0253.中庭の独奏会
「ラクエウス先生のお陰で、罹災者への多大な支援が集まりました。有難うございます」
「儂こそ、この老いぼれの微力でも国民のお役に立てたようで、有難いことだ」
人権団体の代表者が席を立ち、ラクエウス議員も腰を上げた。扉の脇に立つ魔装兵は動かない。その襟で魔法の通信機【花の耳】が光る。
「それではまた、何かありましたら、よろしくお願いします」
「あぁ、こちらこそ、よろしく頼むよ」
当たり障りのない挨拶を交わし、老議員も代表者に続いて応接室を出る。最後に魔装兵が退室し、扉を閉めた。
廊下に立つ魔装兵が、代表者を議員宿舎の門まで送って行く。
ラクエウス議員は応接室の魔装兵に促され、自室へ向かった。
議員宿舎の廊下は、いつになく人が多い。
各部屋の前では、警護名目で配置された魔装兵が目を光らせる。
ラクエウスは横目で廊下の窓を見た。中庭でも少数の魔装兵と、自動小銃を装備した一般の陸軍兵が警戒に当たる。
二階の自室前で待機する魔装兵が、菓子の大入り袋を差し出した。
「点検の結果、異状ありませんでした。安心してご査収下さい」
「……随分、減っているようだが?」
人権団体からの差し入れを受け取り、ラクエウスは眉を顰めた。菓子の残りは三分の一程だ。
「はッ! 念の為、サンプルを抽出し、毒見を致しました!」
「そうかね。ご苦労さん」
自室で独りになると、ラクエウスは盛大に溜め息を吐いた。
今のところ、部屋の中までは入らないが、それでも充分、気詰まりだ。開封された菓子をクリップで留め、取敢えず机に置いた。
することがなくなり、手持無沙汰になる。
窓辺に立ち、通りを見降ろした。
天気はいいが、議員宿舎前の大通りには人と車が殆どない。交通規制のせいだ。街角の要所要所で魔装兵と陸軍兵が眼を光らせる。
数日前の未明、議会から非常招集がかかり、【魔哮砲】使用継続の可否についての採決が行われた。
与党の最大派閥だけでなく、野党の過半数が賛成した。
あの時、地元に居た議員は少数で、まだ事情を知らされないようだ。
ラクエウスら反対した国会議員は、こうして宿舎で軟禁される。議場で判断を保留した数人も、機密保持の為、反対派と同じ扱いを受けた。
反対派議員らは、外出を禁じられた。
今はまだ、面会相手の制限はないが、魔装兵の監視が付く。
議員宿舎には元々【跳躍】【遠望】【敏い耳】などの術を防ぐ結界が張り巡らされ、力ある民の議員でも、魔法での外出や、外部との連絡はできない。
皮肉にも、防犯や防報用の結界が、ここを簡易牢獄に変えてしまった。
電話は「回線の不調」とやらで、会議室と管理人室、応接室以外は不通だ。
私物のラジオは取り上げられ、新聞配達もなくなった。情報が遮断され、現在の情勢が全くわからない。
……結局、どんな声明を発表したのやら。
議員宿舎は、四棟の建物が中庭を囲んで建つ。
賛成した議員は、与党の宿舎に引越した。
反対派と保留した議員は、野党用の一棟に押し込められた。
ラクエウスの隣人たちは与党の宿舎へ移り、代わりに来たのは与党の古参を糾弾した若手と、判断を保留した湖水の光党の議員だ。
……何とかして、国民に真実を伝えたいのだがな。
力なき民のラクエウス議員にはお手上げだ。
手紙も当然、検閲されるだろう。この為に彼らは首都クレーヴェルに居た国会議員を全員、議場に集めたのだ。
地元に戻って留守だった議員が束になっても、数で負ける。
……民主主義……か。
多数派が判断を誤っても、それが「正しい」とされてしまう。
国会議員で唯一のキルクルス教徒であるラクエウスが、議会でそれなりの発言力を維持できたのは、各種人権団体や業界団体などの後ろ盾があるからだ。
彼らがロビー活動を行い、ラクエウスに代わって、フラクシヌス教徒の穏健派議員らの支援を得た。
今後はそれもできなくなる。
ラクエウス議員はクローゼットを開け、竪琴を取りだした。ベッドに腰掛けて調律する。
弦を少し締め直し、廊下に出た。
「どちらへ?」
「中庭だ。ちょっと弾こうと思ってな」
隣の扉が開き、若手議員が顔を出した。
彼の議員生命はもう終わったようなものだ。いや、事が動けば生命をも奪われかねない。だが、若者の眼にはまだ、情熱の輝きがあった。
「僕も聴かせていただいてよろしいですか?」
「儂は構わんが……」
ラクエウス議員は、魔装兵二人を見遣った。彼らは素早く視線を交わし、老議員に愛想のいい笑顔を向けた。
「我々も、任務抜きで楽しみです」
魔装兵に前後を挟まれ、中庭に降りた。
ラクエウスと若手議員は、日当たりのいいベンチに腰を落ち着ける。魔装兵の一人はラクエウスの傍ら、もう一人は若手議員の前に立った。
ラクエウスは少し考え、「この大空をみつめて」を奏でた。
竪琴の澄んだ音色が、天気予報のBGMの主旋律をなぞる。
「中庭での術の行使は禁止です!」
中庭に配置された魔装兵の一人が、ベンチに駆け寄る。ラクエウス議員は立ち上がり、兵を一喝した。
「無礼者ッ! 儂をキルクルス教徒と知っての暴言かッ!」
「いっいえっ。申し訳ございません。失念しておりました」
老議員の気魄に呑まれ、魔装兵は足を止めて頭を下げた。他の兵士らの視線が、何事かとベンチに集まる。
ラクエウス付きの魔装兵が、申し訳なさそうに言った。
「恐れ入ります。こちらの連絡が不十分でした。お気を悪くなさらず、続きをどうぞ」
ラクエウス議員が鷹揚に頷いてみせ、腰を降ろすと、駆け寄った魔装兵はもう一度頭を下げて、持ち場へ戻った。
……ここまでは予想通りだな。
天気予報のBGM「この大空をみつめて」が、【飛翔する燕】学派の呪歌【やさしき降雨】であることなら、ラクエウスも交響楽団時代に教えられた。
傍らを見ると、与党の若手議員が不安な面持ちでラクエウスを見詰める。
ラクエウスは微笑んでみせ、竪琴をひとつ掻き鳴らした。
「興が削がれた。別のを弾こう」
若手の顔がたちまち明るくなった。素直な反応に気を良くし、弦を爪弾く。
前奏に続けて、かつて【歌う鷦鷯】学派の歌手ニプトラ・ネウマエの為に演奏した主旋律を紡いだ。
若手議員だけでなく兵士たちも、澱みない竪琴の音色にうっとりと耳を傾ける。
リストヴァー自治区選出の国会議員ラクエウスは、束の間、ラキュス・ラクリマリス交響楽団の一員ハルパトールに戻って曲に集中した。
竪琴を抱き、一心に掻き鳴らす。弦の響きが心を震わせ、ここがどこで、今がどんな状況かさえ、忘れさせた。
曲が終わり、最後の一音が、宿舎に区切られた四角い青空に吸い込まれる。
一呼吸置いて、隣から拍手が起こった。若手に続いて近くの魔装兵が手を叩く。中庭に配置された兵も戸惑いがちに加わり、すぐに万雷の拍手が中庭を満たした。
廊下の窓を開け、何人もの議員や兵士が手を叩く。
「感動しました。なんて曲ですか?」
「うむ。儂も題名は失念してしまった。歌手はニプトラ・ネウマエだった」
「へぇー……」
ラクエウスは付近の兵をチラリと見て、若手議員に教えた。
「若い君が知らんのも無理はない。半世紀の内乱前の歌手で、曲もその当時のものだ。生憎、未完だがね」
「えっ? これで作りかけなんですか?」
若手の眼が驚きに見開かれる。ラクエウスは重々しく頷き、眉間の皺を深くして溜め息を吐いてみせた。
「本当は、歌になるハズだったが、内乱が始まって詩人が亡くなったのでな。歌詞が途中なのだよ」
「どうしてご存知なんですか? ラクエウス先生が作曲なさったんですか?」
ラクエウスは苦笑して首を横に振り、兵士の様子を窺って応えた。
「儂は昔、ラキュス・ラクリマリス交響楽団の一員だったんだよ。力なき民だから、曲には何の力も与えられんがね」
「そんなコトありません! 僕、凄く感動しました! 兵隊さんたちもそうですよねッ?」
若手議員の勢いに、付近の魔装兵たちが次々と頷いた。
「自分も感動しました」
「こんな感動したの初めてです」
「有難うございます」
兵士たちの声が止むのを待ち、ラクエウスはひとつ咳払いして口を開いた。
「途中でよければ、歌詞も聞いてみるかね?」
「はいッ! 是非お願いします!」
「歌はヘタですまんがね」
打てば響く反応に笑みを返し、ラクエウスは一言断って腰を上げ、ベンチの前に立って歌い始めた。
歌手ではないが、演説で鍛えた張りのある声が、正確に音程を辿る。
「穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える
涙の湖に浮かぶ小さな島 花が朝日に揺れる」
民族融和を願い、志半ばで散った詩人。彼が願いを紡ぎ、祈りを籠めて謳おうとした詩の欠片だった。
☆魔法の通信機【花の耳】……「0136.守備隊の兵士」「0154.【遠望】の術」「0157.新兵器の外観」参照
☆議会から非常招集……「0241.未明の議場で」参照
☆【魔哮砲】使用継続の可否についての採決……「0247.紛糾する議論」「0248.継続か廃止か」参照
☆天気予報のBGM「この大空をみつめて」が、【飛翔する燕】学派の呪歌【やさしき降雨】……「0178.やさしき降雨」参照
☆ラクエウスも交響楽団時代に教えられた……「0220.追憶の琴の音」参照




