0027.みのりの計画
トタンの隙間から、黒煙が入って来た。
「何これ?」
「火事か?」
アミエーラと父は夕飯を中断し、外へ出た。
近所の火事なら早く避難しなければ、この辺りは住宅が密集していて、あっという間に延焼してしまう。
外は煙が漂い、出て来た住民は咳込みながら、火元を探していた。
「あっちだ!」
誰かが叫ぶのが聞こえた。
あっちがどっちのことかわからず、アミエーラは袖で口許を覆い、周囲を見回した。北側で黒煙が上がっている。
風向きが変わり、煙が晴れた。
火元はかなり遠いが、煙がリストヴァー自治区の北側で壁のように聳える。その遠さに安心したのか、人々はすぐ家に引っ込んだ。
「魔法使いが居るのに、あんな大火事になるなんて、ヘンじゃない?」
「さぁなぁ? 魔法使いのやることはさっぱりわからん。メシにしよう」
父は娘の疑問に取り合わず、さっさと家に入った。
いくら煙を眺めても、事態が変わる訳ではない。アミエーラも諦めてトタン小屋に戻った
リストヴァー自治区東部の家は、どれもトタンや廃材を寄せ集めて作った掘立小屋だ。
道らしい道もなく、場所によっては幾つものバラックが、肩を寄せ合いもたれあう。間の一軒が倒壊すれば、支えを失って周囲も倒れてしまうのは、よくあることだった。
雨が降れば、天井からは雨漏り、床の上もすぐに浸水してしまう。
家具らしい家具もない。
勿論、魔除けなどもなく、隙間だらけなので、虫や雑妖も入り放題だ。
物がなく、掃除は簡単で、清潔にしてさえいれば、少なくとも雑妖だけは、ある程度防げる。
家を清めることは、聖者キルクルスの教えにもある。敬虔な信者の家は、貧しいながらも小ざっぱりしていた。アミエーラの家もそうだ。
今日の夕飯は、父が工場でもらってきたパンと、アミエーラが仕立屋の店長からもらったリンゴだ。
「アミエーラの雇い主は随分、羽振りがいいんだな」
「そうでもないよ。これ、お客さんにいただいたのを、お裾分けしてくれたもんだから」
「へぇ。御大尽が居るもんだなぁ」
この辺りでは新鮮な果物は珍しく、そして、高価な品だった。
「お客さんはね。でも、お店の方は、糸が値上がりしたせいで、今月から給金を下げなきゃいけないから、代わりにってくれただけ」
娘の淡々とした物言いに、父は肩を落とした。
「まぁ、でも、そうやって誠意見せてくれるだけ、ありがてぇやな」
「そうね」
アミエーラは、年頃の娘にしては表情が乏しい。
本当ならこの金髪は、日の光に輝くのだろうが、垢と皮脂に汚れてくすみ、疲れきって生気の薄い顔が、実際の年齢より老けて見せた。
仕立屋のお針子なので、着ている物はこの辺りでは一番きちんとしているが、同年代の娘たちからは、陰で「あんなコにあの服は勿体ない」などと囁かれた。
今まで一度も身ぐるみ剥がされたことがないのは、余り布をもらって拵えたリボンやハンカチ、スカーフなどの小物を配っているからだ。
時々は、娘たちの親がお礼に食べ物を分けてくれることもある。
物を持ち過ぎず、運よく手に入れた物を惜しみなく分け与えることは、この町で生きて行く為に欠くことのできない処世術だった。
「ねぇ、お父さん。明日は休みだし、ちょっと出掛けてみない?」
「どこへだ?」
「種まきしに、山の方へ」
「危ねぇだろ。西のシーニー緑地にしよう」
父は、娘がリンゴの成長を夢見て、珍しく子供のように瞳を輝かせていることに気付いた。十九歳の娘にしては色気のない理由だが、それでも父は嬉しかった。
「誰かに引っこ抜かれたりしないかなぁ?」
「実がなるのがわかってりゃ、誰か代わりに世話する人が居るかも知れん」
リストヴァー自治区の西部は、ゆるやかな上り坂だ。丘の上にはマッチ箱のような公営団地が建ち並び、アミエーラたちの住む沿岸部の下町とは別世界のようだった。
団地とバラック地帯の間には、帯状のシーニー緑地が広がる。
自治区民なら、誰でも利用できる共同の畑だ。
葉物野菜を植えれば、すぐに誰かが盗って食べ、実のなる野菜や果物なども、まだ青い内に盗られてしまう。
ヤル気を失くして、今では荒れ放題。
雑草の中で生き延びた取りこぼしの野菜は、すっかり野生化してエグみが強く、食べられた物ではない。
それでも、飢えた住人が叢に分け入り、毒のない植物を探す姿が絶えない。
野生化した野菜だけでなく、イナゴなど毒のない虫も、食卓に上る。
父は少し考えて、言った。
「明日、緑地でいい土と丈夫な蔓草を取って来よう」
「それで、どうするの?」
「草で鉢を作って種を植えて、ここで芽が出るまで育ててから、緑地に植えるんだ」
「直接植えるのと、どう違うの?」
首を傾げる娘に手を振り、父は続けた。
「まぁ聞け。種を植えても、芽が出る保証はねぇ。でも、ここでちゃんと芽が出たら、それを植える場所の近所の連中に見せて回るんだ」
「見せびらかしたりしたら、盗られちゃったりしない?」
「だから、見せてやるんだ。俺たちは種を手に入れて、ここまで育てたってな」
アミエーラはまた首を傾げた。話が見えてこない。
父は構わず、計画を語る。
「今からここにリンゴの苗を植える。実がなるまで、苗木を守って育てるのを手伝ってくれた奴は、リンゴを取って食ってもいいし、売りに行ってもいい。元手はほとんどタダみたいなもんだ」
「水は、タダじゃないのよ?」
娘がすかさず、計画の穴を指摘する。
「雨の日に、雨漏りの水を溜めといてくれるように、頼むんだ」
「ふーん。でも、そんなの今までとどう違うの?」
娘は醒めた目で父を見る。
父は淋しげな目で笑った。
「気分が違うだろ。どこの誰のもんだかわかってる物を盗むのと、正当な報酬として、分け前をもらうのとじゃ……」
「あぁ、工場の出資金の代わりに、水遣りをしてもらうのね」
「そう言うことだ」
父は我が意を得たりと顔を綻ばせたが、アミエーラは相変わらず、醒めた目でそんな父を見た。
「そんな上手くゆけばいいけどね」
間に人が入ると、いつもロクなことにならない。
それなら、魔物の居る南の山に植えた方が、まだ「安全」なように思えた。山なら、少なくとも人間に荒らされることはない。
魔物や野生動物の仕業なら、まだ諦めもつく。
団地の更に西には、広々とした農地が広がる。
鉄条網で囲まれ、銃を持った自警団が、交代で二十四時間、警戒にあたっていた。そこまでしなければ、作物を守れないのだ。
野菜泥棒の射殺は日常茶飯事で、ラジオのニュースにもならなかった。
……種は一粒だけじゃないし、少し取っておいて、一人で植えに行こう。
アミエーラは父に内緒で計画を立てた。




