0273.調理に紛れて
「ようこそ。こんなご時勢だから具は少ないですがね。せめて味くらいはよくしたいものです」
両輪の軸党のアサコール党首が、無所属のラクエウス議員と与党「秦皮の枝党」のクラピーフニク議員を笑顔で迎える。他は、党首の護衛兼監視役の兵と両輪の軸党の議員四人だ。
ガムの情報が事実なら、軍にとって、否、ネモラリス共和国にとって一大事だ。それでも、それなりの野党勢力を束ねるアサコール党首からは監視が外れない。
議員七人に対して監視は一人。情報交換の好機だが、料理教室の参加者がどんな手段を使うか、ラクエウス議員には想像もつかなかった。
「本日の講師は、モルコーヴ議員だ」
「よろしくお願いします。今日は兵隊さんが急に減ってしまいましたので、たんと召し上がって下さいね」
「こちらこそ、何分、初心者なもので、お手柔らかにお願いするよ」
「よろしくお願いします!」
ニンジンのような赤毛の女性議員と挨拶を交わし、新入り二人は持参したエプロンを着けた。
講師のモルコーヴ議員は、早速二人を台所に案内する。部屋主のアサコール党首も、エプロンを着けてコンロの前に立った。
兵と残りの議員が食卓に落ち着く。
クラピーフニク議員が首を傾げた。
「彼らは味見係なんですよ。ご覧の通り、台所が狭いものですから」
党首の言う通り、調理場は四人並ぶといっぱいだ。
食卓で待つ四人の視線を背に受け、モルコーヴ議員が冷蔵庫から野菜を出して蛇口を捻る。
「まずはお野菜をしっかり洗って下さい。特にジャガイモは、芽の窪みに土が詰まってますから、念入りに。よーくご覧下さいましね」
モルコーヴ議員は、キルクルス教徒のラクエウス議員に目配せして、呪文を唱えた。水道から流れる水がくにゃりと曲がり、宙に溜まる。
赤毛に白いものが混じる女性議員が芋を入れると、水が渦を巻いた。水流が規則性を持って変化し、芋の動きが文字を成す。
まこうほう ゆくえふめい
ラクエウス議員が、素知らぬ顔で質問する。
「しかし、儂は魔法がダメなんだ。どうすればいいのだね?」
「あら、そうでしたわね。ごめんあそばせ。ラクエウス先生は、ボウルで水を受けて、中で手洗いなさって下さいな」
モルコーヴ議員は、土付きのニンジンをボウルに入れて手渡し、老議員に場所を譲る。水がジャガイモを解放し、調理台に置かれたボウルに積み上げた。
ラクエウス議員は、クラピーフニク議員を横目で見た。表情に変化がない。流水の文字に気付かなかったのだろうか。
ラクエウスは、ニンジンをペンのように動かし、水中で返事を書いた。
ガムでよんだ
「そうそう。その調子。ニンジンも土付きですから、念入りにお願いしますね」
それ以外に伝えるべきことはなく、手でこすって土を洗い落とし、ジャガイモと同じボウルに積んだ。
「僕は、何をすればいいですか?」
「クラピーフニクさんは、タマネギを剥いて下さい」
後は普通に具材を切り、軽く炒めて水を足し、煮込む。モルコーヴ議員の解説はわかりやすく、料理のコツがよくわかった。
「アク取りもしっかりなさって下さいね。お玉でこう……掬って捨てて下さい」
モルコーヴ議員が、鍋の表面に浮いて塊を成す泡を掬って捨て、コンロの火を弱めた。アクの発生が収まった鍋にお玉を深く入れ、文字の形に動かす。
ぼうくうかん きえた のりくみいん ぜんいん ふめい
「次、僕、やってみていいですか?」
「どうぞ。あんまり深く入れると、美味しい出汁まで捨ててしまいますから、浅く、薄くですよ」
「はい」
クラピーフニク議員も、お玉で文字を書いた。
べつのけいろでしった ぐんは まこうほう そうさくちゅう
「そうそう。お上手ね。シチュー、得意だったかしら?」
「いえ、切って焼くだけで、こんなちゃんとした料理は全然……」
「そう。スープ類は、お野菜がたっぷり摂れて身体にやさしいですから、お勧めですのよ」
ルウとスパイスを入れた後は、豆乳を足して弱火でじっくり煮込む。
「では、そろそろこしらの作業を始めましょう」
アサコール党首は、調理台の反対側でせっせと粉類を量り、篩に掛ける。お菓子作りは計量が最も重要で云々と解説を始めた。
講師のモルコーヴ議員が、室温でやわらかくしたバターに砂糖を加え、ヘラで練る。その手元はやはり文字を書いた。
こんや じゅうじ はくちょう まいおり とびら ひらく
卵黄とふるった小麦粉も追加して更に混ぜる。
「これも混ぜ方にコツがあるのかね?」
「えぇ。粉がダマにならないように、しっかり、さっくり混ぜて下さい」
「こんな具合だ」
アサコール党首が、説明するモルコーヴ議員からヘラを受け取り、文字を書く。
ミソサザイのこもりうた きかぬよう みみをふさげ
「卵の白身はどうするんですか?」
「後でメレンゲを作りますから、冷蔵庫に仕舞って下さい」
「わかりました」
モルコーヴ議員の指示で、クラピーフニク議員がボウルにラップを掛けた。
食卓を振り返る。味見役は、監視兵も一緒になって、食紅のペンで耐熱紙に何か書く。「大吉」「大凶」「今日のラッキーナンバーは十」「健康アドバイス 睡眠しっかり」「開運アドバイス 戸締りしっかり」……占いの文言だ。
「おいおい、それじゃ、単なる防犯標語だろ」
「だって【予言する星鴉】じゃないんだし、仕方ないだろ」
軽口を叩き、何やら楽しそうだ。
クラピーフニク議員が生地を混ぜるヘラで文字を綴る。
まそうへい しゅくしゃ のこり さんにん
「クラピーフニク君は、なかなか筋がいいな」
「いえ、それ程でも……」
「生地を混ぜて捏ねるのは、こう見えて力仕事ですからね。一流の菓子職人には男性が多いんですのよ」
アサコール党首とモルコーヴ議員が褒めたのは、勿論、青年議員クラピーフニクの情報収集力だ。
隠蔽の為、ラクエウス議員も交替で混ぜた。次に替わったモルコーヴ議員が、地元で評判の菓子店の話をしながら生地に書く。
ゆうし ないぶ じゅうななにん あなたがたは?
「成程ねぇ。儂もその店に行ってみたいもんだが……魔法で作るのかね?」
「えぇまぁ……」
「大抵の工場もそうですし、気にしても仕方ありませんよ」
クラピーフニク議員に言われ、ラクエウス議員は頷いた。
今は脱出できるなら、魔法の力を借りるのも致し方ない。
「取り寄せはできないんですか?」
「このご時勢でしょ?」
「戦争、早く終わらないかなぁ」
クラピーフニク議員が心底がっかりしてみせる。ヘラがアサコール党首に渡り、彼も短文を書いた。
ここを でたら みなとへ ともにいって せんそうを おわらせよう
三人が頷き、講師役のモルコーヴ議員が締め括った。
のし台に打ち粉し、捏ね上がった生地を置く。麺棒でのして折り畳み、ラップで包んで冷蔵庫で休ませる。
「生地はこれで完成。シチューもでき上がりました。後は食後にしましょう」
食卓を片付け、完成したシチューとパンを並べる。まず、兵が解毒薬を片手に毒見をした。
「初心者がお二人入っても、いつも通りに美味しいです」
「おだてたって、何も出ませんよ」
笑いが弾け、和やかに昼食会が始まった。
この監視兵は一般兵だ。魔装兵程ではないにせよ、戦闘系の術を修めた魔法戦士に変わりない。【花の耳】はないが、当たり障りのない話題に終始した。
昼食の片付けは、味見係の議員とアサコール議員がした。
恐らく、皿を洗う水流で情報交換するのだろう。食卓からは四人の背に遮られ、水の動きは見えない。
……巧いことを考えたものだな。
ラクエウス議員は感心した。食後のお茶は香草茶だ。その芳香に気持ちが和む。監視兵もすっかり寛いだ様子だ。
食休みの後はアサコール党首とモルコーヴ議員、ラクエウス議員、クラピーフニク議員が、クッキー生地をのばし、同じ大きさに切り揃えた。
残り三人の議員と監視兵が、小さく折り畳んだ籤の紙を中央に置き、生地を三角に折って端を軽く押さえる。後は焼くだけの物を天板に敷いたクッキングペーパーに並べた。
「メレンゲ作りは、魔力ではなく、体力勝負です。兵隊さんもいかが?」
「いえ、自分は遠慮させていただきます」
兵が食卓に戻る。
フォーチュンクッキーは情報交換を危惧し、監視の為に手伝ったのだ。
……成程な。
いかにも怪しい行動があれば、そちらに注意が向く。本命から気を逸らす巧いやり方だ。
「最初は、卵白だけで泡立てます。全体が泡になったところでお砂糖を入れて、しっかりキメ細かく泡立てます」
講師のモルコーヴ議員がボウルを抱え、泡立て器をカシャカシャ動かす。素早過ぎて手許が見えない。
「こんな感じです。お次はスマーフさんどうぞ」
一式渡された男性議員は、ぎこちない手つきで泡立て器を動かす。議員たちがスマーフ議員を囲み、手元を覗き込んだ。
「モルコーヴ先生と随分、違いますな」
「そんな難しいんですか?」
クラピーフニク議員が、「アーテル えんかくこうげき ぼうくうかん ごうちん」の文字を読み取って聞くと、スマーフ議員は肯定した。
「うん。そうなんだ。モルコーヴ先生は簡単になさるが、あんまり勢いよくやると、こぼれるだろう。加減が難しい」
「あぁ……それでは、折角の泡が潰れてしまいます。もっとやさしく」
それを受け、モルコーヴ議員が先程よりゆっくり泡立て、文字を書く。
くわしくはここをでてから
「成程ね。もう一回」
スマーフ議員が再度、泡立て器で卵白に書く。
こんや じゅうじ みみせん わすれずに でたら みなとへ
小さく頷き、後は交替で泡立てた。
☆ガムの情報……「0272.宿舎での活動」参照
☆【花の耳】……「0136.守備隊の兵士」参照




