0267.超難問と兄妹
傷薬は、手伝えることが壺に蓋するくらいしかないと言われ、クルィーロたちは蔓草班に加わった。
午前中は、蔓草から余分な枝葉を取り除き、午後からは、ソルニャーク隊長たちに教わりながら細工物を作る。
簡単そうに見えたが、いざやってみると、なかなか難しい。メドヴェージに一番簡単だと言われた鍋敷きさえ、できあがったものはガタガタに歪んだ。
レノたちパン屋の三兄姉妹は、厨房を手伝いながら調理技術の向上を図る。
おやつのクッキーとパウンドケーキは、トラックで作った物とは比べ物にならないくらい美味しかった。ゼルノー市の椿屋で販売した菓子と同じくらい、いや、それ以上の出来栄えだ。
……まぁ、行商に戻ったら、ちゃんとした厨房じゃないから、またやり難くなるんだろうけどさ。
いつまでも移動販売を続けるワケではない。
ネモラリス島へ渡れば、どこかの店に住込みで雇ってもらえなければ、住むところさえないのだ。レノたちの腕が錆びつかないよう、きちんとした厨房で、できるだけ経験を積ませてやりたい。
蔓草班の作業部屋がノックされる。
……来たか。
クルィーロが席を立って応答する。すっかり顔馴染みになった女中だ。
「遅くなってゴメンね。希望を聞いて回るのに手間取っちゃって」
「いえいえ。こちらこそ。報酬、先払いしてもらっちゃって……」
「いいのよ。あの子たち、よく働いてくれるから、却って申し訳ないくらいよ。助かってるし。逆にお礼したいくらい」
女中は笑いながらクルィーロに紙束とペンとインクを手渡した。一番上には何が何枚必要か、一覧が乗る。
「急がないし、書き損なったら裏にでも書いてくれていいから」
女中はそう言い置いて、自分の仕事に戻った。
一覧は「この大空をみつめて」の歌詞の希望枚数だ。
ラキュス・ラクリマリス共和国時代、国営放送の天気予報のBGMだった。パンの行商用に作った替え歌の希望者も何人か居る。
先日、移動販売店プラエテルミッサの面々の歌を聞いた使用人から、教えて欲しいと頼まれ、クルィーロは交換条件を出した。レノたちパン部門の三人に厨房で料理の練習をさせて欲しい、と。
使用人が料理長に話を通し、料理長は快く指導を引き受けてくれた。
それから、クルィーロはレノに「厨房で料理の練習をさせてくれるってさ」と話した。椿屋の三人が気を遣うといけないので、使用人と蔓草班のみんなには、指導料の件を口止めしてある。
クルィーロは、すっかり覚えた歌詞を書く。全部で三十四枚、無心に書いて手が痛い。
夕飯前には何とか終わった。
呼びに来た女中に渡すと、彼女は数を確認し、にっこり笑って頷いた。
クルィーロはホッとして、肩凝りも吹き飛んだ。
これで、ここを出るまで、レノたちは本業であるパン屋の腕を磨ける。
夕食のパンはレノが焼いたと言う。
当たり前の話だが、間に合わせで作った【炉】とフライパンで作るより、形がキレイで味もよく、ふっくらふかふかの焼き上がりだ。
メドヴェージと少年兵モーフが絶賛し、他のみんなも口々に褒める。
レノたちは照れて謙遜するが、美食に慣れたアウセラートルにまで褒められて、すっかり恐縮してしまった。社交辞令かもしれないが、悪い気はしないだろう。
「レノ店長の椿屋さんって、ゼルノー市内でも安くて美味しいって、評判のお店なんですよ」
ロークが言うと、レノが「またまた、そんな」と謙遜する。
セリェブロー区民のロークは、意外そうに言った。
「ホントに知らないんですか? 俺、スカラー区とジェリェーゾ区とグリャージ区の友達から美味しいって聞いて、買いに行ったことあるんですよ」
「えっ、そうなんだ? わざわざ、ありがとう」
「実際、美味しかったですし、ミエーチ区の知り合いも、美味しいから時々買いに行くって言ってましたよ」
パン屋の兄弟が目を丸くして顔を見合わせる。どうやら、本当に店の評判を知らなかったようだ。
クルィーロは呆れた。
「レノ、自分ちの店、どう思ってたんだ?」
「えっ? どうって、普通だよ。近所の人と、通勤通学の人が通りすがりに買ってくもんだとばっかり……」
確かに、店は国道沿いにあったが、ロークの言う通り、それだけではなかった。
その椿屋はもうない。
メドヴェージと少年兵モーフが暗く沈む。
ソルニャーク隊長はずっと表情を動かさず、静かに遣り取りを見守った。
食後は、それぞれが割り当てられた寝室に分かれる。
クルィーロと二人きりになり、ベッドに入ると、アマナが言った。
「お兄ちゃん、ティスちゃんちのお店、どうすれば元通りにできるの?」
「どうって……まぁ、カネはたくさんあった方がいいだろうな」
土地は兎も角、店を再建するのに資材代と大工の賃金が必要だ。復興で需要が急増するから、どちらも当分は高騰するだろう。
それ以前に、政府の立入制限が解除されないことには帰れない。
「うん。まぁ、でも、何もかも、戦争が終わってからだな」
「戦争……どうやれば、終わるの?」
小学生の妹に問われ、工員クルィーロは答えに窮した。
そもそも何故、アーテル共和国が今更あんな理由で宣戦布告し、国連から脱退してまで戦闘を続けるのか、理解できない。
ネモラリス共和国のラジオでは連日、【魔哮砲】でアーテル・ラニスタ連合軍の爆撃機を全て迎撃し、空襲を防いだと報じた。
アーテル軍の戦力では、ネモラリス軍の防空を突破できず、徒に戦力を消耗する。アーテル本土は、ラクリマリス王国の湖上封鎖に守られるようなものだ。
ここに来てからはラジオを聞く暇もなかった。
戦争が終わったり、戦況が大きく変わったなら、アウセラートルか使用人が教えてくれるだろう。
……そういや、【魔哮砲】が魔法生物だとか言ってた件、どうなったんだ?
「ねぇ、お兄ちゃん、戦争って、どうすれば終わるの?」
「ん? うーん、そうだなぁ、戦争って国同士の喧嘩みたいなもんだから、仲直りできればいいんだけどな」
「どうすれば仲直りできるの?」
難しい質問に苦笑する他ない。
「両方の国の偉い人たちが話し合って、仲直りできればいいんだけどな」
「ふーん。歴史の教科書に載ってたみたいに、ご近所さんの国の偉い人と一緒に会議すればいいの?」
クルィーロは感心した。アマナは兄が思うよりずっと勉強家らしい。
だが、事はそう簡単にはゆかない。
「よく知ってるな。そうなんだけど、まず、話し合いできる状態じゃないっぽいんだよな」
「どうして?」
「どっちの国の人もブチ切れてて、今は無理そう」
アマナはどこか遠くを見る目をして黙った。
質問攻めから解放され、クルィーロがこっそり溜め息を吐く。
うとうとしかけた頃、アマナがぽつりと言った。
「今はできるコトをするしかないよね」
「そうだな」
クルィーロは半分寝ながら答えた。
「私、明日から、歌詞いっぱい書くよ」
「……そうか」
「ここの人も、前の街の人も懐かしいって、いっぱい交換品くれたし、今の内にいっぱい書くの」
「そうか。あんまり無理すんなよ。さ、もう寝よう」
クルィーロが抱き寄せると、アマナは小さく頷いてすぐに寝息を立て始めた。
☆傷薬は、手伝えることが壺に蓋するくらいしかない……「266.初めての授業」参照
☆「この大空をみつめて」の歌詞……「0170.天気予報の歌」参照
☆パンの行商用に作った替え歌……「0210.パン屋合唱団」参照
☆先日、移動販売店プラエテルミッサの面々の歌を聞いた使用人……「0263.体操の思い出」参照
☆レノ店長の椿屋さん……「0021.パン屋の息子」参照
☆友達から美味しいって聞いて、買いに行った……「0034.高校生の嘆き」参照
☆アーテル共和国が今更あんな理由で宣戦布告(中略)国連から脱退……「0078.ラジオの報道」参照
☆ラクリマリス王国の湖上封鎖……「0127.朝のニュース」「0144.非番の一兵卒」「0154.【遠望】の術」「0161.議員と外交官」参照




