0252.うっかり告白
アミエーラは、湖の民アウェッラーナと同じ部屋に通された。
使用人が、アウェッラーナのコートと鞄を預かり、奥のクローゼットに掛ける。アミエーラが自分で片付けようとすると、使用人がそっとコートと重いリュックを受け取った。
「あ、えっと……」
こんな丁重に扱われた経験がなく、頭が真っ白になる。
使用人は無言で寝床を整え、「どうぞ、ごゆるりとおやすみ下さいませ」と一礼して退室した。
ここも豪奢な部屋だ。
アミエーラが今まで見たどの部屋よりも立派で、寝台だけでも、リストヴァー自治区で家族と暮らしたバラック小屋より広い。
寝台には屋根があり、小部屋のような造りだ。ビロードのカーテンが片側だけ開けられ、中が見えた。布団は色とりどりの花模様で、夢のように美しい。ふたつ並んだ枕にも同じ模様がある。
寝台近くに置かれた鏡台は、金で象嵌された彫刻が施され、触れるのが畏れ多いくらい豪華だ。
「あ、あのっ、アウェッラーナさん」
「はい?」
「えっと、あのっ、私なんか、相部屋にして下さって、ありがとうございます」
「いえ、私の方こそ、広過ぎて落ち着かなかったので助かります」
互いにひとしきり頭を下げ合い、寝台に腰を降ろす。ふかふかの布団が二人をふわりと受け止めた。
「今日は、朝早くから大変だったそうで……すみません」
「いっ、いえっ、アウェッラーナさんのせいじゃありませんし、まさか、あんなコトになるなんて誰も思いませんでしたから……」
緑髪の薬師は表情を幾分か和らげたが、小さく息を漏らした。
「まさか……か。そうですよね。手前の街では、こんなコトなかったのに……どうして……」
「あ、あのっ、私、えっと、私たち、材料がなくなっちゃったんで、明日、採りに行くんです」
薬師は怪訝な顔で、緊張でしどろもどろのアミエーラに緑の目を向けた。
湖の民と二人きりになっただけで、何故こんなに緊張するのか、自分でもわからない。それでもどうにか言った。
「あのっ、それでっ、気になるんでしたら、私、聞いてきましょうか?」
アウェッラーナは目を閉じて俯いた。
……もしかして、何かとんでもないコト言っちゃった?
アミエーラは気マズい沈黙に声もなく、湖の民の横顔を見詰めた。
緑髪が白い頬にはらりと掛かる。中学生くらいの女の子にしか見えないが、半世紀の内乱中に生まれたと言う。少なくとも、アミエーラの倍以上の歳月を生き延びた大人だ。しかも、ちゃんと魔法を使える。
この状況には、アミエーラには想像もつかない問題があるのだろう。
「お願いしていいですか?」
「は、はいっ! いいですよ。やっぱり、気になりますよね」
「もしかしたら、アウセラートルさんたちが契約を守ってくれても、この街から出られないかもしれません」
安請け合いしたアミエーラは、薬師の思わぬ言葉に顔を引き攣らせた。
「隊長さんにも相談して、危なそうだと思ったら、深入りしないで下さいね」
薬師に真剣な面持ちで言われ、アミエーラは戸惑った。
……危険? どうして? 街に薬師さんが居ないワケを聞くだけなのに?
「アウセラートルさんたちは、街で唯一の薬師が亡くなったからだと」
「あ、聞いてらしたんですか」
アミエーラは拍子抜けしたが、あの大男が本当のことを言った保証はない。薬師アウェッラーナは信じられないのだろう。
「それも理由のひとつだと思いますが、何か、引っ掛かるんです」
緑髪の薬師は声を潜めた。
彼の話の真偽はわからない。本当だとしても、何か重要な部分を隠された気がする。改めて言われれば、難民の一団に過ぎない自分たちが、厚遇される理由もわからない。ドーシチ市民の魔法薬への渇望は、恐ろしい程だった。
……確かに、約束通りにお薬を作っても、街から出られないかもしれないわ。
今朝の暴動を思い出し、アミエーラは身震いした。
「街の外へ、自治区のみなさんだけでって言うのは……」
「アウセラートルさんが来て下さいますし、ここに【魔除け】のお守りもありますから、大丈夫ですよ」
「ロークさんから借りたんですか?」
アミエーラは、心臓を氷の手で掴まれたような気がした。
緑髪のアウェッラーナが、口を滑らせて黙り込んだ針子に笑顔で言う。
「あ、別にダメってワケじゃないんです。魔法の護符を身に着けるの、キルクルス教徒の方にはキツイかなって」
アミエーラは、上着越しに仕立屋の店長がくれた【魔除け】の護符を握った。山道でずっと守ってくれた。これがなければ、何度も命を落としていただろう。
時が来ればいずれ、伝えなければならない。思い切って襟元から引っ張り出す。
首から提げた護符の袋は、実際以上に重く感じられた。
「それは……」
薬師アウェッラーナは、一目でロークの私物や、トラックの備品ではないと見抜いたらしい。
針子のアミエーラがこくりと頷く。ひとつ大きく息を吸って腹に力を入れ、答えを口にした。
「自治区で、仕立屋の店長さんからいただきました」
「まさか……」
フラクシヌス教を信仰する湖の民が言葉を失う。
「私の祖母は力ある民です。生前に預かった店長が返して下さったんです」
緑の瞳が、驚きに見開かれる。
アミエーラは、護符の小袋から【魔力の水晶】を取り出して、掌に乗せた。途端に、透き通る水晶に淡い光が灯る。
「アミエーラさん……」
信じられないと言いたげな瞳が【魔力の水晶】と、キルクルス教徒の針子を見詰めて揺れる。アミエーラの口は、一度伝えると決心した後は、滑らかに動いた。
「私が……祖母に似て魔力があると知ったのは、つい最近です」
緑の瞳が、アミエーラの青い瞳にまっすぐ向けられる。
包み隠さず伝えるとは言え、言葉は慎重に選びながら続けた。
「自治区で生まれて、聖者キルクルスの教えを受けて育ったので、魔法は知りません」
「えっと、じゃあ、これから、どうするんですか?」
それには首を横に振るしかなかった。
「……わかりません。信仰に従ってアーテルに渡った方がいいのか、魔法の勉強をして、フラクシヌス教に改宗すればいいのか、何も……何もわかりません」
これから何者として、どこで、何をして生きればいいのか。
何ひとつわからない。
湖の民アウェッラーナは、予想外の告白に衝撃を受け、揺れる瞳を伏せた。
「そ、そうですよね。そんなの、急に決められませんよね」
重苦しい沈黙が、豪奢な寝室に降り積もる。
どのくらい経ったか、湖の民が顔を上げた。
「お祖母さんも、魔法を使えない方ですよね? それなら同じように」
「いいえ。祖母は……祖母の手帳があります。見ていただけますか?」
アミエーラは自分で答えるのはやめ、クローゼットからリュックを引っ張り出した。手帳は、山道から掘り起こした後、底に仕舞い込んだままだ。
古びた手帳三冊を寝台に並べ、表紙に(一)と書かれた手帳を差し出した。
「いいんですか? 大事なものなんじゃ……?」
「一人で見るの怖くて、まだ見てないんです」
「じゃあ、一緒に見ましょう」
薬師はアミエーラを安心させるように微笑むと、小さく頷いて表紙を捲った。
「呪文の覚書ですね。【霊性の鳩】の初歩的な術です」
「えっ?」
アミエーラには読めない文字が、丁寧な筆跡で認めてある。
薬師がページを開きながら、説明してくれた。
最初のページは力ある言葉の呪文、次が発音と湖南語訳、三ページ目に効力と注意点。ひとつの呪文の使い方の説明を三ページ一組にまとめてある。
「お祖母さんも、私たちが図書館でしたのと同じことをなさってたんですね」
針子のアミエーラと出会う前、移動販売店見落とされた者のみんなは、図書館に立ち寄った。星の道義勇軍の三人とロークは地図を書き写し、フラクシヌス教徒のみんなは、魔道書から役立ちそうな呪文を書き写したと言う。
トラックをみつけて道路の瓦礫を取り除き、本格的な移動を始める前に必要な情報を三日掛けて集めたのだ。
「……そんなことがあったんですか」
「えぇ。お祖母さんも、もしあなたが力ある民だったら、自治区を出ても暮らせるように用意して下さったんでしょうね」
手帳を埋めた時、祖母に言われた言葉を思い出した。
「アミエーラ。本当に困った時は、これを出して使いなさい」
幼いアミエーラは、こんな物が何の役に立つか想像もつかず、ただ首を傾げた。
「使えるように、うんとお勉強を頑張るのよ」
……使えるように……お勉強。
アミエーラが忘れただけで、祖母は、孫娘が力ある民だと知っていたのだろう。
だから、いつか使えるように呪文の覚書を一緒に埋めに行ったのだ。
☆リストヴァー自治区で家族と暮らしたバラック小屋……「0027.みのりの計画」参照
☆朝早くから大変だった/ドーシチ市民の魔法薬への渇望……「0235.薬師は居ない」~「0238.荷台の片付け」参照
☆手前の街では、こんなコトなかった……「0217.モールニヤ市」~「0219.動画を載せる」「0222.通過するだけ」「0223.ドーシチ市へ」参照
☆街で唯一の薬師が亡くなったから……「0231.出店料の交渉」参照
☆仕立屋の店長がくれた【魔除け】の護符……「0091.魔除けの護符」参照
☆山道でずっと守ってくれた……「0102.時を越える物」「0118.ひとりぼっち」参照
☆祖母の手帳……「0102.時を越える物」「0118.ひとりぼっち」参照
☆私たちが図書館でしたの/必要な情報を三日掛けて集めた……「0147.霊性の鳩の本」参照




