0024.断片的な情報
アウェッラーナが、壺を全て傷薬で満たして顔を上げる。
目の前に市民病院の事務長が立っていた。市民からの差し入れだと言って、潰れたコッペパンを手渡される。
差し入れをもらうまで、自分の空腹に気付かなかった。礼を言って受け取った途端、アウェッラーナの腹が鳴る。
鞄の中に水筒があるのを思い出した。
昼の残りのお茶はすっかり冷めていたが、何もないよりマシだ。理論上はキレイだとは言え、死体から抜き取った水を飲みたいとは思わない。
次に空容器が来るまで、束の間の休息を取る。
事務長は、呪医と他の薬師、看護師にも配っていた。どうやら、魔法使い優先らしい。科学の薬剤師と看護師には、まだ行き渡っていない。
潰れて固くなったパンを噛み締める。香ばしさで胃が更に空腹を訴えた。
ゆっくり噛んでお茶で流し込む。ふやければ、少しは空腹感も紛れるだろう。
病院の厨房は、手榴弾とダイナマイトで破壊され、食糧も台無しになった。
テロリストは、火災を狙って厨房を襲ったのかもしれないが、【耐火】の術に守られ、爆風で設備をやられただけで済んだ。
誰かが、警察の食堂は無事らしいと言ったのを聞いた気がするが、炊き出しも食糧の配布もない。
情報がなく、今、何が起こっているのかわからない。
父以外の家族が、どこでどうしているのか知らない。
食事にありつけるのが、次はいつなのかわからない。
ここで治療の手伝いをしているが、これは最善の行動なのか。
何もわからないまま、目の前の作業に追われる。
空になった壺が戻って来た。材料はまだまだある。ここの怪我人の分は充分、賄える量だ。それだけは安心できた。
……魔装警官じゃなくても、警察の人はちゃんと戦えるのね。事務長さんや市民の人たちも戦いの術が使えるみたいだし、不意打ちじゃなきゃ大丈夫。
できることがある、することがある、怪我人を助けられる、守ってくれる人が居る。自分を安心させながら、【思考する梟】学派の傷薬を作る呪文を唱えた。
「元は根を張る仲間たち 土に根を張る仲間たち 油ゆらゆら たゆたい馴染め
緑の仲間と生命結い 溶け合い結ぶ生命の緒
基はひとつの生命の根 結び留めよ 現世の内に」
アウェッラーナの手の中で【魔道士の涙】が力を出し切り、次々と砕け散る。
疲労困憊で思考が回らない。
疲れ切っているのに、休みたいと思えなかった。
【簡易結界】の外は、定かな形を持たない雑多な妖魔でいっぱいだ。
溶け崩れた虫のようなモノ、ヒトに似たモノ、獣と植物を混ぜたようなモノ、他の何にも似ていないモノ……これだけ数が居ると、個体の境界も曖昧で、何匹いるのかさえわからない。
湖の民や力ある陸の民にあっさり蹴散らされる。
衣服に縫い取りされた【魔除け】の術の力だろう。魔法使いが通ると、そこだけ雑妖の塊が避けて道ができる。
雑妖は、定まった形も大した力も持たない。
陽の光を浴びれば消えてしまう。儚い存在だ。魔力を持つ者にとっては、単に目障りなだけだが、力なき民は、雑妖が呼び込むちょっとした不運に煩わされることになる。
若い看護師が「何か」に躓いて転んだ。傷薬の壺が割れる。
雑妖は希薄な存在で、物体としての肉体は持たない。それでも、力なき民にとっては脅威になり得る。
看護師が慌てて身を起こし、破片を拾い集めようとする。
「あ、いいからいいから。ここはやっとくから、あっちの人、看てやりな」
葬儀屋が駆け寄る。
「すみません……」
「怪我はないか? 空っぽだったし、気にしなくていい」
駐車場には、手榴弾で飛び散ったガラス片や瓦礫が散乱したままだ。今更、素焼きの壺の破片が増えたところで大差ない。
看護師が何度も詫びを口にしながら立ち去ると、葬儀屋は足で破片を通路の隅に寄せた。
「薬師さん、使ってくれ」
葬儀屋が一握りの【魔道士の涙】を差し出す。アウェッラーナは両掌で【涙】を受け取った。
小さな【涙】の粒が淡い光を放つ。
十数個の【涙】は、同じ人数の人生そのものだ。
本物の涙の粒と同じ小さな粒。
今、手の中に居るのは、十代後半から二十代の若者ばかりのようだ。
「どうして、こんな若い子ばっかり……」
「あっちの市立高校に行ったんだ。避難所になってたら薬が要るんじゃねぇかと思ってな」
薬は要らなかった。
校舎の焼け跡には、無数の弾痕が穿たれていた。
避難所になっていたのを襲撃されたのかもしれない。まだ煙が燻っていたが、既に灰は荒らされていた。
葬儀屋がプールの水で灰を流すと、まだ小粒の【涙】が少し残っていた。
死者の身内が連れて行ったのか、生存者が身を守る為に持ち去ったのか、テロリストが資源として回収したのか。
無人の焼け跡に答えはなかった。
東側には、灯がひとつもない。
所々明るいのは、まだ燃えている火災だ。
大部分が避難したのだろう。車のライトもない。
葬儀屋は、湖の女神に死者の安寧を祈り、【跳躍】して病院に戻った。




