0260.雨の日の手紙
ラクエウス議員は、ノックの音で顔を上げた。
いつもならお茶の時間だが、軟禁されてからは秘書が追い出され、そんな誘いはなくなった。
面会でもあるのかと、顔を出す。
「ラクエウス先生、一緒にお茶、いかがですか?」
隣人……与党の若手議員だ。
彼が手にしたお盆には、茶道具の他に小ぶりのガレットまである。
「いいのかね?」
「はい。僕一人じゃ大きいんで。あ、兵隊さんもどうぞ」
それぞれの監視役も入れ、お茶会は何故かラクエウスの部屋に決まった。予定も用件も先の見通しもない。断る理由は全くなかった。
魔装兵が台所へ行き、術で沸かした湯を宙に漂わせて居間に戻る。
「湯沸かしを使わなかったのかね」
「あ、つい。沸かし直しますか?」
「……いや、もういい」
キルクルス教徒のラクエウスは、いい気がしなかった。どの途、同じティーポットで淹れたのでは、結果は変わらない。一人だけ飲まないのもどうかと思い、仕方がないと、忌々しい思いを飲み下した。
若手議員がガレットを切り分けて配る。
「先生方はお待ち下さい」
「毒見します」
「君たちはいいのかね?」
魔装兵は、ラクエウスの質問に当然だと笑い、複雑な刺繍が施された軍服の胸ポケットを叩いた。
「はい。【毒消し】の薬を持ってますから」
「あぁ、魔法薬なら大抵の毒を何とかできますからね」
若手議員が納得する。
……まさか、本当に毒見しておったとはな。
ラクエウス議員には意外だった。
【魔哮砲】の使用に反対する議員が毒殺されたところで、政権にとってなんら痛手はない。それどころか、目障りが居なくなり、やりやすくなるだろう。
議員二人は何とも言えず、先に紅茶を啜った。
「大丈夫です。普通に美味しかったですよ」
毒見役の魔装兵が、三人にイイ笑顔を向けた。待機する魔装兵が緊張を解き、ガレットに手をつける。ラクエウスも焼菓子にフォークを刺した。
「むっ?」
手応えがやけに固い。
ガレットを解すと、中から素焼きの人形が現れた。大昔の国王を模したのか、王冠を戴き、杖を持ちガウンを羽織る。
「あっ。先生、当たりですよ」
「当たり?」
「王様のガレット。今日一日、先生が王様ですよ」
若手議員が無邪気に笑う。
王様と言われても、もうお茶の時間だ。ラクエウスは苦笑したが、遊戯に付き合うことにした。
「では、王として命じよう。君の呼称は何か、名乗り給え」
「あれっ? まだでしたっけ? クラピーフニクです」
若手議員は小さく驚いて答えた。
クラピーフニクは「鷦鷯」を意味する。ラクエウス議員は思わず聞いた。
「君は【歌う鷦鷯】学派なのかね?」
彼の胸には、専門分野を修めた魔法使いが身に着ける銀の首飾りがない。
「いいえ。子供の頃は歌が好きでしたけど、そこまで魔力が強くないんで……」
「そう言うものなのかね。だが、なかなかいい声をしておる」
与党の若手クラピーフニク議員は、頬を染めてはにかんだ。
「プロの音楽家の方からそう言われると、何か照れますね」
「技術的にはまだまだ……だがな」
二人が笑うと、魔装兵もつられて笑い、場が和んだ。
「……さて、儂は特にして欲しいことはない。元々君への差し入れだ。返そう」
ラクエウス議員は素焼きの人形をクラピーフニク議員の皿に置いた。
魔装兵が苦笑する。
「そんな簡単に譲位しちゃっていいんですか?」
「構わんさ。これからは君ら若いモンの時代だ」
クラピーフニク議員が生きてここを出られる保証はない。彼は老議員の視線を受け流し、人形をつまんで言った。
「じゃあ、譲位を受けた新王として命令します。ラクエウス先生、何かレコードをお持ちでしたら聞かせて下さい」
「お安い御用だ」
老議員は寝室の戸を開放し、セットしたままのレコードに針を落とした。耳に馴染んだ旋律を背に、居間の席へ戻る。
「これ、天気予報……」
クラピーフニク議員が言葉を飲んだ。澄んだ女声がその沈黙をゆったり埋める。
老議員を除く三人は寝室に目を向け、身じろぎひとつせず、歌声に聞き入った。
レコードの片面が終わり、針が上がる。
余韻が消えるのを待って、クラピーフニク議員が驚きを口にした。
「こんな歌詞があったんですね」
「歌手は誰ですか?」
魔装兵たちも食いついた。ラクエウス議員は紅茶を一口飲んで答える。
「ニプトラ・ネウマエだよ。楽団時代……短期間だが、一緒に仕事をしたことがある。【歌う鷦鷯】学派の歌手だ」
三人が感心してラクエウスを見た。
竪琴奏者時代を懐かしく思い出しながら、重くならないように言葉を続ける。
「彼女が、例の未完の歌の歌手だった」
内戦が激化し、キルクルス教徒と結婚した彼女は、家族と共に首都クレーヴェルを離れた。難しい時代になってしまったのだ。
その後は、当たり障りのない世間話をして、小さなお茶会はお開きになった。
……たまには悪くないものだな。
今のところ、軍に反対派の議員を害する意図がないとわかったのが、ちょっとした収穫だ。先々はわからないが、今しばらくは時間ができた。
ラクエウス議員は一人になると寝室の書き物机に戻り、情報整理の続きを再開した。途中、夕食を挟んだ他はずっと机に向かう。
今は伝える手段のない情報だ。
恐らく、賛成派の議員の何人かも既に気付いて、何らかの対策が講じられただろう。それでも、ラクエウス議員は筆を休めなかった。
夜半を過ぎ、雨はますます激しさを増した。
雨垂れが窓を打つ。窓辺に立ち、カーテンの隙間から外を窺った。
水塊が拳の形を成して窓を叩く。
……これは、【操水】?
窓に貼り付き、拳の根元を視線で辿った。降る雨と夜に溶けてはっきりしない。どうやら隣……クラピーフニク議員の部屋の方向から続くようだ。
拳の中に何かが透けて見えた。思い切って窓を開ける。
カーテンのはためきと同時に雨と水の拳が入って来た。ラクエウスは寸前で拳を躱し、窓を半分閉める。水塊は握ってきた物を置き去りにして、隙間からするりと逃れた。
窓の鍵とカーテンを閉め、ボールペン二本で挟んで拾う。
新聞の切抜きだ。ボールペンの尻で解すと、中からメモ用紙が現れた。
【花の耳】の花弁を一枚もらいました。
音楽に紛れて連絡させて下さい。
伝言があれば雨の夜、窓に挟んで下さい。
ガレットの人形の中身が魔法の道具だったと気付き、切抜きに目を走らせる。
昨日の日付、各国大使の反応記事だ。
ラクリマリス王国やアミトスチグマ王国など、ネモラリスの友好国は、査察で真偽が判明するまでは外交官を召還せず、罹災者や難民への人道支援を継続する、とあった。
両輪の国の中でも、科学文明国寄りの国々は、査察結果が出るまで大使を一時帰国させる国もある。
記事に付された一覧表では、大部分の国が態度を保留した。
☆魔哮砲の使用に反対する議員……「0241.未明の議場で」「0247.紛糾する議論」「0248.継続か廃止か」参照
☆これ、天気予報/こんな歌詞……「0170.天気予報の歌」「0178.やさしき降雨」「0220.追憶の琴の音」参照
☆彼女が、例の未完の歌の歌手……「0220.追憶の琴の音」参照
☆キルクルス教徒と結婚した彼女……「0090.恵まれた境遇」「0091.魔除けの護符」参照




