0258.決め兼ねる道
アミエーラたちは、地元民のアウセラートルに案内され、新緑の萌える森に入った。畑に近い場所は、雑草が刈り取られて歩きやすい。
小道を二分ばかり奥へ歩くと、木の幹に蔓草が巻き付く場所に出た。
「私もお手伝いしましょうか?」
「いえ……あ、では、雑妖を追い払っていただけますか?」
アウセラートルの申し出を断りかけたが、ソルニャーク隊長は思い直して改まった口調で言った。
ドーシチ市の有力者は快諾し、力ある言葉で呪文を唱える。もう何度も、薬師アウェッラーナと工員クルィーロが唱えるのを耳にしたが、アミエーラには、相変わらず全く聞き取れない。
アミエーラは昨夜を思い出し、こっそり溜め息を吐いた。
部屋で薬師アウェッラーナと二人きりになったが、うっかり【魔除け】の護符を持っていると口を滑らせてしまった。
思い切って、魔力がある……自治区民でありながら、力ある民であることを告白し、これからどうすべきかわからないと正直に打ち明けた。
湖の民アウェッラーナは、自治区民アミエーラの言葉を否定せず、ただ受け容れてくれた。
彼女自身、どんな態度を取ればいいか、戸惑うように見えた。
今、針子のアミエーラの周囲に雑妖は居ない。
店長がくれたコートと肌着、それに【魔除け】の呪文が刻まれた【水晶】の護符が守ってくれる。
アウセラートルのすぐ後ろを歩いたので、星の道義勇軍の三人には、アウセラートルが持つ護符の効力に見えるだろう。
灌木の影に潜む雑妖が、森の奥へ逃げてゆく。
今はまだ、キルクルス教徒の彼らに自分の正体を知られる訳にはゆかない。
騙すようで心苦しいが、アミエーラ自身、あの禍の日まで知らなかった。自分が何者か、この先、何者として生きてゆけばいいか決め兼ねる。
決心がつくまで、アウェッラーナ以外の誰にも知らせるつもりはなかった。
毛虫などが居ないか、手元に注意して蔓草を引っ張り、鋏で根元付近を切る。
ざっと扱いて大体の葉を落とし、新品のゴミ袋に入れた。何度も採りに来るのは面倒なので、できるだけたくさん採りたい。
他の三人も同じ考えなのか、黙々と蔓草採りに励む。
ここの蔓草をすぐ採り尽くし、次へ移る。
「蔓が巻くと木が弱りますからね。どんどん採ってやって下さい」
アウセラートルに言われ、アミエーラたちは遠慮なく蔓草を幹から引き剥がし、灌木から引き毟った。
午前中だけで、できるだけたくさん集めなければならない。小さな蛾や足の多い虫が飛び出すのを物ともせず、ひたすら作業に勤む。
……今は、今の私にできることを、できるだけ頑張るしかないのよ。
昨夜、アウェッラーナには、三冊ある祖母の手帳の内、一冊だけ見てもらった。
彼女は薬を作る魔法で誰よりも疲れる。貴重な睡眠時間を個人的な用件で削るのは忍びない。
表紙に(一)と記された手帳は【霊性の鳩】学派の呪文とその解説だ。全て、アウェッラーナも使える術だと言った。
勉強の助けになるよう、力ある言葉には湖南語で読み方も書いてある。だが、力ある言葉は発音が複雑で、これだけでは魔術を修得できない。
……まだ、ちゃんとした魔女になるって決めたワケじゃないけど。
祖母はあの日、アミエーラが魔女にもなれる可能性を残してくれたのだ。
信仰の為に人生の道をただひとつだと決めてしまわないように――
自分が力ある民だと知らされ、リストヴァー自治区を出た今、祖母が示してくれた可能性に深く感謝する。
それと同時に「キルクルス教への信仰を捨てきれない自分」にも気付いた。
山の中で雑妖や魔物に脅かされ、聖者キルクルス・ラクテウスの無力に絶望した。魔術こそが人々を助ける力だと確信した。
それでも、リストヴァー自治区で産まれ、キルクルス教徒として育った自分を否定するようで、信仰を完全に捨て切れない。
実際、アミエーラが、山中で一人過ごす間、様々な魔術に命を守られた。
どれだけ聖者キルクルスに祈っても、力なき聖者は助けてくれなかった。
魔術は、教義が説く絶対的な「悪しき業」ではないと思うが、心のどこかに残る魔術への恐怖感を拭い去れない。
昼前には、持参したゴミ袋が全ていっぱいになった。
袋の口を括り、結び目に蔓草を通して繋げる。
「それでは、帰りましょう。ソルニャークさん、私と手を繋いで下さい。他の皆さんは、彼と手を繋いで下さい」
アウセラートルとソルニャーク隊長、運転手メドヴェージ、モーフ、アミエーラの順で手を繋ぐ。
アミエーラとアウセラートルは、一繋ぎにした蔓草袋の端を持ち、みんなで輪になった。アウセラートルが朗々と力ある言葉を唱える。
気が付くと、ドーシチ市の東門の前に居た。
みんなで数個ずつ袋を持ち、門を潜る。あちこちから昼食を作るおいしそうな匂いが漂ってきた。
「もう一度【跳躍】します」
広場の端にある色違いの石畳が敷かれた一角で再び輪になり、アウセラートルの術に身を委ねる。
今度は商業組合長の屋敷前に出た。
「お帰りなさいませ」
アウセラートルの帰りを待ち構えた使用人たちが、蔓草の詰まった袋を次々と屋敷へ運び込む。
「皆様はこちらへ」
使用人の一人に案内され、井戸端に連れて行かれた。作業に夢中で気付かなかったが、アミエーラたちは随分、汚れてしまった。
申し訳なさに恐縮しながら、【操水】の術で洗われる。
食後のお茶を飲みながら、みんなで仕事の首尾を話し合った。
「こちらはまだ、熱冷まし作りに時間が掛かりそうです」
薬師アウェッラーナの疲れた声に薬班のみんなが頷く。こちらの作業が安楽に思え、アミエーラは心苦しくなった。
「姐ちゃんたちの方、随分、大変そうだな。何か手伝えそうなコトねぇか?」
運転手メドヴェージが心配する。
茶菓子を頬張ったモーフが、弾かれたようにソルニャーク隊長を見た。隊長は少年兵に頷いてみせ、提案する。
「手伝いは可能だ。道具と作業場所は、まだ二人分、空きがあったな」
「いいんですか?」
レノ店長が驚いて聞き返す。キルクルス教徒に魔法薬作りを手伝わせることへの遠慮が、言外に滲む。
「細工物が完成しても、すぐに売りに行けるワケではない」
初日に薬師の手伝いをした隊長は、何でもないことのように事実を述べた。
合理的に考えれば、今はできる限り薬作りをした方がいい。
レノ店長は、効率より、信仰を優先して班を割り振ったのだ。フラクシヌス教徒のみんなも、自治区民の四人に気を遣ってくれた。
「あの、私にできることがあれば、そちらのお手伝いをさせて下さい。えっと、こちらは予定がありませんけど、そちらは納期が……」
思い切って言ってみたが、みんなの視線が集まると、だんだん声が小さくなり、語尾は消えてしまった。
緑髪の薬師が、メドヴェージとアミエーラを見て心配そうに聞く。
「あの、ホントに大丈夫ですか?」
「女の人がやるには、ちょっとキツイ作業ですよ」
レノ店長がアミエーラに念押しする。
「力仕事も割と平気です」
「あ、いえ、力仕事って言うか、虫をすり潰すんで……」
申し訳なさそうに言われ、アミエーラは慌てて言い添えた。
「大丈夫です。私、虫とか平気です。さっきも蔓草にいっぱい居ましたけど、大丈夫でした」
話がまとまり、午後からは、針子のアミエーラと運転手のメドヴェージが薬班に加わることになった。
☆うっかり【魔除け】の護符を持っていると口を滑らせ……「0252.うっかり告白」参照
☆あの禍の日……「0054.自治区の災厄」参照
☆祖母はあの日、アミエーラが魔女にもなれる可能性を残してくれたのだ……「0102.時を越える物」参照
☆自分が力ある民だと知らされ……「0091.魔除けの護符」参照
☆聖者キルクルス・ラクテウスの無力に絶望……「0118.ひとりぼっち」「0141.山小屋の一夜」参照
☆初日に薬師の手伝いをした隊長……「0245.膨大な作業量」参照




