2145.休めない担当
「診療所の皆さんは、ちゃんと交代で食べられますから、大丈夫です。先程の患者さんは、外科病棟でお昼ごはんですよ」
「じゃあ、もうすっかりよくなったんですね」
「熊に爪で掻かれた傷は塞ぎましたが、出血が酷く、感染症の恐れもあります。三日程度は安静にして様子を見た方がいいのですよ。明日、もし彼が来ても、外科の入院病棟へ戻るように言って下さい」
「えッ? そんな酷かったんですか」
「って言うか、ここ、熊とかフツーに出るんですね」
男子学生が恐々見回すが、廊下には窓がない。
呪医セプテントリオーはサンドイッチを頬張って頷いた。
いつも通り、支援者マリャーナが持たせてくれたものだ。
揚げた白身魚と夏野菜が挟んである。第九診療所には湖の民が居ない為、緑青入りの食品は持ってこなかった。
難民キャンプでは、救援物資で植物油が来れば魔法の傷薬に加工し、魚と言えば水煮か油漬けの缶詰しか手に入らない。
どの区画の診療所でも、呪医セプテントリオーの巡回とマリャーナの差し入れは心待ちにされた。
「今朝もらった中に化膿止めになる薬草がたくさんあったんで、先に作った方がいいですか?」
女子学生に聞かれ、呪医は野菜ジュースでサンドイッチを流し込んだ。
男子学生も、未同定の植物を掴んでこちらを見る。
「私は魔法薬の素人なので、効率のいい手順などはわかりませんが、昨日、集会所で同定した時、何が欲しいか住民の方々から聞き取りしませんでしたか?」
「あッ、そ、そうでした。アンケートしました」
女子学生が上着のポケットからタブレット端末を出し、もどかしげにつつく。
「傷薬は【癒しの風】で何とかなるから濃縮傷薬にして欲しい。化膿止め、蛇や蜂の毒消しがあると助かる。咳止めと熱冷ましは余裕があればでいい」
「明日、バターとか濃縮傷薬の材料持って来る予定なんです」
女子学生がメモを読み上げ、男子学生が補足する。
女子学生は、端末を仕舞って呪医の顔色を窺った。
「中間素材の傷薬はそこそこできたんで、ごはんの時間終わったら、化膿止めを作ろうと思うんですけど、いいですか?」
「私の許可は要りませんよ。無理のない範囲でどうぞ」
呪医セプテントリオーは苦笑して、サンドイッチにかぶりつく。【青き片翼】学派で、術と水だけで傷を癒す為、魔法薬のことはわからないのだ。
ノックと同時に台所の戸が開き、年配の女性二人と老婦人が入って来た。
「呪医、いつも有難うございます」
「学生さんも、ありがとね。今日と明日はごはん作らなくてもいいから、久々にゆっくりできるわ」
「今日は何のご馳走かしら?」
調理台に積んだ白い紙箱をひとつずつ取って、食卓に着く。
三人とも看護師たちの家族で、入院患者の食事担当だ。
病状とアレルギーなどの禁忌に合わせ、乏しい食材から工夫して療養食や除去食を用意する。
調理や次の食事の下拵えだけでなく、配膳や食事介助、後片付け、新規入院患者の食事の聞き取り、食料品の受取りと仕分けなど、一日中忙しかった。
パテンス神殿信徒会のボランティアも手伝ってくれるが、朝食前と夕飯後には居なくなる。
日光の助けがなくなる時間帯は、診療所近在の住民も手伝いに来るが、冬季は暗く、魔物や野生動物と鉢合わせする懸念が絶えない。雪や嵐など悪天候の日には、朝食前と夕飯後を三人だけで乗り切ることもあった。
食事は毎日欠かせない。病院食の調理担当者らは、どこの診療所でも休みをとれなかった。
今回、薬学部の学生に診療所の台所で調合させるのは、調理担当者らを休ませる目的もあるのだ。
「散らかしててすみません」
「いいのよ。そのままにして帰ってくれても」
「その方が明日、続きをしやすいでしょ?」
「私たちはごはんの後、奥で他の作業するんだけど、用があったら遠慮なく呼んでね」
「えっ? あ、は、はい!」
「有難うございます」
若者二人がおばさん二人とお婆さんに恐縮する。
「あ、あれっ? 別の作業って、何するんです? 今日はみなさん、お休みって聞いたんですけど」
男子学生がふと気付いた顔で聞いた。
「お料理以外のコトよ」
「職人さんに型紙と材料を分けてもらえたから、刺繍するの」
「刺繍……ですか?」
女子学生が仕分けの手を止めて首を傾げる。
「自警団の人に【守りの手袋】をあげようと思ってね」
三人は微笑を返した。
女子学生が三人の胸元に視線を走らせる。
「あれっ? みなさん、【編む葦切】学派じゃ」
「違うんだけどね。刺繍は誰でもいいって聞いたから」
「仕上げは職人さんにしてもらうけどね」
「外で働く人たちが、なるべく怪我しなくて済むようにしたいのよ」
「そうだったんですか。魔法の刺繍って誰でもできるんですね。友達に広めます」
女子学生は端末を手に取ったが、すぐポケットに戻した。
経済制裁発動後、通信事業者がアンテナ車を引揚げた為、難民キャンプは全域が圏外なのだ。
呪医セプテントリオーは、食べ終わってすぐ診察室へ戻り、魔法使いの看護師が一人、遠慮がちに昼休みに入る。
今日の体制では、食事を急いで胃に収めるだけで、一時間ゆっくり休むことなどできなかった。
……魔法使いの医療者が少ない診療所は、魔法薬の配布を手厚くするか、巡回医療者を同時に三人くらい寄越さなければ、ゆっくり食事もできないな。
国連などによる経済制裁が発動する前は、車が通行可能な区画に医師会の健診車が入り、魔法と科学の医療チームが支援してくれた。
現在は、健診車が来られなくなり、科学の医療ボランティアがほぼ居ない日が続く。
元々足りなかった医薬品の寄付が更に減り、ファーキルの動画も広告収入が落ち込んで、不足に拍車が掛かった。
医薬品不足に反比例して、受診者は増えたが、それも氷山の一角だ。
持病の悪化や治療薬不足で、助からなくなった者が、じわじわ数を増してゆく。
病気で作業できなくなった者は、報酬の食料が手に入らず、栄養失調で更に悪化する。働ける者に負担が偏り、過労やストレスがよくない結果を生み出した。
各小屋を巡回する保健師や歯科医、理学療法士などから、アサコール党首ら亡命議員に報告や陳情が寄せられる。
曰く、体調不良を隠して無理に働いて悪化させる者が後を絶たない、と。周囲の目、医薬品や魔法使いの癒し手不足への諦め、仕事の報酬として支払われる食料品の確保。体調不良を隠す理由は様々だ。
保健師らが、早期発見・早期治療を呼掛けるが、効果は薄かった。
☆車が通行可能な区画には医師会の健診車……「805.巡回する薬師」「1148.祈りを湖水に」参照
☆経済制裁発動後、通信事業者がアンテナ車を引揚げた……「1871.効力なき権力」参照




