0261.身を守る魔法
呪医セプテントリオーは治療の合間、資料室に籠るようになった。
屋敷の一室に開戦直後からの新聞の切抜きが、貼込み帳に整理分類されて保管してある。
湖南経済新聞は、アミトスチグマ王国に本社があり、経済情報が中心だからか、中立的な記事が多い。戦況の分析と企業の動向。生産や流通への影響、物資の不足などだ。
星光新聞は、ほぼキルクルス教の機関紙だ。湖南語話者の信者向けで、ラキュス湖南地方の生活情報も手厚く掲載する。
ネモラリス共和国がいかにリストヴァー自治区の民を迫害するかに始まり、必ずネモラリスの悪しき業を止めなければならないと、信仰心に訴える論調が目立つ。
【魔哮砲】の分析や、アルトン・ガザ大陸のキルクルス教国からの支援についても詳述する。
どちらも、複数の国で発行される国際紙だ。
別のファイルには、テロの被害がまとまる。
ネモラリスの国民有志はキルクルス教会を爆破、警察署や基地も襲撃し、武器を略奪。双方に多大な死傷者を出した。
警備員オリョールは、無差別攻撃しないと言ったが、教会の件では女子供など、一般信者にも被害を出す。
そればかりではない。
負傷した味方にトドメを刺し、その場で焼いて【魔道士の涙】を回収する。
キルクルス教徒の記者は、ここぞとばかりにネモラリスの魔法使いがいかに邪悪であるか書き立てた。
セプテントリオーが要請に応じるまで、呪医はひとりも居なかったらしい。
助からない仲間を楽にすると同時に戦力に変える。合理的と言えるが、非情な戦い方だ。捕虜にされ、隠れ家を知られるよりはマシだろう。
戦術的には理解できる。
だが、セプテントリオーには同意できないやり方だ。
……もう少し、どうにかならないのか?
セプテントリオーはラキュス・ラクリマリス王国時代、軍医として奉職したが、敵は人間の軍隊ではなく、魔獣などこの世ならざるモノだ。
騎士や兵士が負傷すればすぐ癒し、即死以外の戦死者は出さなかった。即死者は【魔道士の涙】に変えて遺族に引き渡したが、その場で戦力として使うなどあり得ない。
共和制移行時に王国軍は解体され、近代兵器を用いる部隊を加え、共和国軍が再編された。
セプテントリオーは軍医を辞め、医療産業都市クルブニーカに移住する。
半世紀の内乱の少し前からゼルノー市立中央市民病院で勤務し、内乱中は治療に専念した。
……人間相手に戦うなどと、馬鹿げたコトを。
いつからこんな状態になってしまったのか。
呪医でしかないセプテントリオーが嘆いたところで、戦況は変わらない。
メモ用紙に力ある言葉を走り書きした。【不可視の盾】の呪文だ。
一度きりの使い捨てだが、丸腰よりはマシだろう。戦場へ赴く者たちへ守りの術を教えることに決めた。
警備員オリョールは、【飛翔する鷹】学派や【編む葦切】学派の職人も加わったと言ったが、彼らの作る呪符や防具は明らかに足りない。
……オリョールたちも【不可視の盾】くらい使える筈だ。何故、有志の素人に教えない?
まだ床に臥す患者にはメモを渡し、待機中の有志には実戦形式で教える。
葬儀屋アゴーニと二人で、呪文のメモを何枚も用意し、病室を回った。
「そんな便利な術があるんですか?」
「名前くらいは聞いたことありますが……俺たちでも使えるんですか?」
「ありがてぇ、ありがてぇ」
患者たちは誰も【飛翔する蜂角鷹】学派の【不可視の盾】を知らなかった。
二人は心凍える思いでメモを配り、しっかり身体を治しながら呪文を覚えるよう言って回る。
すっかり良くなったが、次の目標が決まらず、屋敷の掃除や庭の手入れ、情報の整理などをして過ごす者たちにも声を掛けた。
庭の一角に集まってもらい、まず、実演を見てもらう。
「この術は、魔力が強けりゃちっとだけ範囲が広がる。と言っても、せいぜい傘くらいまでだ。弱くても最低、鍋の蓋くらいにはなる」
「実戦で使う前に、自分の盾の大きさを確認して下さい」
井戸端のアゴーニと花壇を挟んで立つセプテントリオーが言うと、有志の一人が手を挙げた。
「どうやって調べるんです?」
「今から実演します。先具 不可視の守を 此処に置く 置盾其の名 “盾”」
呪医セプテントリオーは、左手袋に【不可視の盾】を掛けた。
手袋には何の変化もない。
「盾は、呪文に織り込んだ合言葉で開きます。短くて、忘れ難い単語にして下さい」
セプテントリオーが合図すると、アゴーニが【操水】で井戸水を汲み上げた。バケツ一杯程度の水が、ゆるゆると宙を舞う。
「行けッ!」
力ある言葉の命令に、水塊が砲弾と化して呪医を襲う。
「盾!」
セプテントリオーが叫ぶと同時に左手を突き出した。
手の前で水塊が広がって飛び散る。呪医は、横向きに開いた傘でもあるかのように全く濡れなかった。
「まぁ、ざっとこんなモンだ。鍋の蓋でもないよりゃマシなのは、わかるよな」
アゴーニがセプテントリオーの傍らに来て、同志たちに言った。
命の他は失う物がない戦士たちは、瞳を輝かせて頷く。
「これができるようになれば、もう爆風に巻き込まれずに済むんですね」
「一回こっきりの使い捨てだ。戦場でもう一遍、掛け直すヒマなんざねぇ」
葬儀屋アゴーニが、すかさず釘を刺す。
呪医セプテントリオーも言い添えた。
「盾の展開が遅れないよう、早めに開いて下さい」
呪文自体は簡単で短く、すぐ覚えられる。これを適切に開くのが難しいのだ。
有志たちは互いに水を掛け合い、練習を始めた。
診察の時間がきて、二人は病室へ戻る。有志たちは、ずぶ濡れになりながら熱心に訓練を続けた。
警備員オリョールは、もう何日もこの隠れ家に姿を見せない。だが、亡くなったとは聞かないので、作戦行動が長引いたのだろう。
拠点に残る有志たちは、他所の隠れ家から武器調達の連絡が入れば、作戦に加わるが、自主的な作戦立案はしなかった。
従軍経験がなく、戦闘の経験も乏しい。
誰かの指示がなければ、動けないのだ。
新たな負傷者が運ばれた翌日、別の隠れ家から食糧が届けられた。
呪医セプテントリオーと葬儀屋アゴーニが治療と葬儀に追われる間、有志たちは備蓄の片付けに忙しく働く。わざわざ隠れ家経由で【無尽袋】に入れて【跳躍】で運ばれた。
つまりこれも、正規の経路で手に入れた物ではない。
どこかの店の倉庫からごっそり持ち出したのだろう。
アーテル共和国本土には、【跳躍】除けの結界を張る【巣懸ける懸巣】学派の術者など、ひとりも居ない。魔法使いなら容易く盗みを働ける土地なのだ。
もしかすると、その店は潰れるかもしれない。
無辜の民は傷付けないと言ったが、オリョールはこの調達をどう思うのだろう。
ここで【不可視の盾】を教わった者たちは、再びここに戻っても、以前よりずっと軽傷だった。
「俺、呪医に教わった奴、みんなに教えて回ったんです」
「他所の拠点でも同じように訓練して、怪我人が減りました」
日を追うごとに負傷者が減る。
運ばれてくるのは、【不可視の盾】をまだ使いこなせない新入りと、展開が間に合わなかった者、連続攻撃に晒された者に限られるようになった。
流石に、機関銃で撃たれたのではどうにもできない。
呪医セプテントリオーは、弾の摘出に相変わらず忙しい日々を送った。




