0240.呪医の思い出
「オリョールさんがね、手が空いた今の内にって……」
治療が一段落した呪医セプテントリオーは、老婦人に手を引かれ、庭園の片隅に案内された。小さな畑が作られ、数種類の薬草が植わる。
オリョールは、呪医と葬儀屋を案内した若い警備員だ。
セプテントリオーは、以前から製薬会社の警備員と顔見知りだが、ランテルナ島の隠れ家に来るまで、呼称すら知らなかった。
「私は【思考する梟】の術を知らないんです」
「ん? あぁ、そうですか。まぁ、場所だけでも覚えて下さいな」
呪医を引っ張って来た老婦人は、肩を落としてそれだけ言うと、庭園の石畳をとぼとぼ引き返した。
セプテントリオーは屋敷に戻らず、薬草畑の間をゆっくり歩いた。
何種類かは、見覚えのある薬草だ。生憎、これで魔法薬を作る呪文は知らない。
セプテントリオーが修めた【青き片翼】学派の医術は薬を用いず、主に外傷を癒す魔法だ。
呪医でも【飛翔する梟】学派なら、術と薬を併用して傷と病を癒す為、薬に詳しい者が多い。
老婦人はそれを期待したのだろう。
セプテントリオーは何となく申し訳なくなった。
……【思考する梟】の薬師が居ないのに何故、こんなに薬草を育てるのだ?
疑問が頭をかすめたが、すぐ自分で否定する。きっと、他の場所に仲間の薬師が居るのだろう。
この隠れ家には、魔法薬では治療が間に合わない重傷者だけが集められる。患者は、初日に案内された部屋以外にも居たが、既に事切れた者も何人かあった。
警備員オリョールたちが遺体を庭園に運び、後は葬儀屋アゴーニに任せた。
亡くなった有志は【魔道士の涙】となって、邸内に戻される。
一人一人色が異なる小さな結晶は、内部に凝縮した魔力で淡く輝く。
死して尚、アーテル共和国との戦いに投じられる。内に宿した魔力が尽き、砕け散るその時まで……
セプテントリオーは、この隠れ家に来たほんの数日で、軽傷者も含めて五十人以上を癒した。
アゴーニが弔い、【涙】に変えた者も十数人。アーテル領内での破壊工作は、ネモラリス人有志にとって、かなり厳しい状況らしい。
これだけ死傷者を出しても、現在、それ以上に多くの有志が作戦行動にあたるらしい。
有志の多くは力ある民で、何らかの学派の術を修めた魔法使いだ。
日々の家事などに使う【霊性の鳩】学派の術でさえ、使い方を工夫すれば、恐ろしい殺傷力を発揮する。
半世紀の内乱では、【飛翔する鷹】学派の軍人や警察官、その退職者などの指導で、主婦や子供たちまで戦いに身を投じた。
セプテントリオー自身も今回の戦争に先立つテロに遭った際、掃除や食器洗いなどに使う【操水】の術でテロリストを捕えた。
それにも関わらず、建前上は「力なき民のキルクルス教国」の科学文明国アーテルで、苦戦を強いられる。
普通に考えれば、破壊工作の後、【跳躍】で速やかに現場を離脱すれば、有志側はこんなに多くの死傷者を出さずに済む筈だ。
ランテルナ島に隔離された魔法使いたちは、アーテルの圧政に苦しめられたのではなかったのか。
有志に呼応するどころか、アーテル政府の言いなりになり、彼らの戦いを妨害するのだろうか。
だが、それなら、有志たちはこの隠れ家に【跳躍】除けの結界などを施して、魔法使いの侵入を防ぐだろう。敵に魔法使いが居るなら、すぐに見つかって拠点を潰されてしまう。
……どうして……? いや、一体、彼らはどんな破壊工作を?
有志は、呪医セプテントリオーたちが、クブルム山脈北側に広がるレサルーブの森で鬱々とする間、再三に亘って支援要請に来た。
こんな状況だから、呪医と葬儀屋を必死に説得したのだ。
空襲後、森で過ごした日々と、半世紀の内乱中に送った避難生活の記憶が交錯する。
長命人種のセプテントリオーは、既に外見年齢の十倍近い歳月を生きた。かれこれ四百年以上経つ。
半世紀の内乱が始まって間もない頃、女神パニセア・ユニ・フローラの眷族……湖の民であると言うだけで、親族を全て殺された。
セプテントリオー唯一人が生き残ったのは、家族の許を離れて医療産業都市クルブニーカに居たからだ。
その街も内乱末期には焼かれ、命からがら森へ逃げ、何とか生き延びた。
少なくとも力なき民は、魔物や魔獣が棲む森までは、深追いしなかった。
セプテントリオーは今回の戦争でも、レサルーブの森に助けを求めた。
共に避難した多くの人は、空襲が一旦落ち着くと、都市部へ移動したが、セプテントリオーは街に戻る気になれなかった。
何故、葬儀屋アゴーニが傍に居てくれるのか、尋ねたことはない。
同じ湖の民だからだろうか。
半世紀の内乱中は、魔術や力ある民を「悪しきもの」と看做すキルクルス教徒だけでなく、同じフラクシヌス教徒からも身を隠さねばならなかった。陸の民が主体の「秦皮の枝党」は、湖の民を中心とする「湖水の光党」と対立した。
岩山の守護神スツラーシなど、他の神々の信者は少数派だ。
半世紀の内乱中、その声は黙殺されるか、二大宗派のいずれかに与せよと強要され、弾圧もされた。
主神派と女神派。
宗派争いは、そのまま政党間の抗争でもあり、人種差別に直結した。
内乱以前から、陸の民にも湖の女神パニセア・ユニ・フローラの信者は居る。反対に、湖の民にも主神フラクシヌスを奉じる者が居た。
少数派は、それぞれの人種・宗派から「裏切り者」の烙印を捺され、真っ先に弾圧を受けた。彼らは緑の髪を大地の色、大地の色の髪を緑に染め、懸命に信仰を守ろうとした。
緑髪のセプテントリオーは湖の民だ。
主神フラクシヌスよりも、湖の女神パニセア・ユニ・フローラへの信仰が篤い。だが、それを理由に陸の民や、主神を奉じる人々を排除する気はなかった。
命の重さは、信じる神とは無関係だ。
民族自決思想が広まる以前は、人種やどの神を信仰するかに関係なく、人々はフラクシヌス教の祭を楽しんだ。
セプテントリオーも、女神と旱魃の龍の戦いを再現した「青琩祭」だけでなく、主神の長久を祈る「樫祭」や、岩山の守護神の山を巡る「高き頂祭」にも、何の屈託もなく参加した。
キルクルス教の祭には関心がなく、近所に住む異教徒とは、互いに干渉せずに過ごした。キルクルス教徒は呪医を訪れない為、共和制移行に際して軍医の職を辞した後は、ほぼ接点がなかった。
……国がみっつに分かれて、信仰が分かれたから……
ネモラリス共和国は主に湖の女神、ラクリマリス王国は主神を奉じる。両国は分裂後も、同じフラクシヌス教国として友好関係を保った。どちらも、アーテル共和国を仮想敵国と看做す。
それぞれの国で、少数派となった宗派を保護した。
半世紀の内乱中は血を流しあったにも関わらず、今では何事もなかったかのように互いの信仰を尊重する。
だがそれは、半世紀の内乱以前にあった「無邪気な宗派間交流」ではない。
キルクルス教国アーテルと言う共通の敵に対抗する為の「宗教同盟」だったと思い知らされた。
現に、ネモラリス人の有志は、陸の民と湖の民が混在する。
呪医セプテントリオーは大きく息を吐き出し、胸に溜まった鬱々とした気分を追い出した。
……今は、余計なことを考えず、治療に専念しよう。
有志の傷は、銃創と、爆発に巻き込まれ、破片の直撃を受けたものが多かった。
破片を取り除くだけでも、大変な手間が掛かる。
体表に露出した破片なら、素人でも取れそうだが、それがなかなか、そうはゆかない。うっかり血管を傷付け、大出血を招く惧れがある。
……もっと、破片を防ぐ防具を調達できないのか? せめて、呪符くらいは。
警備員オリョールは、それらを作り得る【編む葦切】や【飛翔する鷹】学派の仲間も居ると言ったが、材料が足りないのだろうか。
「呪医ーッ! 大変だーッ!」
葬儀屋アゴーニが石畳を駆けてくる。
「どうしました?」
「ちょっとこいつを見てくれッ!」
患者の到着ではないらしい。アゴーニは手にした新聞を広げ、セプテントリオーに突きつけた。
国際面のトップで、「ネモラリス軍、魔法生物を兵器利用」との見出しが躍っていた。
☆老婦人……「0228.有志の隠れ家」参照
☆オリョールは、呪医と葬儀屋を案内した若い警備員/レサルーブの森で鬱々とする間……「0216.説得を重ねる」「0228.有志の隠れ家」参照
☆初日に案内された部屋……「0228.有志の隠れ家」参照
☆【霊性の鳩】学派の術でさえ、使い方を工夫すれば、恐ろしい殺傷力を発揮……例「0012.真名での遺言」参照
☆セプテントリオー自身も(中略)【操水】の術でテロリストを捕えた……「0013.星の道義勇軍」参照
☆医療産業都市クルブニーカ……「0191.針子への疑念」「0192.医療産業都市」参照
☆陸の民が主体の「秦皮の枝党」は、湖の民を中心とする「湖水の光党」と対立……「0059.仕立屋の店長」参照
☆緑の髪を大地の色、大地の色の髪を緑に染め……「0005.通勤の上り坂」参照
☆女神と旱魃の龍の戦い……「0230.組合長の屋敷」参照




