0237.豪華な朝食会
ロークたちは、荷台の惨状を片付ける気力もなく、床に座り込んだ。
少年兵モーフが、カッターで蔓草を切って係員室を開ける。女の子たちは泣きながら飛び出した。
やっと助手席を降りられたクルィーロが、荷台に飛び乗り、声もなく妹のアマナを抱きしめる。
騎馬警官の先導で、見落とされた者の移動販売車は、ドーシチ市商業組合長の屋敷に入った。使用人らしき男性の案内で、見たこともない立派な屋敷に通される。
薄汚れたロークたちはひどく場違いで、居心地が悪かった。
案内された先は、豪華な装飾が施されたタイル張りの小部屋だ。
水を満たした立派な壺があるだけで、他は何もない。トラックの荷台の半分程度の広さで、壺は大人がすっぽり入れそうな大きさだ。
ロークは、壺の陰にゴミ箱らしき物があるのに気付いた。
……何だここ?
ロークが首を傾げると、ラクリマリス人のファーキルが教えてくれた。
「お風呂ですよ。魔法が使えないと、水で洗うしかないんですけど……」
もう何度も、クルィーロとアウェッラーナに洗ってもらったのを思い出した。
「じゃ、洗うから、順番に並んで」
「俺は先に洗ってもらったから、いいよ」
クルィーロが壺の縁に手を掛けると、レノ店長は風呂場から出た。
みんなは順番待ちの間、トイレも借りる。
クルィーロがいつもの呪文を唱える。【操水】の術で水を起ち上げ、服と身体をまとめて洗ってくれた。
人肌よりあたたかいぬるま湯が、汚れと恐怖感を洗い流す。緊張がほぐれて人心地ついた途端、みんなの腹がぐーっと鳴った。
廊下で控える使用人は、無言で先に立ち、一行を食堂へ案内した。
使用人が、見事な彫刻の施された扉を開る。長い食卓の上では、豪華な朝食が湯気を立てて待つのが見えた。
上座の男性が立ち上がり、にこやかに挨拶する。
「街の者がお騒がせ致しまして恐れ入ります。契約満了まで、当家でごゆるりとお過ごし下さい」
……ごゆるりとって、レノさんたち、一体どんな契約したんだ?
使用人が、戸口で戸惑う一行に着席を促す。
ロークはおっかなびっくり、芸術品のように立派な椅子に浅く腰掛け、店長のレノを見た。
「店長さんのご心配が的中しましたようで、誠に申し訳ございません」
がっしりした体格の男性が、深々と頭を下げて席に着いた。
レノ店長は、眉間に皺を寄せて小さく顎を引くだけで何も言わない。妹たちは、兄の傍に椅子を寄せ、怯えた目で大柄な男性を見た。
「申し遅れました。私、この家の親戚の者で、商業組合長の補佐を致しております。アウセラートルとお呼び下さい」
ラクリマリス人の彼は勿論魔法使いで、分厚い胸板で【渡る白鳥】学派の徽章が揺れる。
契約や呪いに関する術の専門家だ。この学派には、強制的に約束を守らせる術が多い。
街の有力者の親戚が、ネモラリス人の行商人にここまで謙った態度なのは、一体どんな契約の効果なのか。
「ご滞在中、ご用の際はなんなりとお申し付け下さい。さあ、冷めないうちにどうぞ」
促され、ロークは改めて食卓に目を向けた。
オムレツと温野菜、具がたっぷりのスープ、パン、果物まである。
白磁の食器は金で縁取られ、草花を意匠化した上品な模様がちりばめてある。一枚一枚が絵画のような逸品だ。
「あ、あの、アウェッラーナさんたちは?」
ロークは、少年兵モーフが早速がっつくのを横目に見て、レノ店長に聞いた。
店長が口を開くより先にアウセラートルが答える。
「既にお食事を済まされ、別室でお仕事をなさっていらっしゃいます」
「あっ、そ……そうですか。ありがとうございます」
レノ店長の険しい顔が気になったが、アウセラートルの前では理由を聞き難い。
ロークはさっさと食事を済ませ、薬師アウェッラーナとソルニャーク隊長に合流すると決めた。
舌に触れる味は、今まで食べたどんな物より美味しい気がするが、よくわからない。とてもゆっくり味わう気にはなれなかった。急いで噛んで飲み下す。
メドヴェージが、隣で食べ散らかす少年兵モーフを窘めるが、運転手自身も、あまり上品な食べ方とは言えなかった。
壁際に控える使用人たちが、笑いを噛み殺す。
ロークは、恥ずかしさと同時に、それを恥ずかしいと思う自分に腹が立った。
リストヴァー自治区の住人の大部分が、食うや食わずやの暮しを送る。テーブルマナーを知る機会すら与えられなかったのだ。
それを笑いものにされ、恥ずかしいと思ってしまった自分が情けなかった。
ロークは針子のアミエーラが気になり、斜め前の席をそっと窺った。
作法はでたらめだが、こぼさずキレイに食べる。食事に夢中なのか、失笑を買ったことに気付かないようだ。
……このまま気付きませんように。
妙なことを祈りながら、ロークは食事を続けた。
ピナティフィダが、空いた食器を下げられる度に小さく会釈する。
誰一人として、こんな場に慣れた者は居ないのだ。
ロークは、居たたまれなさで喉が詰まりそうになりながら、ただ、空腹だけを満たした。
☆クルィーロとアウェッラーナに洗ってもらった……「0049.今後と今夜は」「0132.何もない午後」参照
☆一体どんな契約……「0232.過剰なノルマ」参照




