0226.出店の出店料
ドーシチ市の門を通ったのは、日が傾き始める頃だった。
パンとクッキーの生地は発酵と休息を終え、後は焼かれるのを待つだけだ。
運転手のメドヴェージが、トラックの荷台を開けてくれた。
街の中央広場らしい。
「今から、お店するんですか?」
アミエーラは、移動販売店プラエテルミッサの店長となったレノに聞いてみた。
広場のあちこちで、露店が後片付けをする。
トラックが停まったのは、そうしてできた空きスペースだ。
買い物帰りの人々が、物珍しげにこちらを見て、足早に家路を辿る。
「今日はもう遅いから、明日の朝市からにしよう」
先に荷台を降りたレノ店長が、少し考えて答えると、近くで店を片付ける男性が振り向いた。
「兄ちゃん、ここらじゃ見ない顔だな」
「はい。移動販売店見落とされた者です。この街は初めてで……」
男性はレノの返事を聞いて鼻を鳴らした。
「ここで店するんなら、組合に話を通さにゃならん」
「あ、そうなんですか。組合長さんって、今からお話できますか?」
レノ店長が聞くと、彼は作業の手を止め、眉根を寄せた。
「う~ん……どうだろうなぁ? 忙しいお人だからなぁ」
「何とかなりませんか?」
アミエーラは、口を挟まず二人の遣り取りを見守る。
リストヴァー自治区では、物の取引に許可などいちいち必要なかった。物々交換で、殆ど顔見知りとしか取引しないからだろう。
……揉めごとは怖いし、面倒でも、ここのやり方に合わせなくちゃね。
ここは、魔法文明偏重政策を採り、フラクシヌス教を国教とするラクリマリス王国だ。力なき民のキルクルス教徒ばかりが暮らすリストヴァー自治区とは、何かと違いが多いだろう。
「お兄ちゃんたち、売り物はなんだい?」
荷物をまとめ終えた別の露店の老婆が、話に割り込んだ。レノ店長は、老婆に笑顔を向けて答える。
「傷薬とパンとクッキーと蔓草細工です」
老婆と男性が顔を見合わせる。二人で一言二言交わし、男性が改まった口調でレノ店長に言った。
「口利き料に傷薬をひとつくれるなら、会わせてやるよ」
「私ゃ、明日の朝市を楽しみにしてるからね」
顔を一層しわくちゃにして呪文を唱えると、荷物を抱えた老婆が広場から掻き消えた。
レノ店長がホッとして、男性に向き直って答える。
「ありがとうございます。植物油と容れ物は、お客さんにご用意いただいてるんですけど……」
「そうか。じゃ、ちょっと取りに帰るから、待ってな」
彼は手早く片付けると、老婆と同じ呪文を唱えて姿を消した。
アミエーラには、成り行きを見守ることしかできないが、何とかなりそうな様子に胸を撫で下ろした。
「交渉には、私も行こう」
ソルニャーク隊長がレノ店長に声を掛けた。
若い店長の顔に安堵の色が広がる。
「ありがとうございます。助かります」
「それなら、私も行った方がいいでしょうね」
湖の民アウェッラーナが、薬草の束を手に申し出た。
ソルニャーク隊長が頷く。
「そうだな。パン部門、細工部門、製薬部門の各代表者と言うことにしよう」
……そうよね。それに、魔法使いの人も行った方がいいでしょうし。
ここは魔法使い中心の国で、今は街の中だ。魔物に襲われる心配はないだろう。
レノ店長が荷台に戻る。
何をするのかと見ていると、紙袋を持って降りて来た。
「見本……あった方がいいと思って。それと、出店料とかも要るかもしれないから……アウェッラーナさん、お願いします」
「わかりました」
紙袋からは薬草の束が覗く。
アミエーラにはよくわからなかったが、自治区の外では普通らしく、緑髪の薬師は気軽に了承した。
……出店料……?
仕立屋の店長に送り出されてから、ずっと、初めてのことや知らなかったことの連続だ。自治区の外へ出たのも、魔物に食われそうになったのも、骨折したのも初めてだった。
移動販売店見落とされた者は、何も悪事を働こうと言うのではない。
ほんの数日、このドーシチの街で商売させて欲しいだけだ。
相手は魔法使いとは言え、人間だから、話し合えばわかってもらえるだろう。
先程の男性が広場に姿を現した。
油の小瓶と陶器の深皿を持ち、バツの悪そうな顔でレノ店長に言った。
「丁度いいのがなくてな……」
レノ店長が湖の民の薬師に視線を送る。アウェッラーナは笑顔で、明るい声を掛けた。
「はい。それで大丈夫ですよ」
「ん? あんたが薬師なのか」
「はい。こちらは店長で、パン職人さんです」
アウェッラーナは、男の怪訝な顔にも笑顔を崩さず、レノ店長を掌で示して紹介する。
「私は蔓草細工の責任者です。各部門の責任者も同席した方が、話をしやすいでしょう」
ソルニャーク隊長が言った。
口調こそ丁寧だが、湖のように静かな瞳は、鋭い光で男性を射す。
彼は眼光に射竦められたように一瞬、息を止め、ぎこちなく頷いた。
「薬を作るのは、話がついてからにしませんか?」
ソルニャーク隊長が畳みかけると、男は魅入られたように首を縦に振った。三人を促し、先に立って歩きだす。
「そ、そうだな。早くしないと、日が暮れちまう。こっちだ」
「あ、そうだ。遅くなるかもしれないから、晩ご飯、先に食べてて」
レノ店長が振り向いて声を掛ける。
ピナティフィダとエランティスが小さく手を振り、不安な面持ちで兄たち一行を見送った。




