2141.人助けを経験
「おはようございます。今日は診療所のお台所で魔法薬を作ります」
「俺たち、まだ学生で【思考する梟】学派の徽章ももらえてないんで、患者さんは診られません」
「傷薬とか、簡単なのしか作れませんけど、今日と明日、なるべくたくさん作れるように頑張ります」
「よろしくお願いします」
冬の都大学薬学部の学生二人が、難民キャンプ第九区画の診療所で、常勤医療者を前に挨拶した。
台所は今、入院患者の朝食準備で目の回るような忙しさだ。
診療開始時刻はまだまだだが、外は既に大行列ができ、パテンス神殿信徒会のボランティアが、脱水防止にお茶を配る。
「いえいえ。こちらこそ、よろしくお願いします」
「ここは魔法使いの医療者が、看護師さん二人だけなので助かります」
科学の耳鼻科医テコーマが恐縮する。
学生二人が衝立の隙間から病室を窺って首を傾げる。
「え……? あの呪医は?」
「彼は巡回なので、明日は第十区画へ行くんですよ」
「あっ、そうだったんですか」
「ちゃんと調べて来なくてすみません」
呪医セプテントリオーは、学生二人のしょげた声を背に【骨繕う糸】で入院患者の骨折を癒す。
第九区画診療所では、耳鼻科医のテコーマと看護師たちが整復し、添え木を布で巻いて固定するなど、ギプスすらない欠乏の中で、能う限りの処置をして【青き片翼】学派の巡回を待つしかないのだ。
「呪医、有難うございます。もう小屋へ戻ってもいいですよね?」
「あなたはまだ傷からの感染があるので、熱が下がるまで退院できませんよ」
「えぇ? 熱くらい、小屋で寝てても」
魔獣に左腕を噛み砕かれた男性が食い下がる。
「抗生物質か、化膿止めの魔法薬が届くまでの辛抱です」
「はーい! 化膿止め、今から作りまーす!」
「お薬飲んでも、三日くらい掛かるんで、それまで退院できないと思います」
衝立の向こうから学生の声が飛び、患者の顔色がよくなった。
「三日で退院できるって? 有難う、有難う!」
「一日三回飲まなきゃなんで、足りなかったら、もっと長くなると思います」
女子大生の声は自信なさそうだ。
学生二人とパテンス神殿信徒会のボランティアは、魔法薬の素材を詰めた四十五リットル入りゴミ袋を幾つも持ってきた。
昨日、学生とボランティア、第九区画の住民が集会所で、前日に住民が摘んできた薬草の同定と仕分けをしたと言う。
今日はそれに加え、学生が友人から預かった素材も持参した。
アミトスチグマ王国の産官学合同調査隊の一人、冬の都大学のリグニート研究員が、母校で後輩に呼び掛けてくれたのだ。
学生は夏休みとは言え、実習や実験、フィールドワークなどで忙しい。また、難民キャンプでは身の安全を保障できない為、家族の反対で来られない学生が多い。この二人も、昨日から明日までの三日間しか、現地活動ができなかった。
「いやいや、そんな。マシになるだけでも充分過ぎるくらい有難いよ」
「来てくれて有難うね」
病室のあちこちからお礼の声が飛ぶ。
「やっぱ、サフロールさんの言う通り、薬草園の管理もっと本腰入れてやらにゃなぁ」
「俺、退院したら薬草園の仕事中心で行くゎ」
周囲のベッドで、物資不足を痛感した声が飛び交う。
呪医セプテントリオーは、診療開始前に入院患者の治療を終わらせるべく、次々とベッドを移動した。魔獣に襲われ、牙や爪で裂かれた身を【癒しの水】で塞ぎ、損傷した骨を【骨繕う糸】で復元して回る。
入院患者の多くは、縫合糸すらない中、包帯を巻かれて呪歌【癒しの風】で僅かでも傷が塞がるのを待つ状態だ。
呪歌の歌い手が増えた分、救命率は向上したが、入院が必要な重傷、つまり【癒しの風】では届かない深い傷では、気持ち程度の差しかない。
それでも、爪が割れるなどした軽傷なら、すぐ回復して、生活に支障なく復帰できるようになった意義は大きかった。
台所が空くまで、学生二人も朝食の配膳を手伝う。
内科系の患者や傷が癒えたばかりの患者が自分で身を起こし、折畳み式の台をベッドに展開してスープ皿を受取る。
「こんなコトまでしてもらって、ありがとね」
高齢の女性が、学生に支えられて身を起こして恐縮する。
「いえいえ、俺たちまだ、大したもの作れないんで、これくらい」
「いいえ。大したものよ。そのお薬で大勢が助かるんですからね」
「いえ、まだ一日でそんなたくさん作れないんで」
病気で入院する老女は、首を横に振った。
「助かるのは、お薬で治った人だけじゃないのよ」
「えッ? どう言うコトですか?」
男子学生がワゴンから皿を受取る手が止まった。
「その人の家族とか、一緒に暮らしてる人たちも助かるのよ」
「あ、あぁ……親がアレしたら、子供たちが困りますもんね」
「暮らしを支える人だけじゃないわ」
「えッ」
学生は食卓代わりの台に皿を置いて首を傾げた。
「あなただって、お友達が亡くなったら悲しいでしょ?」
「そう……っスね」
「誰かが助かれば、それだけ、気持ちの上でも助かる人が増えるのよ。こんな老いぼれでも、小屋には待っててくれる人たちが居るし、私が小屋に居るだけで【魔除け】や【耐暑】でみんなが助かるのよ」
「はい」
「あなたたちのお勉強を大したコトないなんて言わないで。薬草の知識や魔法薬で助かる人たちの命や心も、大したコトないって言うようなものなんですからね」
「は、はい。すみません」
薬師を目指す若者は背筋を伸ばした。
信徒会のボランティアが段ボール箱を抱えて入ってきた。熱中症の治療薬だ。八月下旬になったが、まだまだ暑い日が続く。
「ここでうんと人助けの経験を積んで、立派な薬師さんになってね」
「はい! 俺たちの方こそ、よろしくお願いします」
信徒会のボランティアが食事介助を交替し、冬の都大学薬学部の学生二人は台所へ移動した。
☆冬の都大学のリグニート研究員……「2124.製薬専門の場」参照
☆サフロールさんの言う通り……「0986.失業した難民」参照
☆熱中症の治療薬……「1880.暑さ対策会議」参照




