0265.伝えない政策
ファーキルのタブレット端末は、屋敷に来てから充電がほぼ満タンだ。
魔法薬作りの手伝いが忙しく、使う暇がない。夜、寝る前に少しSNSのコメントをチェックするだけで精一杯。寝落ちする前に電源を落とした。
思い掛けなく休みになった日、やっと当たり障りない報告をUPできた。テキストだけで、現在の居場所は書かない。
パン屋のCMソングの動画は以前にも増して拡散され、動画専門の投稿サイトにも転載された。そこでもかなりの閲覧数を稼ぎ、関連動画のリストには投稿者自身が「歌ってみた」動画や、「演奏してみた」動画も上がる。
投稿者のプロフィールで所在国を見ると、湖南地方だけでなく、遠くアルトン・ガザ大陸にも広まったとわかった。
久し振りにニュースもチェックする。
ネモラリス共和国とアーテル共和国の正規軍同士の戦闘は膠着状態だ。
アーテル領内ではテロが頻発する。痺れを切らしたネモラリスの一般人が報復したらしい。
一般人とは言え、魔法使いだ。ファーキルの常識を越えた作戦で、アーテル人に恐怖を振り撒く。
アーテル軍の警備は、魔法使いに対して全く無力だ。【跳躍】での侵入を見越して待ち伏せしても、仲間を盾に一部のテロリストが身を守る。彼らは負傷した仲間を巻き込んでも躊躇せず、魔法や奪った武器で兵士に攻撃を加えた。
トドメを刺した仲間は、その場で【魔道士の涙】に変えて回収する。
兵器庫からごっそり奪われた武器がテロに使われた。
捨て身の攻撃が多く、ネモラリス人のテロリストは多数の死傷者を出すが、アーテル軍側の被害も甚大だ。
ガソリンスタンドや商店の倉庫もやられる。燃料を奪われた数日後には、あちこちで火の手が挙がった。
テロの手段がわかっても、科学文明国となったアーテルには対抗できない。
食料品店などは、倉庫の中身を根こそぎ持って行かれ、潰れたところもある。
ファーキルは【跳躍】と【無尽袋】や【無尽の瓶】の組み合わせが、こんなに凶悪だとは思わなかった。
犯行と被害を知れば、そんな使い方も可能だと理解できるが、全く思いつきもしなかった。
彼らの攻撃対象は、軍の施設、警察、教会。それに加え、店の倉庫とガソリンスタンドで物資の調達もする。
実家近くの教会も焼打ちに遭った。ニュースサイトには無残な焼け跡の画像が載る。放火の巻き添えで、標的周辺の民家も火事になるが、これは主たる目的ではなさそうだ。
テロリストはひとりも捕まらなかった。
魔法で逃げられたのでは追跡できず、逃げられなくなった負傷者には、仲間がトドメを刺す。そうでなければ、刃物で自害した。
アジトも不明だ。魔法なら、どんなに遠く離れた場所からでも、よく知る場所には一瞬で移動できる。
警察はお手上げどころか、それどころではなくなった。
庁舎を破壊され、留置場から被疑者が逃走する。
マフィアが便乗して刑務所を襲い、一気に治安が悪化した。物資の不足から、暴動や略奪が頻発する都市もある。取り締まろうにも、多数の警察官が死傷し、設備と人手が足りなかった。
アーテル社会は、不安と混乱で荒れた。
隣のキルクルス教国ラニスタ共和国に避難する者もいる。富裕層は、アルトン・ガザ大陸のバルバツム連邦など、より安全なキルクルス教国に脱出した。
……信仰の力なんて言っても、所詮こんなもんなんだよな。
ファーキルは鏡台の椅子を立ち、タブレットの電源を落として窓辺に置いた。
ロークを起こさないよう、そっとベッドに身を潜り込ませる。
二人でも広すぎるベッドは、歴史の資料集でしか見たことがない天蓋付き。アウセラートルのスヴェチーニク家が元貴族だと言うのも、納得の屋敷だ。
この平和で美しい場所に居ると、さっき読んだニュースが、どこか遠い世界に感じられた。
幼い頃から毎週、親に連れて行かれた近所の教会が焼かれたと知っても、何の感情も湧かない。
ネット越しに写真を見ただけだから、現実感がないだけかも知れないが、ファーキルは自分の無感動を訝しんだ。
怒りや悲しみが湧かないのは当然だ。
聖職者たちは、いじめの被害を伝えたファーキルに「加害者を許せ」と強要し、気持ちに全く寄り添わなかった。その教会が、フラクシヌス教徒のテロリストに焼かれて、留飲が下がるかと思ったが、それもない。
起こるべくして起こった想定内の事象のひとつとして、確認しただけだ。
何故、どちらの方向にも心が動かないのか。
アーテル軍は、ネモラリスの街を空襲で破壊し尽くし、無差別攻撃で無辜の民を大勢殺した。
それに比べ、報復テロの被害は可愛いものだ。
テロに便乗した犯罪が増えたのは、アーテル人自身の責任だ。
キルクルス教の教義に従い、力なき民の犯罪者を「魔力がなく、無原罪だから」と庇う政策を取り続けた。
被害者を蔑ろにし、泣き寝入りを強いた世間は、今、そのツケを払わされたに過ぎない。
何割のアーテル人が、それに気付くだろう。
……テロは良くないけど、呼んだのはアーテルだ。俺には復讐を止める権利なんてないし。
ファーキルが直接、被害を確認した北ザカート市は、何もかもが破壊し尽くされた。残されたのは、全てを失った人の復讐に同意せざるを得ない廃墟だ。
キルクルス教の聖職者たちが言うような綺麗事では、彼らの心の痛みは癒されない。それどころか、一方的な攻撃の加害者に「許しを与えよ」と、安全な場所に居る無関係な部外者から強要されれば、大抵の人は、心の傷を深く抉られるだろう。
魔力を持たない「無原罪」のアーテル人なら、魔法使いを含むネモラリス人を無差別に虐殺してもいいとお墨付きを与えるようなものだ。
……移動販売の人たちは、俺の嘘設定を信じて、気の毒がって、助けてくれた。自分たちの方がずっと困ってんのに。
なけなしの食糧と安全に眠れる場所を分け与えてくれた。
プラエテルミッサのトラックに拾われなければ、ファーキル一人では、今日まで生き延びられなかっただろう。
我ながら、想定の甘さに歯噛みする。
魔法使いと言うだけで、ひとまとめに「悪」と断じるキルクルス教徒たちは、国家分裂前の隣人のやさしさを忘れてしまったのだろうか。
……あ、いや。違う! 知らないんだ。
ファーキルは背筋に悪寒が走った。
力なき民には長命人種がいない。力ある民でも、数百年の時を生きられるのは、極一部だ。
半世紀の内乱とその後の三十年。
力なき民で、平和だったラキュス・ラクリマリス共和国時代を知る者は、もう殆ど居ないのだ。
……教科書には、キルクルス教徒が魔法使いに迫害された被害しかなかった。
キルクルス教徒が、今回のように空襲で湖の民の街を焼き払ったことや、力ある民なら女子供でも容赦なく射殺したことなど、一行も載らない。
アーテル領内では、ネットの検閲とアクセス制限で、外国のサイトはほんの少ししか閲覧できない。
ファーキルは違法アプリを入手し、周辺国の中立的な資料を閲覧したが、多くの国民は知らなかった。
学校の歴史教育で被害者だと思い込まされるのだ。
魔法使いの悪行を伝える国立資料館はあるが、キルクルス教徒が近代兵器や化学兵器で無差別に大量虐殺したことや、魔法使い全員が戦う力を持っているワケではないことなどは、一切、伝えない。
……国を分けちゃいけなかったんじゃないか?
魔法使いたちも普通の人間で、いい人も居れば、悪い人も居る。
半世紀の内乱時代、キルクルス教徒が一方的に迫害される「弱者」だったなら、国は三分割されず、根絶やしにされた筈だ。
国を分かち、国交を断絶したせいで、アーテル政府に都合よく情報操作できる。
憎悪が煽られ、当たり前のことにも気付けなくなる程、アーテル人の眼は曇ってしまった。




