0256.兄妹水入らず
レノは朝からずっと乳鉢で地虫をすり潰し続ける。
パンに混ぜる胡麻などをすり潰したことならあるが、こんな物は初めてだ。
最初は、乳棒越しに伝わる乾いた虫が潰れる感触が気持ち悪かったが、今はすっかり慣れてしまった。
……でも、こんなのピナやティスにはさせらんないな。薬師の仕事って大変だ。
もう一台の作業机を見た。
薬師アウェッラーナが、クルィーロから地虫の粉を溶いた水を受け取り、一心に【熱冷まし】の呪文を唱える。宙に浮かせた褐色の濁り液から薬の成分を抜き出すのだ。薬の粉が、砂時計の砂のように白い深皿へ落ちる。
緑髪の薬師に溶液を渡してすぐ、クルィーロは【操水】の術で水瓶から新たな水を起ち上げた。大皿に盛られた地虫の粉を薬匙で取って、宙に漂わせた水に混ぜ、水に溶けない不純物を取り除く。
レノの妹ピナが、できたばかりの粉薬を薬匙で量り、もう一人の妹ティスと、クルィーロの妹アマナが、一回分ずつ薬包紙で包む。
みんなも昨日は半日ずっと作業して、すっかり慣れたようだ。面倒な作業ばかりだが、愚痴ひとつこぼさず一生懸命、手を動かす。
……忙しい方がいいよな。ヒマしてると余計なコト考えて、気持ちが暗くなりがちだし。
レノの両隣に座るロークとファーキルも、黙々と地虫をすり潰す作業に励む。すり上がった粉を大皿にあけ、次の地虫を瓶から取った。干からびた虫は軽くてカサカサだ。
レノは、乳鉢に投入した虫を乳棒で丁寧にすり潰しながら、昨夜を思い出した。
当初の部屋割は、一人一部屋だった。
アウセラートルに頼み、家族で一部屋に変えてもらった。他人たちも、何となく気の合う同士でまとまり、一人部屋ではなくなった。
お陰で、レノとピナとティスの三兄姉妹、クルィーロとアマナの兄妹は、それぞれ久し振りに家族水入らずで過ごせた。
部屋で家族だけになった途端、ピナの目から涙がぽろぽろ零れた。
「お姉ちゃん?」
小学生のティスが驚いて姉に声を掛けた。
ピナは声もなく、ただ静かに涙を流す。レノは妹の肩を抱き、エプロンのポケットからハンカチを出して涙を拭った。
「よしよし、今までずっと、頑張ってくれてたもんな」
妹は、レノの肩を涙で濡らして泣きじゃくった。
「お父さ……まだ、生きて……何も、できなかっ……何も……」
「お父さん……おかぁ……」
ティスも泣きだし、レノにしがみついた。
レノは二人を慰めようと口を開いたが、言葉にならなかった。何か言えば、自分まで泣いてしまいそうだ。
顔を横に向け、細くゆっくり息を吐き、気持ちを鎮める。二人の肩を叩いて促して、ベッドに腰掛けた。
妹二人は左右からレノに抱きつき、声を上げて泣く。レノは何も言えず、ただ二人を抱きしめ、背中を撫で続けた。
あの日……あの時の記憶が、鮮明に蘇る。
突然、テロリストが街を襲った。
レノたち一家が切り盛りする小さなパン屋の椿屋も、レノの幼馴染クルィーロが勤める音響機器工場も、妹たちが通う学校も、何もかもが焼かれた。
家族はバラバラになったが、なんとか鉄鋼公園まで逃げた。
クルィーロのお陰で、父と妹たちとは再会できたが、母とは店の前ではぐれたきりだ。
焼け出された避難者たちは、公園で身を寄せあって夜を明かした。
ギリギリまで母を待ったが、とうとう会えないまま、役所が用意してくれた避難所行きのバスに乗る。
移動直後にバスが横転し、多数の死傷者が出た。
何が起こったか理解できたのは、しばらく経ってからだ。アーテル軍の空襲で、付近に落ちた爆弾の爆風に巻き込まれたのだ。
レノとピナは、寒くて毛布に包まって乗ったので軽傷で済んだ。ティスも、父が毛布に包んで抱いていたので無事だったが、父自身は重傷を負って意識を失った。
生存者は炎に囲まれたが、湖の民アウェッラーナのお陰で、運河の畔まで避難できた。夜になっても鎮火せず、新聞紙を繋いだだけの【簡易結界】の外には雑妖が群がり、壁を成す。
運河にも魔物が居る。
ついに結界が切れ、雑妖の群が生存者に雪崩れかかった。
レノはティスを抱き上げ、アウェッラーナについて走る。ピナも、自分とティスの荷物だけを掴んで逃げた。
まだ、息のある父を置き去りにして……
ずっと、罪悪感を意識の外へ追いやってここまで来た。
何かすることを作り出しては、没頭してやり過ごした。
今を生き延び、妹たちを守り、この先、生きてゆくことだけを考えようと、ずっと気を張り詰めてきた。
兄姉妹三人だけになった今、緊張の糸が切れてしまった。
「お父さあぁん、お母さあぁぁあん……」
小さなティスが、両親を恋しがって呼ぶ。
父は、重傷で意識不明だったが、呪医の手当てを受けられれば、助かった筈だ。
母は、テロリストから逃れる人の群に呑まれて行方不明になった。星の道義勇軍に殺されたか、生き残れたとしても魔物に襲われたか、アーテル軍の空襲で焼かれたか……恐らくもうこの世に居ないだろう。
生まれ育った街をテロと空襲で焼かれ、帰る場所を奪われた。
炎に巻かれて逃げ遅れ、雑妖の群に襲われて何とか逃げた先には、何故かテロリストが居た。
彼らは、一人一人と話してみれば、普通の人、いや、割といい人だった。父を母を街を奪った仇なのに、何故か憎むことも恨むこともできない。
彼らに憎しみをぶつけることさえできない自分の無力が歯痒い。
……俺に力があれば……クルィーロみたいに魔力があれば、父さんも母さんも死なずに済んだのに!
力ある陸の民クルィーロと、湖の民アウェッラーナには、ずっと助けられてばかりだ。何もできない自分が情けなかった。
……今だってそうだ。ピナとティスに何もしてやれない。俺に力がないせいで。
安全な場所を求めて、当て所なく焼け野原の廃墟を彷徨い、ネーニア島を東から西へ横断し、クブルム山脈のザカート隧道を抜けて、隣国ラクリマリス王国へ難民として流れて来た。
ここは力ある陸の民が多数派で、ほぼ魔法文明国の両輪の国だ。力なき陸の民の自分たちが、いつまでも居られる訳ではない。
この屋敷も、アウェッラーナが薬師だから、ついでに置いてもらえただけだ。
二カ月後の契約満了で街を出たら、その先どうすればいいかわからなかった。
少なくとも、星の道義勇軍の三人とは、いつまでも一緒には居られない。
もしかすると、彼らはヴィエートフィ大橋を渡って、アーテル共和国へ行くかもしれない。
そこで別れなかったとしても、親の……街のみんなの仇とは、ずっと一緒に居る気になれなかった。
泣き疲れたティスが、レノにしっかりしがみついて寝息を立て始める。レノはピナの肩を叩いて立たせた。ティスを抱き上げ、そっとベッドに寝かせる。羽布団を掛けると目を覚ました。
「お兄ちゃ……行っちゃヤダ……どこにも行っちゃ……」
「あぁ、居る、居るよ。ずっと傍に居るから」
レノは言いながら、自分もベッドに入る。
天蓋付きの広々としたベッドは、ティス、レノ、ピナが横になってもまだ充分、余裕がある。
ピナは泣きやんだが、時折しゃくりあげた。ティスが再び寝息を立てるのを待って、そっとピナの手を握る。
一日の疲れもあって、目を閉じるとそのまま眠りに落ちた。
朝になって、三人とも赤く腫れた目でお互いを見たが、何も言わなかった。何か言えば、また泣いてしまいそうだから。
ピナが殊更に部屋の美しさを褒め、ティスはそれに乗ってはしゃいでみせる。
使用人が「朝食の準備が整いました」と呼びに来る頃には、すっかりいつもの調子で廊下に出た。
気が付くと、地虫の粉が大皿に山盛りだ。
「じゃあこれ、あっちに運ぼうか」
レノは二人に声を掛けた。
三人では不安定だ。ファーキルが先回りして、クルィーロの前の大皿を除けた。レノとロークの二人で、クルィーロの前に運ぶ。ファーキルが大皿を傾けて残りを移した。
空の大皿をこちらの机に置いてすぐ、地虫をすり潰す作業に戻る。
……今は……することがある内は、それに専念しよう。先のコトはその時じゃないとわかんないし。
考えが後ろを向かないように、悪い方へ行かないように、レノは目の前の作業に集中した。




