収めると、拍手が起こった。
学生とアウセラートルだ。薬師アウェッラーナが疲れた顔に微笑を浮かべる。
「お疲れさまでした。これで、彼らが一人前になるまで時を稼げます」
アウセラートルが恭しくお辞儀すると、学生たちも口々に礼を述べた。
膨大な製薬作業から解放され、二人とも安堵のあまり言葉が出ない。
これで、また故郷へ向えるのだ。屋敷の暮らしは確かに安全で快適だが、日々を重ねれば重ねる程、故郷との違いが意識に上り、望郷の念が募った。
ロークには待つ人がなく、帰る家も喪われたが、それでも、故郷は故郷だ。
「かなりお疲れのご様子。今日、明日の二日間はごゆるりとお休み下さい」
契約では、「完成の翌日に出発」だ。
「私共の確認作業に一日いただきます。確認完了を以って契約上の『製薬作業終了日』となりますので」
アウセラートルは、ロークが疑問を口にする前に先回りして、にっこり笑ってみせた。つまり、彼が確認作業を先送りすれば、最長六月半ばまで滞在を延ばせる。
だが、今、はっきりと期限を宣言した。移動販売店プラエテルミッサの一行をだらだら引き留める気はないとの意思表示だ。
ロークは深く頭を垂れ、言葉にできない感謝を表した。
使用人が、レノたちの居る厨房へ報せに行く。
ロークと薬師アウェッラーナも、蔓草班の作業部屋に行った。
みんなは、作業台ではなく窓辺で額を寄せ合う。製薬の終わりを告げると笑顔が弾け、部屋が一気に明るくなった。
「これでやっと、次へ進めるな」
明確に宛のある工員クルィーロが、妹と顔を見合わせる。アマナは、兄に抱きついたが、みんなに遠慮してか、喜びを口には出さない。
少なくとも、この兄妹の父は、ネモラリス島の首都クレーヴェルで無事な可能性がある。
小学生の女の子のそんな気遣いが、ロークには悲しかった。
薬師アウェッラーナが聞く。
「みなさん、今日はどうなさったんですか?」
「歌をみつけたかもしれないんです」
針子のアミエーラが答え、二人を手招いた。
九人も集まると、流石に窓辺はいっぱいだ。
星の道義勇軍の三人が、さりげなく場所を譲り、作業台へ移動する。
アミエーラが、後から来た二人に古ぼけた手帳を開いてみせた。
「子供の頃、祖母と二人で小さな缶に色々詰めて埋めたんです。自治区を出る時に掘り出して、持って来たんですけど」
タイムカプセル的な缶の中身は、幼いアミエーラが入れた他愛ない品の他、祖母の手帳と、この手帳だったと言う。
持ち主不明で、祖母のものとは表紙の色と中の筆跡が異なる。書いてあるのは、最初の数ページだけで、後は白紙だ。
「それで、中身なんですけど……」
ロークと薬師アウェッラーナが、最初のページを覗く。ロークには全くわからない文字だ。
「あぁ、これ【やさしき降雨】の呪文ですよ。レコードに入ってた呪歌」
「天気予報の元々の歌詞ですか」
ロークが確認すると、アウェッラーナは頷いた。もう一人の魔法使いクルィーロもぎこちなく同意する。
アミエーラがページを捲ると、次の見開きには湖南語の整った文字が並ぶ。「この大空をみつめて」の歌詞だ。
「随分、古そうな手帳ですけど、天気予報の歌詞って、昔の人は知ってたってコトですか?」
ロークが聞いてみたが、長命人種のアウェッラーナは首を傾げた。
「さぁ? 私も昔の……平和な頃のラキュス・ラクリマリス共和国時代はよく知らないので」
「でも、このお屋敷の人たちは知らなかったよな。歳、幾つか知らないけど」
クルィーロに言われ、ロークはアーモンドの花の下で歌った日を思い出した。歌詞を求められ、彼らが何十枚も書き写して配ったことも。
レコードの演奏者名は「ラキュス・ラクリマリス交響楽団」とあった。
少なくとも三十年前。半世紀の内乱の後半は、国土が荒廃してオーケストラ演奏の収録どころではなかっただろう。
ロークには、あのレコードが平和な時代の象徴に思えた。
アミエーラが手帳を捲る。
次の見開きは片側だけ、それも途中だ。前のページと同じ筆跡の湖南語で書いてある。
最初の行は、「共和制移行百周年 国営放送百周年記念」で、一行空けて詩のようなものが綴られる。
「えっと、それで、先のふたつがレコードの歌だから、これもそうなんじゃないかって、曲と合わせてたんです」
ファーキルがタブレット端末を操作した。サンルームでレコードから録った音声が、鮮明な音で再生される。
ロークは手帳の詩を目で追いながら、主旋律に耳を澄ませた。
穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える
涙の湖に浮かぶ小さな島 花が朝日に揺れる
「……そう言われてみれば、合ってるような、合ってないような?」
この中で最年長のアウェッラーナは自信なさそうだ。
楽団の演奏は、ラキュス・ラクリマリス共和国時代に収録されたが、歌唱は、何らかの事情で収録できなかったのだろう。
ロークは、国営放送の百周年は知らないが、ラキュス・ラクリマリス王国の共和制移行なら、歴史の授業で習った。今からざっと百八十年くらい前だ。
その「歌を収録できなかった事情」は、半世紀の内乱で歌手が亡くなったからかもしれない。
「ロークさんはどう思います?」
「俺も、『すべて ひとしい ひとつの花』の歌詞じゃないかって思います」
ファーキルに問われ、答えを口にすると、確信に変わった。
レコードの中身は実質、三曲だ。
天気予報のBGM「この大空をみつめて」と、その元になった呪歌【やさしき降雨】、そして「すべて ひとしい ひとつの花」。それぞれのアレンジが何通りも収録してある。
どんな人物が、何故、この手帳に歌詞を認め、アミエーラの祖母の手に渡ったのか、事情は想像もつかない。
「それでね、途中までしかないから、みんなで続き作っちゃおうって」
アマナが自分のノートを広げた。
みんなで出し合った言葉が、幼い字で書き留めてある。まだ、方向性も決まらないらしい。取り留めもない単語がばらばらに並ぶ。
「それとね……」
アマナはノートをめくり、二人に開いてみせた。
欄外に大きく「国民健康体操」とあり、本文の最初の行から詩が綴られる。
「これ、アマナちゃんが?」
「ティスちゃんとファーキルさんと、三人で作ったの」
ロークがファーキルを見ると、少年は照れ笑いを浮かべて説明してくれた。
「戦争は国の喧嘩で、偉い人に仲直りの話し合いをしてもらうには、国民が『もう戦争やめて、みんなで仲良くしよう』って気持ちにならないとムリだからって」
「そこそこ年食ってる奴ぁ、みんな知ってる曲だからな。これに平和を願う言葉を乗せて、みんなに届けようなんざ、なかなか思いつくこっちゃねぇ」
メドヴェージが、作業机の上から紙を一枚取り、ひらひら振ってみせた。
ロークとアウェッラーナが感心して、小学生の女の子を見る。アマナははにかんで言った。
「このお歌をみんなに広めて、ほんの少しでも、仲直りしたい気持ちになってくれたらいいねって」
子供の戯言と笑われるのは承知の上で、小学生たちが悲愴な思いで詩を書いた。
高校生のロークは、その切実な願いに心が震えると同時に自分が恥ずかしくなった。こんな小さい子が、大局を見て、自分にできることを精いっぱい頑張る。
……俺は、自分のことしか考えてなかった。
己の視野の狭さと無力を思い知らされ、ぐうの音も出ない。
「今日、明日が休みになったなら、丁度いい。この歌を練習しよう」
ソルニャーク隊長に反対する者は誰も居なかった。レノ店長たちには、昼食時に話すことにして、歌詞に目を通す。
三人は、人数分の歌詞を用意してくれた。
ネーニア ネモラリス フナリス ラキュスの島よ
ランテルナ アーテル 岸辺も元はひとつ
心を鎮めて 湖畔に立って
新しい日々みつめ みんなと手をつなごう
平和な明日へ 思いを歌にして
みんなの強い願い 謳い続けようよ
勇気を与え はばたく歌ここに
平和な未来の 夢 叶う日まで
ネーニア ネモラリス フナリス ラキュスの島よ
ランテルナ アーテル 岸辺も元はひとつ
悲しい思い出 さあ涙を拭いて
違うとこも含めて 本当の友達
下ろした拳で ひとつの環をつくる
つないだその手で今は 共に目指すひとつ
みんなを信じて 輝く歌ここに
平和な未来の 夢 諦めないよ
魔力 あっても なくても ひとつの民よ
樫と 星の道 湖 陸も仲間
これから作ろう 幸せな笑顔
いつまでも続く日々を 心から願おう
すべてはひとつ 等しく大切な
みんなで 謳おうよ 心からこの歌を
希望を与え はばたく歌ここに
平和な未来の 夢 叶えようよ
幸せな明日の 花 咲かせようよ
戦争中のネモラリス共和国とアーテル共和国だけでなく、ラクリマリス王国も入る。
元は、ひとつの国だった。両国に挟まれ、無関係でいられる筈がない。既にロークたちのような戦争難民の流入で、影響が出た。
立場的にも、両国の仲裁役に最適だ。
今の移動販売店見落とされた者のみんなには何の力もなく、ラクリマリス王国政府が、和平協議の場を用意してくれる日を願うことしかできない。
……そうなんだよな。この歌を広める手伝いくらいしか、できないんだ。
ロークには、これに効果があるとは思えない。
そもそも、この歌をどうやってアーテル側に届けるのか、何の手段も思い当たらなかった。僅かでも、ネモラリス人の厭戦感を煽れたなら、御の字だ。
アーテルの目的が、リストヴァー自治区に押し込められたキルクルス教徒の救済なら、彼らを引き渡した方が現実的だ。
どちらの国からも、その話は出ないのだろうか。
ファーキルがタブレット端末を操作した。鋭いホイッスルに続いて、国民健康体操のBGMが流れる。
ロークたち九人は、歌詞を読みながら主旋律を追った。
☆帰る家も喪われた……「0096.実家の地下室」参照
☆兄妹の父はネモラリス島の首都クレーヴェルで無事な可能性……「0040.飯と危険情報」参照
☆子供の頃、祖母と二人で小さな缶に色々詰めて埋めた/自治区を出る時に掘り出して、持って来た……「0101.赤い花の並木」「0102.時を越える物」参照
☆祖母の手帳とこの手帳……「0252.うっかり告白」参照
☆【やさしき降雨】の呪文/レコードに入ってた呪歌/天気予報の元々の歌詞……「0178.やさしき降雨」「0220.追憶の琴の音」参照
☆「この大空をみつめて」……「0170.天気予報の歌」参照
☆ロークはアーモンドの花の下で歌った日……「0262.薄紅の花の下」「0263.体操の思い出」参照
☆歌詞を求められ(中略)書き写して配った……「0267.超難問と兄妹」参照
☆レコードの演奏者名……「0178.やさしき降雨」参照
☆サンルームでレコードから録った音声……「0270.歌を記録する」参照
☆彼らを引き渡した方が現実的……「0165.固定イメージ」「0176.運び屋の忠告」「0213.老婦人の誤算」参照




