0224.見習うべき事
トラックが止まった。
「この辺で素材集めしましょう」
湖の民の薬師が、助手席から振り返って声を掛けた。
程なく荷台の扉が開けられ、視界が明るくなる。魔法の【灯】も明るいが、月光を模した光だ。陽光の明るさには敵わない。
ロークは新品のゴミ袋を持ち、みんなと一緒に荷台を降りた。
トラックはラキュス湖に近い側の路側帯に停まる。擁壁は腰くらいの高さで、その向こうで湖水が春の光に輝く。
ラクリマリス王国の湖上封鎖は、開戦から一カ月以上経つ今も続き、航行する船はない。
擁壁の足下には、先日、レノが摘んだ食べられる雑草が生い茂る。早速、少年兵モーフが摘み採った。
東にはプラヴィーク山脈が連なり、裾野から続くツマーンの森が迫る。道路脇には、等間隔で【魔除け】の碑が並ぶ。
ロークは少し考え、薬師アウェッラーナの薬草採りを手伝うことにした。
森に近い草地に入り、教えてもらいながら摘む。鋸歯型の葉を茂らせた常緑の多年草だ。芽吹いたばかりの若葉の中で、背丈と葉の色の濃さが目を引く。
ロークは薬師の指示通り、白い虫綿のない枝を折り取った。
青臭い草の香が辺りに広がり、あっという間に手が緑に染まる。
黙々と摘み、すぐに袋がひとつ、いっぱいになる。
顔を上げて腰を伸ばすと、ソルニャーク隊長と針子のアミエーラが、鋏で蔓草を切るのが見えた。
レノ、エランティス、メドヴェージ、モーフは食べられる雑草を集め、残りの者は薬草を摘む。
ロークは、いっぱいになった袋をトラックの前に置き、二枚目を広げた。
次はいつ、素材集めできるかわからない。術で水抜きすれば、薬草も雑草もかなり日持ちするらしい。
みんな一心に、それぞれがこれと決めた素材を集める。
無駄口を叩く暇などなかった。
薬草採りを再開した直後、森から微かに葉擦れの音が聞こえた。
ロークは、ギョッとして顔を上げ、森の奥に目を凝らす。
「……鹿だ」
ソルニャーク隊長が短く発すると、場の空気が少し緩んだ。見回すと、みんなが緊張した顔で同じ方向を見詰める。
……あれが……鹿。
ロークは、野生の鹿を初めて目の当たりにした。もっとよく見ようと、一歩、踏み出す。
鹿は弾かれたように身を翻し、森の奥へ跳ねて逃げた。茶色い身体が木の幹に紛れ、あっという間に見えなくなる。
「あ、行っちゃった」
エランティスとアマナが同時に言い、顔を見合わせて笑う。
クルィーロが笑いながら、妹たちに作業の再開を促した。
「出て来たのが鹿でよかったじゃないか。魔獣だったら大変だ」
今回は、乾燥させた薬草が大きいゴミ袋で七枚分、食用の雑草が二袋分、蔓草は三袋分集められた。
昼食は移動しながら摂ることになり、急いでトラックに乗り込んだ。
モールニヤ市民の話では、ドーシチ市は平野に拓けた農業都市だと言う。
生きた家畜を近隣都市に出荷する為、トラックや燃料もあるそうだ。
住居は、湖の女神のご加護の届く沿岸部にまとめてあり、モールニヤ市同様、防壁に守られる。
だが、移動販売店見落とされた者の一行に教えてくれた市民は、門の開閉時間までは知らなかった。
トラックが速度を上げ、荷台が傾く。
道路に損傷がなく、ほぼ直線だからか、あの巨大な魔獣から逃れた時のようには揺れず、荷台の傾きも少ない。
……空襲がないって、こう言うことなんだよな。
ロークは、カーラジオから流れる語学番組に耳を傾けた。
トラックでの移動中、自分のラジオは電池を外して節約する。
ファーキルが持つタブレット端末があれば、必要な情報をいつでも調べられるからだ。
ラジオの必要性が急に薄れ、ロークは自分自身も、不要な人間になってしまったような寂しさを感じた。
タブレット端末の情報は、ラジオのようにその時、聴き逃せば二度と手に入らないこともない。新聞のように過去の情報を何度でも読み返せる。
……まぁ、あの子はグロム市で別れるし、別にいいよな。
何が別にいいのか、深く考えることなく、その先に思いを馳せる。
グロム市から先……ネモラリス島への船があれば、首都クレーヴェルに行くと決まった。
魔法使いの工員クルィーロとアマナの兄妹は、父親が仕事で首都に居るらしい。他の者はロークを含め、行くアテがない。
天涯孤独の身になった今、ロークには、頼れるものが何もなかった。
ファーキルが調べてくれた情報では、政府もあまり当てにならないようだ。
高校生のロークは、もう小さな子供ではないが、今すぐ働いて生活費を稼げと言われても、雇ってもらえる気がしない。
商業高校では、それなりに成績もよかったが、まだまだ勉強中だ。知識は中途半端、実務経験は皆無だ。
……今やってる移動販売で商売のコツを覚えて、どこかの店で雇ってもらえるように頑張ろう。
ロークは、パン屋の兄姉妹から色々教わろうと心に決めた。
兄のレノは、既に実家の店を継ぐ為に働いていた。流れで何となく、移動販売店プラエテルミッサの店長に決まった。二十歳前後の青年だが、店長として違和感を感じさせない何かがある。
ピナティフィダとエランティスも、幼い頃からずっと店を手伝ってきたようだ。姉妹が作ったクッキーは、ちゃんとおいしかった。
見習うべきことは多いだろう。
最初の客を呼び込んだのは、ピナティフィダだ。まだ中学生なのに商売のコツを心得て、度胸も実際の行動力もある。
……俺なんかより、よっぽどしっかりしてんだよなぁ。
しっかりしていると言えば、薬師アウェッラーナ、自治区民のアミエーラとモーフもそうだ。
湖の民アウェッラーナは、外見こそ中学生くらいの女の子だが、話を聞くと、内乱時代生まれの長命人種で、そこそこ年配だとわかった。
……教えてもらった薬草、しっかり覚えてちゃんと見分けられるようにしよう。
どこかで雇ってもらえるまで、薬草を摘んで薬屋に買取ってもらえれば、生活費の足しになる。
もっと直接、レノたちが摘んだ「食べられる雑草」を何種類か覚えておけば、少なくとも草が生える季節は、餓死せずに済む。
……次、草摘みする時は、あっちを手伝おう。
「手伝います」
「あ、どうも」
ロークが手を伸ばすと、少年兵モーフは無造作に蔓草を掴んで寄越した。
葉を毟り、分岐した短い蔓を取り除く。あっという間に手が青臭くなった。
……籠とか作れるようになったら、もっといいよな。
針子のアミエーラが、機械のような正確さで蔓草を編む。しかも速い。まだ若い女性で、もしかするとロークと同年代かもしれないが、既に熟練の職人技を身に着けていた。
少年兵モーフは、迷いのない手つきで、ちゃっちゃと籠を編む。ソルニャーク隊長も黙々と作る。
……自治区民必須のスキルなのか?
そんな考えが浮かぶ程、三人は当たり前のように蔓草細工が上手い。
知識、経験、技術。
ロークには、何もないことを思い知らされた。
首都クレーヴェルに着けば、移動販売店プラエテルミッサは解散するだろう。
その後すぐ、ローク一人でどこかに就職できるとも思えない。
ラジオで、戦争のせいで倒産が増えたと聞いた。個人商店もそうだろうから、就職先はかなり減った筈だ。
住むところもない。
力なき民のロークは、衣食住すべてで困窮してしまう。
それどころか、【魔力の水晶】に籠めてもらった魔力が尽きれば、ヴィユノークがくれた【魔除け】の護符が効力を失い、野宿では、一晩たりとも生き延びられないのだ。
……俺、ホント……何もできないんだ。
改めて己の無力を思い知り、ロークは愕然とした。




