0255.魔法中心の街
「街の見物も兼ねて、歩いて行きましょう」
少年兵モーフは、アウセラートルの提案に後ろめたくなった。薬班は部屋に籠ってずっと作業だ。自分たちだけ気晴らしに行くようで気が引ける。
「では、お願いします」
ソルニャーク隊長が了承したので、少年兵モーフは仕方なくついて行った。
近所のねーちゃんアミエーラが拵えてくれた鞄は、まるでモーフの為だけに作られたようにピッタリだ。
今朝、鋏とカッター、新品のゴミ袋、塩のお守り袋、それから昨日もらったばかりの銅マグを入れた。
塩のお守り袋は、少し前にパン屋のレノ店長が作ってくれたものだ。
鞄を肩から掛けると、少し誇らしい気持ちになり、自然と背筋が伸びた。
「おっ? 坊主、男前が上がったじゃねぇか」
「なんだよ、それ?」
玄関を出て外の日射しを浴びた途端、メドヴェージがいつもの調子でからかってきた。
ソルニャーク隊長とねーちゃんが苦笑する。先に立って案内するアウセラートルの表情はわからない。
「何って、褒めてんだよ」
「何なんだよ、もう。褒めるんなら、これ作ったねーちゃんを褒めろよ」
「はははっ。それもそうだな。姐ちゃん、あんたスゲエな」
「いえ……そんな。この形の鞄は簡単ですから」
アミエーラが謙遜すると、メドヴェージは更に言った。
「いやぁ、これがプロの仕事なんだな。俺なんざ、糸を解くのに布破っちまわぁな。坊主、よくみて憶えとけよ。これが一端の職人の業って奴だ」
結局、モーフに話が戻って来た。
面倒なのでテキトーに頷いてみせ、アウセラートルの背を追う。
……これで、家一軒だけなんだよな。
昨日、少年兵モーフたちが泊めてもらった部屋だけでも、リストヴァー自治区のバラック十軒分以上あった。家全体は、少しだけ通った学校より大きい。庭も入れれば、これまで働いたどの工場よりも広かった。
……こんだけ土地がありゃ、淡水化プラント何基置けんだよ? いや、湖から離れてっからムリか。
愚にもつかないことを考えながら歩いても、まだ門に着かなかった。
「アウセラートル様、おはようございます。どちらまで?」
「ちょっと街を案内して、森まで行く。昼には戻る」
「お気をつけて」
少年兵モーフは、個人の家に門番が居ることに驚いた。
自治区では、発電所や淡水化プラントのような重要な施設や、自治区外に本社がある大企業の工場にしか居ない。
……姉ちゃんと母ちゃんにも、見せてやりたかったな。
あの号外の写真を思い出し、涙が零れそうになる。少年兵モーフは、歯を食いしばって前を見た。
ドーシチ市の街並は、先に見たモールニヤ市とあまり違わない。
石畳の道の両脇に建つ家はどれも立派で、壁や扉には似たような模様がある。魔法使いの工員クルィーロが、トラックの荷台で、あれは【魔除け】などの呪文だと教えてくれた。
ラクリマリス王国は、みんな魔法の家なのだ。キルクルス教徒の自分たちがこんな場所を歩くなど、夢にも思わなかった。
……でも、キレイなとこだよな。
道行く人々の服装も、みんな清潔で立派だ。
誰一人として、垢染みて破れた服や、継接ぎだらけのボロなんか着ていない。服にも建物と似たような模様……何かの呪文があった。
ラキュス湖に浮かぶ同じネーニア島の中で、こんなにも違う。
ここはこんなにも平和だ。
アーテル共和国とネモラリス共和国に挟まれた場所だが、戦争なんか全く別世界の出来事のようだ。
少年兵モーフは、不思議でならなかった。
石畳の道を歩き、商店が並ぶ一角を通った。
どの店も、ゼルノー市より賑う。商人と買物客は、アウセラートルの姿に気付くと、誰もが愛想良く挨拶した。
自治区民の四人は、何となく少し離れて歩き、彼と無関係を装う。
針子のねーちゃんはともかく、男連中は交換品やファーキルにもらった服に着替えてもまだ、みすぼらしい。彼と並んで歩くのは、気が引けた。
アウセラートルは、四人の胸中を知ってか知らずか、同じ歩調で前を行き、振り向きもしない。四人は、雑踏の中で大柄な名士を見失わないよう、ついて行った。
広場に出ると丁度、朝市が終わったところで、片付けの最中だ。
……ホントなら、ここで泊って、普通に商売してたのになぁ。
アウセラートルは、店仕舞いする農家らとも、にこやかに挨拶を交わす。顔が広いと言うか、この街でアウセラートルを知らない者は居ないようだ。
広場を出て、職人の工房らしきものが多い通りに入る。
急に人が減り、淋しい感じの通りを端まで歩くと、ちょっとした広場に出た。一角にガソリンスタンドがある。男の店員がヒマそうに店の窓を拭く。
「ここが、このドーシチ市で唯一の燃料販売店です。みなさんが街を離れる際に給油できますよう、手配致します」
「おう、ありがとよ」
運転手メドヴェージは気安く答えた。
広場を出ると、ドーシチ市の東門だ。
今は開け放たれ、門番などは居ない。石造りの門柱と鋼鉄の門扉にも、呪文が隙間なく彫り込まれて物々しい。
……これが、ほぼ魔法文明国の街なんだ。
少年兵モーフが生まれ育ったリストヴァー自治区には、大小たくさんの工場が建ち並び、いつでも機械の駆動音が響く。
工場前の大通りには、トラックなどの大型車輌がひっきりなしに行き交う。何軒もあるガソリンスタンドはどこも賑い、威勢のいい店員たちはいつも忙しそうだ。
いつだったか、どこかの工場で事務のおばちゃんに教えてもらった。
ガソリンスタンドの店員になるには、ちゃんと学校を出て、うんとお勉強して、危険物取扱の免許を何種類も取らなきゃいけないのよ、と。
生計を支える為、殆ど学校に行けないモーフは、それを聞いて諦めた。
ここには、工場の煤煙も廃液やヘドロの臭いも、色んな油や排気ガスの臭いもない。ただ埃っぽいだけの風に、家や店から流れた食べ物の匂いが混じって漂った。
門から出ると、目の前に何もない草地が広がった。
アスファルトで舗装された国道の両脇は、来る時に街の北側で見たのと似たような草が生い茂る。
少し離れた所に木の柵があった。その向こう側は規則正しく緑の草が連なり、何かする人の姿も見える。
森はずっと遠くで影絵になり、もっと遠い空の下で、雲を纏った山脈が霞む。
「この道沿いにもう少し行くと、街の人の畑、森の手前は共同の薬草畑です」
アウセラートルが簡単に教えてくれたが、少年兵モーフは畑を見たことがない。
自治区の西にあって、麦や野菜を育てる所で、そこの物を盗んだら殺される。
それだけだ。
星の道義勇軍が、バラック街にプランターを置いて野菜を育てようと試みたこともあるが、上手くゆかなかった。
……そう言や、ソルニャーク隊長は昔、農業地帯に住んでたって言ってたな。
どんな思いでこの景色を見るのか気になったが、聞くのは怖いような気がする。代わりに、近所のねーちゃんに聞いてみた。
「ねーちゃん、畑って見たことある?」
「あるよ。農家に婚礼衣裳を作りに行ったことがあってね、その時に」
「ふーん」
「なんだ、坊主。畑が気になんのか?」
「ん? あぁ、まぁな。おっさんも見たことあんのか?」
メドヴェージは、誇らしげに胸をちょっと反らして笑った。
「そりゃあるともさ。しょっちゅう肥料や家畜の餌を配達しに行ったぞ」
「ふーん……」
モーフがそれきり黙ったので、二人は何も言わないでくれた。
……見たことねーの、俺だけかよ。
足を前に進めると、畑が視界でだんだん大きくなる。
膝の高さに伸びた草が整然と並び、時折吹く風に揺れて一斉にお辞儀した。
「坊主、こいつは小麦畑だ」
「これが?」
「そうだ。まだ育ててる途中で、収穫すンのは六月頃になるな」
「へぇー……」
少年兵モーフは、アミエーラが小さく頷くのを見て感心した。
……おっさん、意外に物識りなんだな。
麦畑の脇を通り、野菜畑に差しかかる。
畑にしゃがんで何かするおばさんが、アウセラートルに気付き、立ち上がって挨拶した。地元の名士は気さくに応じ、どんどん先へ行く。
道路の左右どちらを見ても、見渡す限り畑が続く。
アウセラートルが薬草畑の手前で立ち止まり、改まった口調で隊長に言う。
「実は今、薬師の養成学校を準備中なのです」
「我々にどんな関係が?」
ソルニャーク隊長はそっけなく返し、歩みを止めなかった。
アウセラートルは横に並んで歩きながら、気にせず話し続ける。
「他所の街の薬師様にお願いして、【思考する梟】学派の魔道書の解説書を執筆していただきました」
「独学でも薬を作れるように、ですね?」
隊長の言葉にアウセラートルは大袈裟に驚いてみせた。
「ご明察です、それで……」
「ウチの薬師の姐ちゃんに先生やってくれっつーのは、勘弁してくれよ」
メドヴェージが口を挟む。
アウセラートルは肩越しにちらりとメドヴェージを見たが、すぐに隣を歩く隊長へ視線を戻した。
「先生と申しましょうか、薬を作る作業を見学させていただきたいのです」
薬師候補生は既に決まっており、解説書の印刷が上がり次第、学び始める。解説書は来月頭には届く予定だと言う。
契約期間中だ。
「指示を出して下されば、彼らに薬作りを手伝わせても構いません」
「なんだ。やっぱり姐ちゃんに先生やらす気じゃねぇか」
「……そう思いますか?」
アウセラートルは叱られた犬のような顔でメドヴェージに聞き、ソルニャーク隊長を窺った。
隊長が前を向いたまま答える。
「そのような契約ではなかった筈だ」
「えぇ、恐れ入ります。それでは、改めて、報酬を上乗せして追加契約を」
「本人に聞いてくれないか? 私は彼女に命令できる立場にない」
アウセラートルは驚いた顔で立ち止まり、後ろを歩く少年兵モーフたち三人に向き直った。
湖の民の薬師アウェッラーナと同室に泊ったアミエーラは、困惑して口を噤む。
少年兵モーフは、ひとつ頷いて隊長の発言を肯定してみせた。メドヴェージがにやりと笑う。
「あのな、あの薬師の姐ちゃんは、あぁ見えて俺らよりうんと年上なんだ。俺ら小童共が偉そうに意見なんざできねぇんだよ」
アウセラートルは三人の反応を見て寸の間考え、小さく息を漏らした。
「わかりました。では、後程改めてお話させていただきます」
その後は森に着くまで、誰も何も言わなかった。




