2136.恣意的な運用
「しかし、食用のオリーブ油も、武器禁輸措置の対象品目に含まれるのですよ」
国連人権査察団の団長が、大聖堂から派遣されたフェレトルム司祭に反論する。
ネモラリス政府軍の魔装兵が、共通語で低い声を発した。
「まさか、治療費を踏み倒す気じゃないでしょうね?」
「いえ、それは、その」
「勝手にウロウロしないで下さいって、何回も言いましたよね? 注意を守らなくて羽矢尾鼠に咬まれたの、俺たちのせいとか言いませんよね?」
「余計なコトして、余計な怪我して、ギリギリの人員と物資で回してる地元の医療機関に余計な負担を掛けて」
「その上、国連の職員だから、特別扱いでタダにしろとか言うんじゃないでしょうね?」
魔獣の群を一瞬で駆除した魔装兵たちが、人権査察団の調査員に汚いモノを見る目を向ける。
「国連職員が、国連安保理決議で決定した武器禁輸措置を破るワケには参りません。お支払いは現金で」
「ここの法律に従わないで、そっちの都合で支払い方法を変えていいワケないでしょう」
「カネなんかもらっても仕方ないんですよ」
「経済制裁で何も買えないのに」
魔装兵たちが憤りを吐き捨てる。
国連職員が、地元の文官に視線で助けを求めた。
レーチカ臨時政府の復興省職員は、静かな声で指摘する。
「国連の制裁理由は、魔法生物の製造と開発となっておりますが、製造当時の条約では、許可された製法で作られたモノです」
「しかし、現に兵器として使用して、現在の国際法に違反しています」
役人が、団長の反論にすかさず共通語で切り返す。
「約七百年前、魔哮砲……清めの闇が開発された当時の政府は、現在のアーテル共和国領を含むラキュス・ラクリマリス王国でした。約二百年前、無血で民主化して共和制に移行。半世紀の内乱を経て、三十年程前に三カ国に分裂しました」
「それは、我々も存じております」
「魔法生物を開発した七百年前のラキュス・ラクリマリス王国と、現在のネモラリス共和国に国家としての連続性があると言うなら、ラクリマリス王国とアーテル共和国にも同じ制裁を科さないのは、二重規範に基づくルールの恣意的な運用と言わざるを得ません」
国連人権査察団の団長が、言葉に詰まる。
レーチカ臨時政府の役人は、更に畳みかけた。
「現在の国際法に違反したとのことですが、それを言うなら、アーテル共和国が独立以来、国交のなかった我が国に突然、宣戦布告したことも、都市や村への無差別爆撃で市民を一方的に虐殺したことも、中立を保つラクリマリス王国領に戦車で侵入し、腥風樹を植え付けて国土を穢したことも、全部、国際法違反ですよね? 一言の話し合いもなく、国連を脱退してまで武力行使したアーテルには制裁しないんですか? 何故です?」
団長は怯まなかった。
「外務省ではなく復興省。それも、課長程度の身で国家間の件を云々するのは、口が過ぎます。身の程を弁えないと、立場が危うくなるのはあなたですよ」
「ここの区長が、魔法使いの役人を入れたくないと言うから、キルクルス教徒の信仰に配慮して、共通語がわかる力なき民の私にお鉢が回ってきたんです。魔装兵を入れておきながら、今更!」
レーチカ臨時政府復興省の課長が、礼拝堂の床に言葉を叩きつける。
区長は身を縮め、ヌーベス司祭の背後に隠れた。
「どうせ、もう何カ月も給料の支払いがないのに立場もへったくれもありませんよ。あなた方は、痛いところを突かれたら、そんなどうでもいい身分を口実に話さないつもりですか? それこそ差別ではないのですか」
「彼の質問は、私もずっと気になっておりました」
フェレトルム司祭が、一歩前に出て課長に並び、訛のない共通語で言う。
「何故、アーテル軍のネモラリス人に対する集団殺害に関して、国連や世俗の政府は沈黙するのでしょう?」
「それは……」
「ネーニア島のクブルム山脈以北の地域は、無原罪の清き民が大勢お住まいだそうです。彼らが宣戦布告とほぼ同時に行われた無差別爆撃から、無事に逃げられたとは思えません」
フェレトルム司祭は静かな声で言って、国連の人権査察団と、アルトン・ガザ大陸北部の国々から訪れた記者たちを見回した。
聖職者から目を逸らし、礼拝堂の奥に立つ聖者像を見上げる。説教壇の背後で両腕を広げて微笑むキルクルス・ラクテウスは何も語らない。
「信徒を救う為ならば、異教徒を何人殺害しても構わないなどと、聖典には一行たりとも書かれておりません」
「戦える魔法使いなんてほんの一握りで、大半が非戦闘員です」
「魔法使いがみんな戦えるなら、俺たちや魔獣駆除業者みたいな戦いの専門家なんて要らないんですよ」
「絨毯爆撃で一般市民を無差別に虐殺するのは、人道に対する罪にならないんですか?」
フェレトルム司祭の声に魔装兵たちが続いた。
「もしかして、俺たち魔法使いを魔獣の一種か何かだと思ってませんか?」
人権査察団もキルクルス教徒の記者たちも、黙して語らない。
区長は、ヌーベス司祭の背後で落ち着きなく礼拝堂を見回す。
ラクエウス議員の姉が長椅子に腰掛け、無言で一同を見守る。
「去年、聖地の神殿が、ネモラリスで使う麻疹ワクチンの費用をクラウドファンディングで集めました」
湖南経済新聞の記者に礼拝堂の視線が集まる。
「ネモラリスの本国は、いきなり吹っ掛けられた戦争のせいで予防接種すらできなくなって、平和な頃なら何でもない病気で人がバタバタ死んで、ウチの国にできた難民キャンプも、作業中の事故や魔獣のせいで毎日、大勢が亡くなっています」
「戦争さえなければ、まだまだ生きられたのです。まさか、異教徒には人権なんかないなどと言うことは、ありませんよね?」
復興省の課長が、険しい顔を国連の職員たちに向ける。
湖南経済新聞の記者が、国連人権査察団の顔を見回す。
「難民キャンプにはまだまだ支援が必要です。それなのに国連難民高等弁務官事務所は、ネモラリス難民から手を引きました。何故だかご存知ですか?」
国連の職員は誰一人として、口を開かない。
耳が痛くなりそうな沈黙が礼拝堂に満ちる。
「予算を盾にされたんですよ。ネモラリスから手を引かなければ分配しないと、アルポフィルム連邦以外の常任理事国から、圧力を掛けられたからです」
「そのせいで、アミトスチグマ王国とフラクシヌス教団、限られたボランティア団体に過重な負担が掛かりましたし、経済制裁で多くの支援者が手を引きました」
記者の指摘に課長の窮状を訴える声が続く。
国連の職員は顔色ひとつ変えなかった。
アミトスチグマ人記者の目が、査察団長を射抜く。
「少なくとも、俺たち魔装兵は、魔哮砲がアーテルの街を攻撃したなんて作戦、知りません」
「アーテルの爆撃機が俺たちの街を焼き払って、何万人も虐殺するのはよくて、国民が知らない間に封印を解かれた魔法生物は、居るだけでもダメって、何故なんですか?」
「アーテルは、腥風樹の件でラクリマリスに賠償してなくて、国際司法裁判所に訴えられても無視してますよ。あれはいいんですか?」
魔装兵が口々に質問するが、国連の職員たちは一人も答えない。
レーチカ臨時政府の役人が一歩詰め寄った。
「何故、黙っているのですか? アーテルの所業を咎めない正当な理由と言うものが存在するのでしたら、是非ともお聞かせ下さい。疚しい理由でないなら、報道陣の前で堂々と言えますよね」
国連の職員たちは、それでも頑なに口を開かなかった。
☆清めの闇が開発された当時……「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」参照
☆国家としての連続性……「1988.国家の連続性」「1989.情報に飢える」参照
☆聖地の神殿が(中略)クラウドファンディング……「1267.伝わったこと」→「1305.支援への礼状」参照
☆平和な頃なら何でもない病気で人がバタバタ死んで……「1202.無防備な大人」「1844.対象品の詳細」参照
☆難民キャンプも(中略)大勢が亡くなって……「1586.呪医の苛立ち」「1587.統計から見る」「2000.飲み物の不足」参照
☆国連難民高等弁務官事務所……「1400.攻撃対象選定」「1404.現場主義の力」参照
手を引いた/予算を盾に(中略)圧力を掛けられた……「1606.避難地の現状」「1607.現実に触れる」参照
☆腥風樹の件で(中略)国際司法裁判所に訴えられても無視
賠償に応じない……「1525.国際司法裁判」「1526.提訴の意味は」参照
提訴……「1681.コメント確認」「1708.国際ニュース」「1858.南ザカート市」「1859.伝えない情報」参照
無視……「1992.無反応を貫く」参照




