2142.偏る素材調達
難民キャンプ第一区画の手前、平野にあるボランティアセンターの隣では、丸木小屋が建設中だ。
完成すれば、現在は診療所を巡回するアミトスチグマ王国薬師・薬剤師会のボランティアが、魔法薬作りに専念できるようになる。
難民たちが大森林で採取した薬素材を集積し、製薬会社の専門家が同定、分類。寄付された素材と合わせて魔法薬を作り、薬師や【飛翔する梟】学派の呪医が居ない区画に分配する予定だ。
魔法薬作りの専門家が常駐する区画では、従来通り、診療所で作るが、素材は、専門家が目利きして水抜きまで済ませたものを分配し、常勤医療者の負担を軽減する。
その近くでは、倉庫も建設中だ。
一部の救援物資は、ボランティアセンターの丸木小屋に集積するが、古着などが滞留しがちで、手狭になった。
休憩や打合せの場所がなくなってしまったと聞き、難民有志が自発的に集まって作業を始めたのだ。それらが完成すれば、薬学部の学生ボランティアも、活動しやすくなるかもしれない。
薬素材の仕分けだけでも、かなり常勤医療者の負担が軽減され、毒草の混入を防いで安全性も向上する。
薬師を目指す学生が、難民キャンプ内の診療所で魔法薬作りに携わるのは、今日と明日で最後になるだろう。
呪医セプテントリオーは以前、居住区に侵入した熊が複数の住民を殺傷する現場に居合わせた。この世の生き物が相手でも、あれ程の人的被害を出したのだ。
難民キャンプ開設から二年余り経つが、改めて考えても、この大森林は人間が居住していい土地ではなかった。
だが、アミトスチグマ王国の負担を考えると、四十万人以上の難民を都市だけで吸収せよと言うのは酷だ。
ラキュス湖周辺地域では、規模の大小を問わず、防壁や土塀で外界と人間の領域を隔てて暮らす。
ゼルノー市などは半世紀の内乱後、ラクリマリス王国領となったネーニア島南部から、力なき陸の民が多数流入し、急激に人口が膨らんだ。
急増した人口を防壁内で吸収しきれず、地価の高騰もあり、ニェフリート河を隔てた荒野を不法占拠して住居や商店などを建てる者が現れた。
ゼルノー市当局は専門家が不足し、防壁内の都市計画や土地の権利関係を調整するだけでも手が回らない。防壁外の不法占拠の取締りどころではなく、黙認される形で、地図にない街が形成された。
治安部隊は、地図にない街に出現した魔物や魔獣の対応に追われ、セプテントリオーも、魔獣などに襲われた住民の治療に忙殺された。
クブルム山脈や森が近いとは言え、都市のすぐ傍で、魔装兵だけで構成された治安部隊が巡邏しても、毎日かなりの人的被害が発生したのだ。
大森林を開拓した難民キャンプが、如何に無謀であるか、子供でもわかる。
ここでは二年余り経った現在も、貧弱な木柵や石積みしかなく、鹿や猪にも易々と突破された。
呪医セプテントリオー自身、魔獣襲撃現場となった畑での救護活動中、樹棘蜥蜴に咥えられた。
駐在武官セルジャントが軍医用の【鎧】を寄越さなければ、捕食されて大惨事を招いただろう。
だが、ネモラリス共和国は、レーチカ臨時政府もネミュス解放軍のクーデター政権も、戦禍の祖国を離れた避難先でも命を脅かされる国民を守らない。
アミトスチグマ王国に駐在するネモラリス共和国大使館から、ようやく駐在武官が派遣されたのは、つい最近だ。
だが、それもたった一人では、広大な難民キャンプで暮らす国民を到底、守り切れない。
一介の呪医でしかないセプテントリオーには、状況を打開できる力がなかった。魔獣や野生動物に襲われた生存者の治療しかできないのが、もどかしい。
……やはり、戦争を終わらせるしかないのか。
今日も暑いらしく、難民キャンプ第九区画診療所には、熱中症患者がひっきりなしに搬送される。
常勤医療者とパテンス神殿信徒会のボランティアが、朦朧とする患者の喉に【操水】で魔法薬を流し込む。意識が比較的はっきりしている患者には、科学の医療者が飲ませた。
蔓草細工の帽子や畑に設置した休憩用テントの普及で、以前よりマシにはなったが、完全な発症予防には程遠い。
湖の民であるセプテントリオーは、力なき陸の民の困難を思い知らされた。
常連らしき年配の患者が、慌しさの合間を縫って順番待ちの列から声を掛けた。
「看護師さん、今日、薬師さん来てるんでしょ?」
「えぇ、でも、まだ徽章のない学生さんですけど」
科学の看護師は一瞬、煩わしそうな顔をしたが、すぐに微笑を繕った。
「これ、小屋のみんなから預かってきたの。薬草」
古着で拵えた手提げ袋から、青々とした葉が覗く。
神殿ボランティアが看護師に目顔で語り、長椅子に歩み寄ると、膨らんだ袋を笑顔で受取った。
「今、奥で作ってるとこなんで、お渡ししときますね。みなさんにもよろしくお伝え下さい」
「あっ、俺も預かってきたんだ」
「私も」
「儂もこれ」
行列のあちこちから、丸く膨らんだ布袋が差し出される。
ボランティア三人は両手いっぱいに受取って、診療所の奥へ引っ込んだ。
あれを同定して水抜きするだけでも、相当な手間だ。
ボランティア二人が空の袋を返却して回る。一人は手伝いに残ったらしい。
「全部を今日明日でお薬にするのは無理ですが、下拵えだけでもできれば、巡回の薬師さんに引継げますからね」
「あんまり多いと、下拵えも終わらないので、明日はお持ちいただかなくていいですよ」
袋を返しながら言われ、難民たちが複雑な顔になる。
巡回薬師が来る日もこんな調子で素材を持ち込んで、治療に駆り出されない時でも、魔法薬作りがなかなか進まないのだ。
呪医セプテントリオーは、受傷から日数が経った手や肋骨などの骨折患者を癒しながら、こっそり溜息を吐いた。
☆平野にあるボランティアセンターの隣で丸木小屋が建設中……「2124.製薬専門の場」参照
☆休憩や打合せの場所がなくなってしまった……「1606.避難地の現状」参照
☆居住区に侵入した熊が複数の住民を殺傷……「1810.侵入した野獣」~「1812.届かない救命」参照
☆地図にない街……「0184.地図にない街」参照
☆治安部隊は、地図にない街に出現した魔物や魔獣の対応……「1514.イイ話を語る」参照
☆呪医セプテントリオー自身(中略)樹棘蜥蜴に咥えられた……「2056.死線を彷徨う」~「2058.餌場になる畑」参照
☆駐在武官セルジャントが軍医用の【鎧】……「2055.軍医の【鎧】」参照
☆つい最近だ……「1921.産官学調査隊」~「1923.調査隊の目的」参照
☆蔓草細工の帽子……「1927.細工物の先生」~「1932.対策の多重化」参照
☆畑に設置した休憩用テント……「1962.日除けテント」参照




