0232.過剰なノルマ
「素晴らしい腕前です。【思考する梟】の徽章は伊達ではありませんな」
組合長ラトゥーニが、湖の民の薬師アウェッラーナに満面の笑みを向けた。甥の大男は扉の脇に立ったまま、こちらを見降ろす。
「みなさまが調達なさった薬草は売り物ですから、出店料として支払うのは、困りますよね?」
「傷薬の薬草は、その辺の道端にも生えてますから、そんな困りませんけど」
「採りに行くのが大変でしょう?」
組合長ラトゥーニは、有無を言わせぬ口調でレノの反論を封じ、提案した。
「薬草はこちらでご用意致します。『加工の手間』を出店料とさせていただくのは如何でしょう? 売り物は減りませんよ?」
「彼女を取られたのでは、こちらの店で薬を作れません。何の薬を、幾つ、いつまで作らせるおつもりですか?」
思わず頷き掛けたレノを制し、ソルニャーク隊長が質問する。
……やっぱ、隊長さんに一緒に来てもらってよかった。
レノは、ソルニャーク隊長のドスの効いた声に内心、冷や汗を拭った。
組合長ラトゥーニは一瞬、鼻白んだが、すぐ、にこやかな笑顔に戻って答える。
「そうですねぇ……先程の傷薬を十ケース、心臓のお薬を一ケース、化膿止め、咳止め、熱冷ましを五ケースずつでは如何でしょう?」
「そんなに、たくさん……?」
アウェッラーナが絶句する。
組合長ラトゥーニは笑顔を崩さず、ソファから身を乗り出して、薬師の顔を上目遣いに見た。
「いえいえ、まさか。いくらなんでも、一日で作って下さいなどとは申しませんよ。完成までご滞在いただけましたら……と」
「いつまでも居る訳には参りません。先程、申し上げたばかりですが?」
ソルニャーク隊長が、丁寧な口調に刃を潜ませ、抗議する。
組合長ラトゥーニは背もたれに身を預け、盛大に溜め息を吐いてみせた。
「あなた方は先程、広場であの男とお話なさったとおっしゃいましたね?」
「えぇ。あの人と、傍にいたお婆さんに色々教えていただきました」
レノが答えると、組合長ラトゥーニは首を横に振りながら肩を竦めた。
「この街の住人は、薬に餓えています。あなた方が薬師様のご一行だと、知れ渡りました。明日の朝市では、相当な混乱が予想されます」
「えぇッ?」
三人が驚くと、組合長は香草茶をもう一口啜って話を続けた。
「ですから、今、申し上げた薬も、並行してお作りいただいてですね、住人を落ち着かせてやりたいのですよ」
「彼女が過労で倒れてしまいます。それが、街の住人に対してなら、到底足りません。却って混乱が大きくなるでしょう」
ソルニャーク隊長が鼻で笑う。
レノも同意し、組合長ラトゥーニの目を見て言った。
「それに……やっぱり、そんなたくさん、出店料としては高過ぎます。そう言うことなら、俺たち、明日の朝にはここを出発して、隣のプラヴィーク市でのんびり商売させてもらいますよ」
「先程も申し上げましたが、人の多い広場で、薬師だと名乗られたのですよね? 街の門を出られるとお思いですか?」
「えっ?」
言葉を失うレノに、組合長ラトゥーニは、わざとらしく驚いてみせた。
「おやおや。まさか、殺してでも通過するなどと、おっしゃいませんよね?」
「そんなことしません。でも、いくらなんでもそれは……」
「市民の大半が農業を営んでおりまして、自分の畑で薬草も育てています。材料を持って『これで薬を作って欲しい』と殺到しますよ」
強行突破すれば、トラックの前に立ち塞がる市民を轢いてしまう。
レノは、ソルニャーク隊長に視線を送った。
隊長も妙案が浮かばないのか、応えはない。
「我々が、必要以上にあなた方を引き止めぬよう、あなた方も、薬の調合をすっぽかさぬよう、契約書を交わしませんか?」
組合長の甥が、扉の脇から声を掛けた。飾棚からインク壺と羊皮紙を取りだす。
「契約書……ですか?」
「その内容は、これから詰めましょう」
ローテーブルに羊皮紙と筆記具を並べ、組合長の甥はソファに腰を降ろした。
「作る魔法薬の種類と数量、期限を決め、市民があなた方を困らせないよう、警備もつけましょう。安全の為、夜間は当家にご滞在いただいた方がよろしいでしょうね」
「護衛と宿泊費も含むなら、悪い話じゃないでしょう? お食事のご用意もさせていただきますよ?」
甥の言葉に組合長が条件を付け加える。
……悪くない……のかな?
言われてみれば、薬を販売せずにドーシチ市を去るのは、無理に思えて来た。
移動販売店見落とされた者は、半分以上が力なき民の女子供だ。魔法薬の生成を待ちきれず、苛立った市民にどうにかされない保障はない。
薬師はアウェッラーナひとり。
最悪、彼女を攫ってどこかに軟禁してでも、薬を作らせようとする者が現れるかもしれない。
……この人たちも、そのつもりかもしれないけど……でも。
移動販売店見落とされた者の存在は、少なくとも、案内人とあの老婆には知られた。湖の民の薬師が行方不明になれば、如何に有力者と言えども、誤魔化せないのではないか。
……ここで保護してもらって薬を作って、期日が明けてから移動した方がいいのかな?
薬師アウェッラーナは、眉間に縦皺を寄せて考え込む。
ソルニャーク隊長が顔を上げ、組合長の甥に質問した。
「あなたは、何学派ですか?」
甥が、組合長に目を遣る。
組合長が少し考えて頷くと、無言で服の中から銀の徽章を引っ張り出した。
二羽の白鳥がはばたく姿を象った徽章。
契約や呪いに関する術の専門家【渡る白鳥】学派だ。強制的に約束を守らせる術が多い。
レノの故郷ゼルノー市でも、大きな会社では、顧問弁護士と並び、最低一人は雇う術者だ。
……ってコトは、文章の「引っ掛け」で無茶な条件を押しつけられないように気合い入れなきゃな。
レノは、ソファに浅く腰かけ直し、条件の交渉を始めた。




