0222.通過するだけ
モールニヤ市に入って三日目。
移動販売店見落とされた者の一行は、中央広場に移った。
中央広場には朝市が立つと、北門付近の住人が教えてくれた。
南の農村から新鮮な野菜などを持ち寄り、街の住人が作った手工芸品と交換すると言う。
ここでも、レコードで「この大空をみつめて」を流すと、年配の人たちが昔を懐かしみ、色々オマケしてくれた。
交換品でもらった服に着替え、ソルニャーク隊長とメドヴェージも店番に立つ。剃刀と石鹸をもらってからは、髭を剃ってさっぱりし、人前に出ても怖がられない外見になった。
レノは、ラクリマリス人が何故、こんなに親切にしてくれるのか、不思議だ。
だが、その問いを発すると、何かが失われる気がして、何も聞けない。
モールニヤ市民も、レノたち一行が、どこの何者か聞かないでくれた。
レコードから流れる曲の懐かしさで、老人が集まり、若者は「こんな田舎街に珍しい」と、プラエテルミッサの移動販売車を歓迎する。
……それで、いいじゃないか。
商売人と買物客。それだけだ。いちいちネモラリス難民と、受容れ国のラクリマリス人なんて、思う必要はない。
……俺たち、普通に商売してるだけで、誰にも迷惑掛けてないし、街の人も喜んでくれてるし。
誰かに咎められることなどしない。
トラックは後でちゃんと……ネモラリスの首都クレーヴェルに着いたら、国営放送局に返すつもりだ。
このイベントトラックがなければ、みんなの命はなかっただろう。
レノは長机に売り物を並べながら、暗い物思いに囚われた。
生きる為、妹を守る為、仕方ない。
何度打ち消してみても、心の奥底から滲み出る罪悪感の苦い水が、レノの血に混じり、薄められた毒となって全身を巡るのを止められなかった。
クルィーロが、客と交換品を交渉する。
「グロム港へ行きたいんで、トラックの燃料が欲しいんですけど、どなたかお持ちじゃありませんか?」
「トラックか……ここらは田舎で、みんな力ある民だから……」
「すまんな、この街にゃガソリンスタンドってもんがないんだ」
買物客たちが、申し訳なさそうに首を振る。
別の客が、南を指差した。
「隣のドーシチにはあるぞ。空っぽになる前に早く行くといい」
それを聞いた他の住人も、そう言えばあったな、と頷く。
今のレノたちには、たったそれだけの情報も有難かった。
ファーキルにタブレット端末で調べてもらったが、ここは田舎だからか、役所の場所さえ、地図情報が出ない。
「わたしゃ丁度、そっちへ帰るんだよ。ついといで」
昼過ぎ、買物を終えた老婆が、モールニヤ市役所への道案内を申し出てくれた。
ソルニャーク隊長と魔法使いのクルィーロが、代表で老婆について行く。
……まさか、いきなり逮捕……なんてコトはないだろうけど……な。
レノは不安を拭いきれず、営業スマイルの下で、岩山の守護神スツラーシに二人の無事を祈った。
アマナは何も言わず、兄の後ろ姿を目で追って、店番を手伝う。
ここでも「この大空をみつめて」の歌詞を書いた紙は、人気商品だ。
女の子たちはリクエストを受け、プラエテルミッサのパン屋のCMソングと「この大空をみつめて」をアカペラで何度も歌った。
聴衆は対価として、お菓子やリボン、可愛らしい模様のハンカチなど、女の子が喜びそうな物をくれる。
妹たちは、歌う度に上手くなった。
……こんな才能があったなんてな。
レノは店番をしながら、ピナとティス、アマナが買物客を前に背筋を伸ばし、堂々と歌う後ろ姿を感慨深く見守った。
三時間程して、客が粗方引いた頃。
ソルニャーク隊長とクルィーロが、モールニヤ市役所から戻った。
二人とも、何とも言えない顔だ。
「後で話すよ。店の片付けとメシの用意、さっさとしよう」
クルィーロは、レノの質問を制して作業を始めた。ソルニャーク隊長を見ると、「大した話ではない」とだけ言って、片付けに加わる。
レノも仕方なく、食事の準備に手を着けた。
交換品で少し古いフライパンをもらい、一度にたくさん焼けるようになった。
ステンレスのバットに【炉】を掛けるクルィーロは、以前の二倍の魔力が必要で大変そうだが、レノの労力はそうでもなかった。
……大したことじゃないなら、今、言ってくれてもいいのに。
そんなことを考えながらでも、パンはいつも通り、ふっくら焼けた。
焼いた干し魚と乾物の野菜スープ、焼き立てのパンを食べながら、クルィーロたちの話に耳を傾ける。
「親切なお婆さんが、帰るついでだからって、市役所まで案内してくれたんだ」
「役人に難民申請の件を訊ねたが、地方の役場では受付けない、と言われてな」
ソルニャーク隊長が、苦笑交じりに役人との遣り取りを説明する。
空襲直後から数日は、ネモラリスからの避難民が大勢、この地を通り過ぎたが、誰も難民申請の話をしなかった。逃げるのに必死で、それどころではなかったのだろう。
力ある民でも、知らない場所へは【跳躍】できない。
車を持つ者は、その日の内にモールニヤ市を通過した。
徒歩の者には、モールニヤ漁業組合が魚を与え、自治会が広場で休息させた。
親戚や知人など頼るアテがある者は、翌日以降、その街を目指して旅立った。
「ラクリマリスとネモラリスは、元々は友好国だ。ここの暮しを脅かさず、通過するだけなら、住民たちは気の毒に思いこそすれ、積極的に追い出すことはない」
市民課の課長と名乗った年配の職員は、相談した二人に同情の眼差しを向けた。
……その代り、受け容れもしないってコトだよな。
レノは、北門と中央広場の近隣住民が、プラエテルミッサの一行に親切で、行き先があるなら早く行けるよう、計らってくれたことに気付いた。
追い出したいワケではないのも、わかった。
彼らは、純粋な親切心で言ってくれたのだ。
「東岸のゼルノー市から来たと言ったら、驚かれた」
ネーニア島を横断したのだから、無理もない。
ソルニャーク隊長が、経緯を掻い摘んで説明すると、納得と同時に同情され、申し訳なさそうに断られた。
「お気の毒ではありますが、市役所には、難民保護の権限が与えられておらず、職業や住居の斡旋はできないんですよ」
「俺たち、定住許可じゃなくて、クレーヴェルまでの通行許可が欲しいんですけど……」
クルィーロが言うと、観光課の課長が頬を緩めて教えてくれた。
東のリストヴァー自治区付近以外の国境には、【跳躍】を防ぐ結界はない。
現に巡礼者は、遠方からも聖地へ【跳躍】する。
パスポートは、旅人に何かあった時の身元確認の為のものだ。術での行き来を完全に遮断するのは不可能で、科学文明国のような入国管理目的では、使い物にならない。
「この街で問題を起こさない限り、君たちを追い出したりせんよ」
対応した市民課と観光課の課長は、二人を市役所の玄関まで見送ってくれた。
「えーっと、つまり、今日までと同じ感じで、住むとこと仕事を自分たちで何とかして、地元の人に迷惑掛けなきゃ、お咎めなしってコトですか?」
レノが聞くと、ソルニャーク隊長は「そう。何も変わらない」と頷いた。
☆「この大空をみつめて」……「170.天気予報の歌」参照
☆イベントトラック……「0130.駐車場の状況」「0133.休むのも大切」「0142.力を合わせて」「0159.荷物の搬入出」参照
☆歌詞を書いた紙……「0218.移動販売の歌」参照
☆プラエテルミッサのパン屋のCMソング……「0210.パン屋合唱団」参照




