0229.待つ身の辛さ
レノ店長、薬師アウェッラーナ、ソルニャーク隊長の三人は、まだ戻らない。
移動販売店見落とされた者の代表者として、ドーシチ市の商業組合長宅へ行ったままだ。
広場に着いたのが十六時過ぎで、今は二十一時過ぎだ。
遅くなるかもしれないと言われ、仕方なく先に夕飯を食べた。
その後しばらくは、歌詞の書き写し、蔓草細工、クッキー生地の仕込みなど、それぞれ自分ができることをしながら待った。
日没後は、いつも通りに荷台の戸を半分開けて、留守の三人を抜いて、見張りの順番を決めた。今はモーフとロークが見張りに立つ。
兄のレノを心配して、半ベソをかいたエランティスは、姉のピナティフィダに寝かしつけられた。
姉も兄が心配だが、顔に出すと妹が泣いてしまう。だから、姉は殊更に明るい声で妹を安心させた。
ピナティフィダは、ほぼ部外者のファーキルにもわかるくらい無理をするが、何と慰めればいいかわからず、何も言えないでいる。
ソルニャークは「隊長」と呼ばれるから、何か頼りになる人なのだろう。それに緑髪の魔法使いアウェッラーナも同行した。
……今夜はもう危ないから、組合長さんちに泊めてもらうのかな?
ファーキルは、毛布の中でタブレットをいじりながら予想した。
自分の安心材料を探したことに気付き、実際はどうかわからない不安と、戻って来ない懸念についても考えを巡らせる。
……無許可営業で逮捕なら、ここにも警察が来るよな? って言うか、まだ何もしてないし。営業許可が下りなくても、まさか命まで取られることはないよな?
それなら、明日の朝、すぐにここを出て、次の街に行けばいい。
前のモールニヤ市では、あんなことは言われず、街の人たちも普通に物々交換に応じてくれた。
ここで心配したところで、何ができるでもない。
組合長の家もわからない。工員クルィーロ以外は力なき民で、夜の街を歩くのは危険だ。
ファーキルは見張りの二番手で、運転手のメドヴェージが相方だ。
寝てから起されるより、時間まで起きる方が楽だと思い、今日のできごとをテキストにまとめてSNSに公開した。それから、溜まったコメントを読み進める。
大部分が励ましの言葉で、その中に幾つか罵倒が混じる。
どのコメントも同じフォントで表示されるが、ファーキルの眼には罵倒のコメントが薄暗く見えた。胃が小さく痛み、急いでスクロールさせて、次のコメントを表示させる。
役に立ちそうなニュース記事のリンクを貼ってくれたコメントもあった。アドレスを見て、情報源を確認し、タップする。
ラクリマリス王国は、難民の受容れ表明をしないが、ネモラリス人の流入を拒んでもいない。
帰化が許されるのは、力ある民だけで、それにも一定の要件と煩雑な手続きが必要だと報じる。
第三国への通行だけが、許可されたに等しい。
……それは、まぁ、前の街でわかったからなぁ。
記事は、アミトスチグマ王国に本社を置く湖南経済新聞のものだ。同国は、難民の受け容れを表明する。
要するに、ラクリマリス王国を経由して、アミトスチグマに避難するよう、促すのだろう。
だが、少なくとも、ファーキルが行動を共にするネモラリス人たちは、タブレット端末が何か知らず、インターネットも知らないようだ。
……アミトスチグマの新聞が言っても、ネモラリス人には伝わらないよなぁ。
もしかすると、ラクリマリス王国の役所の広報や、ラジオでも報道済みかもしれない。国民に浸透しなければ、ネモラリスの避難民との間に無用のトラブルが発生する。
……なんで、何もかも失くした人を受容れたいのか、わかんないけど。
人情としては、困っている人を助けたいと思う。だが、何万人もの避難民を支えるとなると、自国民の生活が圧迫されて共倒れし兼ねない。
力ある民なら、自分の生活はある程度なんとかできる為、魔物などから守るだけでもいいが、力なき民なら当分の間、衣食住を全て支えなければならない。
無闇に与えれば、自国民から反発の声が上がる。
何もかも失くした者が、犯罪に走らないとも限らない。
下手に関われば、ここも戦禍に巻き込まれるのではないか。
すぐに仕事や住居が手に入る保障はない。いつまで支えなければならないのか。
誰がその費用を負担するのか。この国に税を納めない者にこの国の税を湯水のように使うのか。
難民に仕事を奪われ、自国民が路頭に迷うのではないか。
彼らは、このままアミトスチグマの民として、この地に骨を埋めるのか。
祖国を捨てた者を信用できるのか。恩を返す前に出て行くのではないのか。
ファーキルが家にいた頃、ネットの掲示板で見た限り、外国の世論は概ねそんな空気を醸し出す。
理不尽に人権を蹂躙された人々を一時的に保護する為、実際に活動する宗教団体や人権団体、国際機関などもあるが、それらはいずれも長期的な支援ではない。
取敢えず「今」死なないように、今日を生き延びられるようにするだけだ。
生き延びなければ、その先の何も決められない。
長期的に支援を続け、隣人として受容れる側の人々にとっては違う。
ネモラリスとアーテルの戦争に限らず、どこの紛争でも、掲示板でさんざん出尽くした問題が実際に発生する。
ファーキルは、アミトスチグマの事情を詳しく調べなかったが、今はそれどころではなかった。
――旅人さん、ネモラリスにはもう行かないんですか?
最新の書き込みは、そんな質問だった。
……行かないって言うか、行ける状況じゃないって言うか……
当分の間、移動販売店プラエテルミッサの一行と一緒に居るしかないだろう。
グロム市で別れた後は、船でフナリス群島に渡って、王都ラクリマリスでフラクシヌス教団の実際の支援活動を伝える。
その後、余裕があればネモラリス島に渡り、首都クレーヴェルの様子を伝える。
グロム市民だと嘘を吐いてしまったので、クルィーロたちとは一緒に行けないのだ。
いつか伝わると信じ、アーテルのニュースが伝えない真実を情報の海へ流す。
自分の投稿が削除されても、保存した誰かが、ほとぼりが冷めた頃に再投稿してくれるかもしれない。
現に画像と動画は、転載許可を明示した為、急速に拡散が進む。その全てをアーテル当局が削除して回るのは不可能だ。
SNSの本社は、外国にある。規約違反ではない画像や動画について、小国の政府から圧力を掛けられても、削除要請には応じないだろう。
況してや、個人のローカルにまで手を伸ばすことはできない。
……本当のことを伝えたい。それだけなんだ。
ファーキルは質問には答えず、タブレット端末の電源を落とした。




