0234.老議員の休日
連日の会議で、高齢のラクエウス議員は、疲れ切ってしまった。
国会は勿論、リストヴァー自治区に工場を置く企業との対策会議、関連業種の業界団体との連絡会議、各種ボランティア団体や人権団体などの会合に呼ばれ、それらの団体が主催する市民向け報告会の講演依頼も舞い込む。
現地の被害状況を具に視察した国会議員が、ラクエウス唯一人の為、信仰を問わず引っ張りダコだ。
報告書の写しは、各報道機関に配布され、各新聞は連載を組んで抜粋を報じる。大学などの研究機関にも、専門家の諮問用に資料として渡してある。
一般市民にも、国立図書館などで開示されるが、「直接見た人のナマの声を聞きたい」との声が止むことはなかった。
避難民の声はどれも断片的で、全体の様子がわからない。また、お涙頂戴で大袈裟に語られることや、真偽不明の噂程度の情報が混じり、信憑性が低いことも、理由のひとつだろう。
ラクエウスたちの調査団が作った報告書は、政府の公式発表で写真など、証拠能力のある添付資料も豊富だ。
「資料は分厚くて、読むのに時間が掛かりますし、読める人数も限られます」
「ですが、講演なら、来場した何千人もの心ある市民に一度に伝えられます」
最大の理由は、“ナマの声で情に訴えた方が寄付の集まりがいい”なのだろうが、どの団体も口にしなかった。
討伐隊が例の巨大な魔獣を葬り去ったとの報告を受け、ラクエウス議員はホッと息を吐いた。
……これで、ネーニア島東岸への支援がしやすくなる。
現地へ行く者が増えれば、少しは楽になるだろう。
あの魔獣の他にも、魔物や魔獣の存在は確認したが、いずれも調査時点では、民間業者でも対応できる程度の小さく弱いモノばかりだった。
実際、魔獣の何体かは、調査団が携行した通常兵器でも倒せた。
討伐隊が、例の巨大な魔獣をたったの一撃で葬ったとの報告には、流石のラクエウス議員も耳を疑った。だが、新兵器の【魔哮砲】なら、そう言うこともあるだろうとすぐに思い直した。
これまでも、アーテル・ラニスタ連合軍の戦闘機を悉く撃墜し、砲手の射撃精度には目を見張るものがある。
恐るべき威力の兵器だが、所詮は穢れた力を用いるものだ。
キルクルス教徒のラクエウスには、戦果を手放しで喜べなかった。
……そんな大きな力を持つ兵器があれば、いずれ、その力が原因で大きな禍が起きるに違いない。
神話に聞く三界の魔物の惨禍は、古代人の夢物語などではない。
遠くラキュス湖北地方には現在も、三界の魔物の最後の一体が封印されるのだ。
チヌカルクル・ノチウ大陸の魔法使いたちは今も尚、アルトン・ガザ大陸の魔法使い共の不始末の尻拭いをし続ける。
最後の一体は、あまりに巨大な為、二千年以上経た現在も、完全消滅には至らないと言う。単に封じたのではなく、術で少しずつ削るそうだが、どれ程の歳月を要するか誰にもわからない。
三界の魔物は元々、人間同士の戦争の為に開発された兵器だったと伝えられる。
そこまでの威力や規模ではないとは言え、ラクエウス議員は、魔法仕掛けの新兵器【魔哮砲】を信用できなかった。
ネモラリス軍の討伐隊が、巨大な魔獣を倒したと言うニュースは、ネモラリス共和国全土に大きな喜びと希望をもたらした。
「戦争中でも、軍は魔獣を駆除してくれる」
魔法使いであっても、戦える術を知る者は僅かだ。多くの国民が、その報せに安堵した。
アーテル軍の空襲で都市が破壊された。
人の住む領域が縮小し、かつて都市だった土地を餌場にする魔物が蔓延る。人々はアーテル軍だけでなく、国内の魔物や魔獣にも神経を尖らせねばならない。
「イザとなれば、軍に助けてもらえる」
「見捨てられていない」
その安心感が、取り残された人々、救助に行く者、復興へ向けて動く者たちの背中を押した。
日曜日、ラクエウス議員は、久し振りに休みが取れた。
一体、何日働き詰めだったのか、数えることさえ億劫だ。
そうかと言って、議員宿舎で一日中、一人で鬱々と過ごすのは嫌だった。
……ここに居ては、電話の対応もせねばならん。
「港の様子を見て来る。お茶の時間には戻る。電話があれば、こちらから折り返すと伝えてくれ給え」
秘書に言い置き、老いた議員は一人、いつもよりラフな身形で宿舎を出た。
三月の朝はまだ寒い。
ラクエウス議員は、姉のクフシーンカが編んでくれたマフラーをしっかり巻き、首都クレーヴェルの港を一望できる丘へ向かった。
道行く人々は緑髪が多い。
ここネモラリス島が、元々湖の民の島だったからだ。
フラクシヌス教の創世神話は、かつてこの辺り一帯は砂漠だったと伝える。
旱魃の龍と女神パニセア・ユニ・フローラが戦った。
女神が勝利を収め、この地は水で満たされ、高台だった場所が島々となった。
現在も、ラクリマリス王国の王都に旱魃の龍を封じた樫の古木が祀られる。
この樫の古木は、人間の魔法使いだったが、旱魃の龍を封じる為、大地に深く根を張る樹木に身を変じたと言う。
樫の古木が主神フラクシヌスで、ラクリマリス王家はフラクシヌスの血に連なる者の末裔だと主張する。
どこにでもある王権を正当化する為の作り話だろう。
湖の民の有力者ラキュス・ネーニア家の者は、湖の女神パニセア・ユニ・フローラの末裔を自称する。
数千年もの間、樫のラクリマリス家と湖のネーニア家は共に手を取り合い、湖南の島々を平和に治めてきた。
神話が上手く機能したのだろう。
キルクルス教は、最後の三界の魔物が封印された後、アルトン・ガザ大陸で生まれた。二千年以上の歴史があるとは言え、フラクシヌス教に比べれば新興だ。
半世紀の内乱では、これが裏目に出た。
力ある陸の民と、湖の眷族を自称する湖の民は、互いに血を流し合う。
キルクルス教徒の力なき民は、両者の共通の敵として攻撃に晒された。
……宗派争いと、宗教間戦争。
ラクエウス議員は、苦い思いを胸に公園の展望台に立ち、港を見下ろした。
湾内は穏やかで、春の日に漣がきらめく。
フラクシヌス教の聖地や、遠く湖東地方のアミトスチグマへ出港した船が、湖面に長く尾を引いた。
魔法使いでも、知らない場所へは術で移動できない。その為の魔道機船だ。
最近になって、アミトスチグマ王国政府が、公式に難民の受け入れを表明した。それ以前も、民間レベルでの受け容れはあったらしいが、ネモラリス側へは伝わらなかった。
今は、双方の船会社が、直通航路を増便する。
ラクエウスは船が見えなくなるまで見送った。




