0245.膨大な作業量
薬師アウェッラーナは、朝食後から、ひたすら薬を作り続ける。
ドーシチ市商工組合長ラトゥーニは、私邸に専用の作業部屋を用意した。
机上には製剤に必要な機材の他、中間素材の瓶も所狭しと並ぶ。
大きな作業台の脇には、完成した魔法薬の容器と木箱。反対側には、薬草が種類別に詰められた麻袋、植物油などの壺、乾燥させた地虫や虫綿、鉱物、木の実、キノコなどの瓶詰や袋が積み上がる。
全て、この二カ月で作る薬の素材だ。
椅子の横には、満々と水を湛えた立派な水瓶がみっつある。
アウェッラーナは【操水】の術でその清水を起ち上げた。
もうひとつの作業台では、ソルニャーク隊長が、乳鉢と乳棒で地虫をすり潰す。
乳鉢に粉末が溜まると、横に置いた白い大皿に移し、次の地虫を追加する。大皿には茶色い粉が山盛りだが、地虫袋の膨らみは、まだまだ大きい。
隊長は、いつ終わるともしれない単純作業を黙々とこなす。
「身の内に 忍びし毒を 絡め取り 解き解す手は忍冬
金銀の花 常に緑 赤き血潮の毒を去り 清め流せよ
清き水 清き滴を今ここに」
薬師アウェッラーナが唱える力ある言葉に従い、手にした薬草が清水と霊的に結合する。
薬草は形を失い、清水に溶け込んで薄緑色の液体になった。毒消しの薬が、生き物のようにするりとガラス瓶に収まる。
毒消しは、素材にする薬草の種類を変えれば、同じ呪文で何種類も出来る。
今作ったのは、蜂や百足などの【虫刺され用の毒消し】だ。
ソルニャーク隊長が、薬の完成に気付いてこちらへ来る。
湖の民アウェッラーナは、薬草の束を手に取り、再び同じ呪文を唱えた。
隊長が、ガラス瓶にきっちり蓋をして木箱に片付けた。既に一リットル入りの瓶が八本収まる。
木箱と瓶には「毒消し 虫さされ用」のラベルが貼られ、一箱十二本入りだ。部屋の隅に完成品を四箱、置いてある。
薬師の作業机には【魔力の水晶】が入った小袋がある。
魔力を使い果たし、光を失った【水晶】が、傍らの小さな籠で休む。契約で、一日一回、魔力を補充してもらえる。
アウェッラーナ自身は休まず、同じ呪文を唱えた。
【水晶】は、親指くらいの大きさが二十四個。魔法薬を期限までに全て作り終えれば、全て報酬としてもらえる契約だ。
これだけあれば、力なき民のみんなにも【簡易結界】などを手伝ってもらえる。
キルクルス教徒の四人に強要する気はないが、後の七人だけでも充分、心強い。レノ店長には、クルィーロとファーキルから呪文を教えてもらうよう、頼んであった。
……薬草は、嵩が高いから、たくさんあるように見えるだけよ。
緑髪の薬師は自分を励まし、未処理の薬草の山をなるべく見ないで薬を作る。
昨夜、商業組合長ラトゥーニとその片腕アウセラートルを相手取り、レノ店長とソルニャーク隊長、アウェッラーナは頑張って交渉した。
魔法薬を作るノルマは却って増えてしまったが、移動販売店見落とされた者の生活の保障と、二カ月後には必ずこのドーシチ市から出す約束は取りつけた。
この一箱が終われば、次は地虫で熱冷ましだ。
薄緑の液体をガラス瓶に注ぎ、手の中の【水晶】を籠に置いた。小さく息を吐いて、袋から新しい【魔力の水晶】を取る。
不意に「この大空をみつめて」の旋律が流れた。【水晶】を机に置いて耳を澄ます。いつもの天気予報のBGMに続いて、単一楽器の演奏も聞こえた。
……あぁ、あのレコード。
発電機の駆動音は聞こえないが、音源は近くにあるようだ。
広場で待たせたみんなが無事に来られたとわかり、ホッとして【魔力の水晶】を手に取った。歌を聴きながら力ある言葉を詠じたが、すぐ術に集中し、何も耳に入らなくなる。
少しでも早く契約を果たし、自分たちの売り物を作りたかった。
やっと、虫さされ用の毒消し五箱分が完成した。
使い切った【水晶】は十個。こんな調子では先が思いやられるが、昼食を食べて少し休めば、まだ大丈夫だろう。
ソルニャーク隊長がすり潰してくれた地虫の粉末は、相当な量になった。
窓の外からホイッスルが響き、一呼吸置いて軽快な曲が流れる。隊長が、薬の瓶を詰めた木箱を部屋の隅へ運びながら呟いた。
「国民健康体操だな」
アウェッラーナは窓辺に立った。
この窓からはトラックが見えない。諦めて作業台に戻ったが、懐かしい曲を聴けたお陰か、幾分か気持ちが軽くなった。
机の抽斗から薬匙を出し、床に積まれた包みのひとつを机に上げる。薬包紙だ。
熱冷ましを作る術自体は簡単だが、粉薬を一回分ずつ包むのは大変な手間だ。
しかも、熱冷まし一回分に必要な地虫は三十匹。これだけ集めるのに、気が遠くなる程の労力が掛かったのだ。一匹たりとも無駄にできない。
机に空の大皿と深皿を置いて、ソルニャーク隊長に声を掛ける。
「みんな着いたみたいですね」
「そのようだな」
隊長は、地虫をすり潰す手を休めずに答えた。
アウェッラーナは、今から取り掛かる作業を掻い摘んで説明した。
「熱冷ましを作るのは簡単なんですけど、一回分ずつ包むのが大変なんですよ」
「そうか」
隊長に地虫をゴリゴリすり潰しながら返事をされ、思い切って提案した。
「隊長さんとか、蔓草細工のできる方にはそれをしていただいて、作り方を知らない人に、これを手伝っていただくのはどうでしょう?」
「蔓草細工と薬作り……? 薬師はあなた一人だろう?」
「勿論、魔法薬は私が作りますけど、今、隊長さんがなさってる作業とか、何人かで分担したら、効率いいと思います」
「そうだな。では、取敢えず、これはそちらに置こう」
ソルニャーク隊長が、乳棒を置いて腰を浮かす。同時に薬師も立ち上がり、二人掛かりで大皿を運んだ。机に置いた振動で粉末が揺れ、裾野が広がって頂上が低くなる。隊長が空の大皿を手にして、持ち場へ戻る。
「ありがとうございます」
……キルクルス教徒なのに、魔法薬を作るお手伝いをさせて、ごめんなさい。
言外に申し訳なさを滲ませ、礼を言う。
星の道義勇軍のソルニャーク隊長は軽く流した。
「なに、構わんさ。困った時はお互い様だ」
アウェッラーナは、隊長の眼を見た。
瞳は、ラキュス湖さながら澄んだ色だ。湛えられた静かな光は到底、キルクルス教徒のテロリストとは思えなかった。
……でも、この人は、あの人たちの仲間だし。
父はゼルノー市立中央市民病院に入院中、押し入ったテロリストに射殺された。老父が庇ってくれなければ、アウェッラーナも殺されただろう。
あの時、ソルニャーク隊長とメドヴェージ、そして少年兵モーフは、別のフロアを襲撃中だった。
もし、二階の病室を襲ったのがこの三人なら、父を殺したのは彼らだったかもしれないのだ。今、彼らと寝食を共にするのが不思議でならない。
……手伝ってくれるってコトは、狂信してるワケじゃないのよね。
狂信者なら、そもそも湖の民のアウェッラーナや、力ある民のクルィーロと行動を共にしないだろう。
いや、それ以前に、あの運河の畔で殺し合いになったかもしれない。
「昼は一緒に食べられるだろう。役割分担は、改めて話し合おう」
隊長はそれだけ言うと、地虫をすり潰す作業に戻った。
アウェッラーナも、薬匙で地虫の粉を取り【操水】で起ち上げた水に混ぜる。
「静かなる地の霊性を受け継ぎし小さき者よ
その身の内の地の力 ここに広めよ
ゆるやかに熱鎮め 火の余り 平らかなりて常ならむ」
水に溶けた地虫の粉から、不要な固形分を取り除き、屑籠に捨てる。薄茶色に色付いた水から、熱冷ましの成分を抽出して空の深皿に移した。
包む作業は後で手伝ってもらう。
今はとにかく、薬を作ることに集中した。
☆昨夜(中略)頑張って交渉した……「0232.過剰なノルマ」参照
☆音源は近くにある……「0242.荷台の大掃除」「0243.国民健康体操」参照
☆広場で待たせたみんなが無事に来られた……「0235.薬師は居ない」~「0238.荷台の片付け」参照
☆ゼルノー市立中央市民病院に入院中の父は、押し入ったテロリストに射殺……「0011.街の被害状況」「0012.真名での遺言」参照
☆ソルニャーク隊長とメドヴェージ、そして少年兵モーフは、別のフロアを襲撃……「0013.星の道義勇軍」「0014.悲壮な突撃令」「0017.かつての患者」~「0019.壁越しの対話」参照
☆あの運河の畔……「0056.最終バスの客」~「0058.敵と味方の塊」「0060.水晶に注ぐ力」~「0071.夜に属すモノ」参照




