0026.三十年の不満
兵の報告は、ネモラリス政府に大きな衝撃を与えた。
キルクルス教の教義は、魔術を「旧時代の悪しき業」と看做す。
科学の医療による治療では救命できない重症例でも、魔術ならば、即死でない限り助けられるが、癒しの術を拒絶し、「自然のままに」死を選ぶ信者も多い。
信徒が我が子への癒しの術を拒絶して死亡させることが、魔法と科学を折衷する両輪の国を中心に社会問題となっていた。
また、キルクルス教徒の親が、子に魔術による治療を受けさせたことで原理主義者に襲撃され、一家が皆殺しにされる事件も発生する。
信仰か、生命か。
この問題は、封印歴紀元後にキルクルス教が成立して以来、二千数百年に亘って続き、解決の糸口さえ見えなかった。
ネモラリス政府は、キルクルス教徒の信仰に配慮し、自治区を完全に魔術の使用を禁じる科学特区とした。
他地域の復興では、多様な学派の魔法使いが活躍したが、リストヴァー自治区では、機械と人力のみで行う為に時間が掛かり、未だに復興事業が完了していない。
力なき民のキルクルス教徒が、信仰の堅持と復興特需の雇用目当てに国内全土から自治区へ移住した。
瓦礫の撤去は、多額の予算を投じて雇用も創出し、急ピッチで進んだものの、専門知識を有する知識人、技術者を欠き、魔法使いの支援がないことで、その後の復興は遅々として進まない。
急激に人が流入した為、住宅の供給が追い付かず、瓦礫が撤去された空き地は、瞬く間に不法占拠のバラック小屋で埋め尽くされた。
現住の人家がある為、整地も測量もできず、新しい住宅を建てられない。移動させようにも、新築した公営住宅でさえ、家賃を払えない貧困世帯が多かった。
瓦礫撤去の仕事がなくなれば、専門的な知識や技術を有さない人々は、次々と職を失った。
塩害で耕作可能な土地は少なく、湖で漁業や水運をしようにも、魔法の力を借りずに魔物から身を守ることはできない。
政府は長期的な視野に立ち、技術者の育成には多額の予算を注ぎ込む一方、雇用創出の為の民間支援には、公費を投入しなかった。
学費は全額免除されたが、学生たちは日々の糧を得る為、日銭を稼ぐ仕事に出て授業に出られず、大半が卒業できないまま除籍された。
自治区民有志が資金を募り、基金を設立して工場を建て、出資者を優先的に雇用し、賃金で出資金を返還すると言う事業が、あちこちで発足した。
当然のように出資金詐欺が横行した。また、出資が集まらず、工場の建設が頓挫し、出資金を返還できない事例も多い。
建設途上で放棄された工場の廃墟には、雑妖や犯罪者集団が住み着き、人々の暮らしを脅かす。
自治区民の間には、キルクルス教への信仰とネモラリス政府への怨恨で結ばれた連帯感と、仲間を食いものにする同胞への不信感が渦巻いていた。
政府が自治区政策で重視した「キルクルス教の信仰への配慮」は完全に裏目に出たが、三十年間、問題は店晒しにされた。
リストヴァー自治区選出の議員は、国会で更なる支援を訴えた。
しかし、低予算で実現可能な魔法使いによる直接的な支援策が持ちあがると、それには強硬に反対した。
曰く、折角、清浄地を手に入れたのに、魔法使いに穢されては、自治区設立の意味を成さない、と。
経済的な支援を要請したが、政府は、当初の復興予算が国庫を圧迫し、今はそれどころではない、と取り合わなかった。
魔法文明圏には元々、貨幣経済はなく、自給自足による物々交換が主だった。
ラキュス湖の東岸に位置するアミトスチグマ王国との交易も、ネモラリス共和国成立後は、主に物々交換で行っている。
魔法使いたちは貨幣に価値を見出さず、株式や先物、外国為替といった相場にも無頓着だ。
国内でも勿論、他国同様、売買など取引に通貨を用いる。だが、それはフラクシヌス教徒の力なき民の為であった。
ネモラリス共和国は、魔法と科学を折衷する両輪の国の中でも、魔道の指向が強く、科学文明国の指標で測る「経済」の規模は小さい。
和平成立後に分配された旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代の予算を使い切ってしまえば、後は毎年の歳費など、義務的な支出に費やされ、余分に分配できるカネはなかった。
公務員の給与すら、本人が特にカネでの支払いを希望しない限り、物で支給される。税も「物納」か「税金」を選択でき、物納の希望者が多い。
自治区とその他の地域では、検問所の壁以上に高い障壁があった。
ゼルノー市長から救助要請と現状報告を受け、議員や官僚、専門家が臨時招集された。
「そんな大量の武器弾薬、それに燃料も……一体どうやって……」
「呪符などの使用が事実なら、その入手ルートも明らかにせねばなりますまい」
「今はそれより、暴徒の鎮圧が先だ」
「暴徒? 暴徒だと? 報告では正規の訓練を受けた兵のように、組織だった動きで、効率よく『進軍』していたそうだが?」
「暴徒でも軍隊でも、武器の供給を断たねば、制圧できません」
「手引きした魔法使いが居るのか? 呪符師の組合を質さねば」
「外国からの密輸かもしれんのにか?」
「住民の保護を……とにかく、医療と食糧を、一刻も早く手配しなければ……」
「リストヴァー選挙区の諸君は、暴動の資金を欲しておいででしたか」
「それはない! 断じてないッ!」
ラクエウス議員が、激しい口調で否定した。
議場が水を打ったように静まり返る。
リストヴァー自治区出身のラクエウス議員は、力ある陸の民や、湖の民の議員に厳しい視線を向け、努めて冷静に宣言した。
「これは一部の過激思想に染まった異端者の仕業です。真のキルクルス教徒は、呪符など使いません」
「自治区もその暴徒に荒らされているかもしれません。早急に調査及び、住民保護の為、部隊の派遣を要請します」
クルブニーカ市出身の議員も、静かな声で現実的な対処を要請する。彼の地盤は、ゼルノー市の西隣で、自治区にも近い。速やかに武装集団を鎮圧できなければ、次に被害を被るのは近隣都市だ。
政府の対策本部は議論が紛糾し、遅々として意思決定が進まなかった。
こうしている間にも、事態は悪化してゆく。
※ 歳費……国会議員の人件費。国庫から支払われる。




