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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第一章 印歴二一九一年二月一日
23/3486

0023.蜂起初日の夜

 湖の民の薬師(くすし)アウェッラーナは、警察署の駐車場で傷薬を作っていた。

 警察職員が、荷造りロープを輪にした中に【簡易結界】を張り、雑妖などを防いでくれる。

 結界内で、右手に乾燥した薬草の束、左手には【魔道士の涙】を握り、もう何時間も同じ呪文を唱え続ける。


 科学の薬剤師と看護師の生き残りが、傷薬で満たした容器を持って行き、手伝いの住民が、空の容器をアウェッラーナの前に置く。

 傷が内臓に達した重傷者は、呪医が引き受けた。


 この辺りを襲ったテロリストは、最終目標が警察署と市民病院だったのか、周辺では銃撃などによる被害は、これ以上増えなかった。

 火災も、燃える物は全て焼き尽くし、火の手は風に(あお)られて北へ向かった。


 鉄鋼公園のグラウンドが延焼を食い止め、病院は(から)くも焼失を(まぬか)れた。

 警察職員が毛布を運び出し、駐車場や公園に逃れた人々に分配する。

 風が吹く度に灰と煙が人々を襲う。

 毛布などに(くる)まってやり過ごせる者はまだ幸いだ。何も持たず、焦げ臭い服の(そで)やハンカチで鼻と口を覆うしかない者の方が多い。

 どの避難者にも、形を()さぬ雑多な妖魔が(たか)る。(はら)う力を持たない者が大半で、されるがままだ。



 「ごめんな。これ、お医者さんの分だから。ごめんな」

 年配の男性が、手を伸ばす幼児に謝りながらグラウンドを抜ける。

 白い服……医療者の白衣ではなく、調理師の服だ。(すす)で汚れ、全体に灰色掛かっていた。

 (うずくま)る避難者に当たらないよう、業務用のゴミ袋を高く持ち上げて通る。


 魔法の【灯】で透けて見える袋の中身は、潰れたパンだ。

 「お医者さんが腹ペコで倒れたら、怪我人を治せないだろ?」

 幼児は何も言わず、頷いた。

 周囲の大人にこの子の親らしき者の姿はない。パン屋の主人が笑顔で手を振り、幼児から離れる。

 「辛抱してくれよ」

 「バイバーイ」

 幼児は無表情のまま、手を振り返した。

 水も食糧も寒さを防ぐ物も、何もない。


 力ある陸の民とフラクシヌス教信徒会の湖の民が、協力してグラウンド全体に【簡易結界】を張る。棒切れで土の地面に切れ目なく線を引き、グラウンドを囲む。その線上で十数人が等間隔に並び、同じ呪文を唱和した。


 湖の民の詠唱に、力ある陸の民たちの声が続く。


 「()の輪 天なり 六連星(むつらぼし) 満星(みつぼし)巡り

  輪の内 地なり 星の(かき) 地に(めぐ)

  垣の内 呼ばぬ者皆 立ち去りて 千万(ちよろず)昆虫除(はうむしの)けて

  雑々(かずかず)妖退(あやししりぞ)け 内守(うちまも)れ (たい)らかなりて (しず)かなれ」


 雑妖や弱い魔物は、線の内側に入れなくなった。既に内部に居る雑妖は、魔法使いたちが術で退治する。

 少なくとも、雑妖には(わずら)わされなくなり、ホッと息をつく。

 寒さに白く(こご)った息が風に流されて消えた。


 パン屋は、ひとまず安全になったグラウンドを出た。

 閉め出された雑妖が足下に群がる。不快だが、パン屋にはこれを祓う力がない。仕方なく、そのまま信号へ向かった。



 停電で機能を失った信号機が支柱に【灯】が(とも)され、街灯代わりに周囲を淡く照らす。警察職員が【灯】を点したペンを振って交通整理する。パン屋ら数人の歩行者に気付き、ペンを振って車を止めた。


 パン屋は市民病院へ向かう。

 こちらは、治療済みの避難民と患者だけだ。荷造りロープの【簡易結界】があちこちにある。一枚の毛布を二、三人で使い、互いに温め合っていた。


 警察署の駐車場は、さながら野戦病院の有様だ。

 所々に【灯】が点され、薄明るい。【簡易結界】の中では、血塗(ちまみ)れの負傷者が、ある者は横たわり、ある者は(うずくま)って、治療を待つ。

 看護師たちが傷を洗う【操水】、唯一の呪医が【止血】や【縫合】、薬師(くすし)たちはそれぞれ、異なる薬を作りだす呪文を口々に唱える。

 その他は、知り合いを捜す声、警察職員に詰め寄る声、負傷者を励ます声、負傷者の呻き声。

 結界の外を焼け跡から闇に滲み出した雑妖が埋め尽くす。



 科学の薬剤師と看護師たちが、負傷者に魔法薬の傷薬を塗って回る。

 パン屋は看護師の一人に声を掛けた。

 「このパン、食べて下さい。急いでたもんで、こんな袋ですが、新品なんでキレイです」

 若い看護師が立ち止まり、困惑の目を向けた。病院の事務員らしき年配の男性が代わって応える。

 「よろしいんですか?」

 「えぇ。ウチの売りもんですけど、こんな時ですし、どうぞどうぞ。さっき、病院の厨房が爆弾で吹っ飛ばされて、食べるもんがないって聞いたもんですから」


 パン屋は袋を差し出して、中身の惨状に気付いた。

 人混みでもみくちゃにされ、どれもひしゃげている。

 「こんな有様ですみませんが、お医者さんや看護師さんたちでどうぞ」

 「いいんですか?」

 若い看護師が驚く。言った直後、腹が鳴った。

 「マズくなってるかもしれませんが、病院の皆さんがひもじくて倒れたら、怪我人も助からなくなりますんで……」

 「いえいえ、とんでもない。大助かりです。ありがとうございます」

 互いに何度も頭を下げ合いながら、潰れたパンの寄付が成立した。



 パン屋は晴れやかな笑顔で鉄鋼公園へ戻った。

 グリャージ区の製鉄会社が造成し、ゼルノー市に寄贈したのでこう呼ばれる。

 公園は、ブランコや滑り台などの遊具を置いた区画と、金網に囲まれたグラウンドの二区画に分かれる。

 遊具の区画は植込みの木々が燃えて酷い状態だ。


 避難者がグラウンドに身を寄せ合う。

 パン屋の主人は、妻と子供たちを呼びながら、人々の間を歩いた。

 長男は先に幼馴染と逃げた。妻とは逃げる途中ではぐれてしまった。長女と次女は学校だった。


 「公園はこうやって無事なんだ。学校だって、校庭が火を食い止めたに決まってる。それに、学校や何かは【耐火】の術を組込んで建てたってハナシだしな」


 独り言で自分を励まし、娘二人は明日の朝、明るくなってから迎えに行くことに決めた。今夜はここに留まり、妻と息子を待つ。

 魔力のないパン屋が、夜に出歩くなど(もっ)ての外だった。


 「パニセア・ユニ・フローラ様、どうかお守り下さい」

 老婆が湖の女神に祈りを捧げる。力なき民は、神に祈ることしかできない。


 グラウンドのあちこちで、毛布を奪い合って喧嘩が起きた。

 女性の悲鳴、子供の泣き声、男の怒声。

 誰かが警察の職員を呼んできた。

 渋々仲裁に応じた一団もあれば、反論して術で捕縛される集団もあった。


 いつ、またテロリストの襲撃があるとも知れず、パン屋の主人は眠れぬ一夜を過ごした。

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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