0241.未明の議場で
ここ数日、ラクエウス議員は上機嫌だった。
港を見に行った帰り、市場に立ち寄った。
広場で慈善バザーが催され、クレーヴェルの都民が家の不用品などを持ち寄る。売れ残りと交換品の半分を焼け出された人々に寄付すると言う。
そこで、思いがけずみつけた。
無造作に並ぶ商品の中、青空に虹と太陽が描かれたジャケットがあった。「この大空をみつめて」のシングルレコードだ。
この出品者は、主に映画のパンフレットを売るが、ラクエウス議員の眼には、色褪せたジャケットだけが鮮やかに映った。
「……すまない。今、いい物を持っていなくて、現金でも構わないかね?」
「あぁ、いいっスよ。本部の方で食べ物とかをまとめ買いして、困ってる人に届けてくれるそうなんで」
交渉は成立し、ラクエウス議員は、手持ちの半分と引き換えに懐かしい歌声を手に入れた。
A面は、いつもラジオから流れる天気予報のBGMで、B面がニプトラ・ネウマエの歌唱付きだ。
ラクエウスはコートも脱がず、レコードを再生機に掛けた。
半世紀の内乱前の品とは思えぬ保存状態で、問題なく聴ける。所々、小さな傷がプツプツとノイズを奏でたが、それすらも味になった。
それから毎晩、ニプトラの歌を聴きながら眠った。
澄んだ歌声に心のささくれが癒される。戦争で暗く沈んだ世間も、議会での苦労も、歌に耳を傾けるひとときに洗い流された。
日中は相変わらず忙しかったが、ラクエウス議員は以前にも増して、溌溂と激務をこなす。
ある日、顔見知りの人権活動家に聞かれた。
「若返ったようにお元気ですな。何か秘訣でも?」
「自治区の国会議員は儂一人。今、働かずしてなんとします。自治区民のみならず、工場を置く企業やその関係者の命も懸っているのですよ」
何気ない言葉だが、ラクエウス議員は、時局に合わぬ浮かれた態度を咎められた心地で、取り繕った。
そんなある日、国会議員に召集が掛けられた。
時刻は未明。
強力な【魔除け】を施した軍用車が、議員宿舎へ迎えに来た。
電話で叩き起こされていたラクエウス議員は、大急ぎで着替え、押っ取り刀で議場へ向かった。
車窓の外はまだ明けぬ闇で、そこかしこに雑妖の塊が視える。事態の大きさに魔法で守られることへの苦情も忘れ、電話の内容を反芻した。
湖南経済新聞が、検閲に引っ掛かった。
しかも、悪いことにその記事は、既に他国では報道済みだ。
湖南経済新聞はアミトスチグマ王国に本社がある。
ネモラリス共和国へは、ラクリマリス王国を経由し、半日遅れで記事が届く。
ラクリマリスは、ほぼ魔法文明国だが、聖地を訪れる巡礼者の為に外国企業が認可を受け、インターネットの接続環境が整備された。
テレビ放送はなく、パソコンもほとんど普及しないが、一部に於いて情報伝達は速い。
湖南経済の記事は、インターネットでラクリマリス支社に配信され、印刷した原稿を伝達係が【跳躍】で、ネモラリス支社の担当部署へ届ける。
今、軍が輪転機を停止させ、今朝の朝刊は印刷途中だ。
議場には、寝間着姿の議員もちらほら見える。議長が件の記事を朗読すると、ざわついた議場が水を打ったように静まり返った。
「ひとまず、記事は差し止めさせました。ラジオで『湖南経済新聞は、輪転機が故障した』と発表させます」
与党の委員長が宣言し、議論が始まった。
議題は、「ネモラリス軍、魔法生物を兵器利用」の記事への対応。既に国外では大きく報じられた後だ。
アミトスチグマ王国駐在のイーニー大使が「【魔哮砲】は使い魔である」と反論した。本国からの正式な表明ではないが、一時的な対応としては上出来だ。
宗教家や人権団体など、戦災の罹災者支援で、本邦とラクリマリスやアミトスチグマを行き来する者が多い。
今朝の朝刊を止めたところで、情報の拡散を完全に封じるのは不可能だ。
大使の言い訳と新聞の発行停止で、時間稼ぎを試みる。
限られた時間で、どのような声明を出し、火消しをすべきか。
寝間着姿の議員らも、目が覚めたようだ。あちこちで激しく意見が交わされる。
ラクエウス議員は、この場で唯一人のキルクルス教徒だ。恐れていた事態が思いの外早く起き、小さく息を漏らした。
……だが、【魔哮砲】は、今や国民の心の拠り所だ。廃棄するワケにもゆかん。
現状、アーテル軍の戦闘機や爆撃機を悉く撃墜する。
この防空戦力を手放せば、ネーニア島北部だけでなく、ネモラリス島の都市も空襲に晒されるだろう。
アーテル軍は、【魔哮砲】の攻撃を防ぐ直接の手段を持たない。
それ故、ここしばらくは空襲が止んだのだ。出撃すればする程、自軍の損害が拡大する。当然の対応だ。
……それで、情報戦に転じおったか。小癪な。
このまま手を拱けば、ネモラリス共和国が国際的に孤立してしまう。
情報源は、「アーテル政府情報筋の談話」とあるが、信憑性はいかばかりか。
ラクエウス議員は【魔哮砲】がどのような兵器か、知らされなかった。
魔術の知識が乏しく、説明されたところで理解できないかもしれない。
だが、今、議会の動揺を目の当たりにして、確信した。




