2135.根本的な差異
仮設病院には、星光新聞リストヴァー支社の記者だけが、付き添いとして残る。
ラゾールニクと湖南経済新聞の記者、レーチカ臨時政府復興省の職員は、魔装兵の【跳躍】で西教区の教会へ移動した。
役人が状況を共通語で報告すると、バルバツム人二人の平癒を祈って待つ一同に安堵が広がった。
国連人権査察団の団長が、リストヴァー自治区の区長に聞く。
「医療費が物納と言うのは、本当ですか?」
「自治区では基本的に現金ですが、それ以外の地区では物納が一般的です」
「えッ?」
「仮設病院は、隣のゼルノー市にあるので、物納です。薬になる虫や草をその辺で採ってくればいいので、貧困層は却って受診しやすくなりましたよ」
国営放送ゼルノー支局の記者が言うと、キルクルス教圏から訪れた記者と調査員は、驚きと困惑で言葉にならない声を上げた。
「それで、経営が成り立つのですか?」
バルバツム人記者が、問いをどうにか言語化する。それには、役人が答えた。
「公立病院は、維持に必要な最低限の経費を公費で賄っております。魔法使いによる治療なら、入院日数が短く、治療に掛かる経費も低く抑えられます」
例えば、外傷を【青き片翼】学派の呪医が治療する場合。
骨折の修復は【骨繕う糸】ならほぼ一瞬で終わり、外科手術やギプスなどは不要だ。受傷時点で失血が酷くない限り、基本的に輸血は行わない。
科学の外科手術では、完全に回復できないような粉砕骨折や、救命不能な重症度でも、魔法の治療なら、数日から一週間程度の入院で、元の生活に戻れる。
外科の入院は、感染有無の経過観察、体力や血液量の回復待ちが主な目的だ。
病気による入院は、術や魔法薬の副作用対応と、生活指導に大別される。
前者は、例えばステージ四の癌であっても、魔法薬なら一カ月そこそこの入院で完治する。腎不全は原疾患の種類を問わず魔法薬で完治する為、基本的に人工透析の設備自体が不要だ。
「純粋な科学文明国では、臓器移植と言うものが行われるそうですが、魔法による治療は、本人の身体を元に戻すものなので、移植などの必要がないのです」
「癌や腎不全が完治?」
調査員の声が裏返る。
「リウマチや糖尿病は、体質と魔法薬の相性があるので、全ての症例に適用できるワケではありませんが、これも、寛解ではなく完治します。数カ月から数年間、治療薬を飲み続け、薬と相性の悪い食材を避けなければなりません。呪医と薬師、管理栄養士がチームを組んで生活指導する為、二週間から一カ月程度の入院が必要です」
「そんなコトが……本当に」
レーチカ臨時政府の役人は、外国から訪れたキルクルス教徒の驚きに構わず、話し続ける。
「眼球の損傷による失明や、魔獣に捕食されて欠損した手足も、数日から数カ月程度で元通りに再生させられますので、義眼や義肢の類も必要ありません」
「そんな、夢みたいな治療が」
「再生途中は激痛が続くので、痛みと睡眠不足、衰弱の対応の為に入院が必要になりますが、元通りになりますよ」
バルバツム人記者が食いつく。
「それが、その辺の草や虫で受けられる……魔法の医療?」
「魔獣の消し炭など、魔獣由来の素材なら少量で済みますが、自力での入手は危険が伴い、魔獣駆除免許も必要です」
魔装兵が言うと、役人が更に続けた。
「一般人が安全に入手できる貝殻や薬草、虫などの魔法薬素材や【魔力の水晶】などの補助具による支払いは、量がたくさん必要です。しかし、高額の医療費が払えず破産する人や、支払い不能で最初から諦めて受診せず亡くなる人は、我が国には居りません」
「アミトスチグマ王国もそうですけど、身内や友達、医療支援のボランティア団体とかが、素材集めを手伝ってくれますからね」
湖南経済新聞の記者が付け足すと、バルバツム人たちは苦い顔になった。
バルバツム連邦では、高額な医療費が長年の社会問題だ。
公的医療保険の創設が、何度も国会や地方議会で議題に上るが、富裕層や関係する業界団体の反対に遭い、未だ立法に至らない。
二代前の大統領が、ようやく公的医療保険創設法案に署名する段階まで漕ぎつけたが、次の大統領選挙で対立候補が当選すると、白紙撤回された。
「私は、開戦前まで保健省に居りましたので、この方面に明るいのですよ。早く治って職場や家庭、学校などに復帰できれば、その分、社会全体の損失を抑えられますからね」
「貧困層も富裕層も分け隔てなく、物納なんですか?」
「国民皆保険制度があります。同じ治療の医療費は、社会階層に関係なく、みなさん同じです。神殿付属の施療院も、治療費は無理のない範囲の寄付で、魔法薬素材の物納や【魔力の水晶】への魔力充填が大部分を占めます」
役人が滔々と説明すると、バルバツム人記者は質問を重ねた。
「民間病院の治療費などはどうですか?」
「公立病院と同程度の公費を投入して、患者負担を抑えております」
「では、科学的な治療と言うのは、全くないんですか?」
「いいえ。残念ながら、半世紀の内乱時代、医療系の術者も大勢亡くなり、育成がまだまだなのです。科学の医療による代替や、魔法の治療を受けるまでの時間稼ぎも多いのですよ」
科学文明圏から訪れた者たちが顔を見合わせる。
先程の記者が更に質問した。
「では、科学的な治療は、補助的なものと言う位置付けなんですね」
「そうなりますね。まぁ、そちらも、武器禁輸措置や経済制裁で、充分な治療ができなくなっておりますが」
役人は国連の調査員たちを見回して吐き捨てた。
「魔法の治療って、こんなですよ」
湖南経済新聞の記者が、デジタルカメラのプレビュー画面で動画を再生する。
ラゾールニクは、調査団が小さな画面に額を寄せ合う様子も、無言で動画に収めた。
西教区の教会に力ある言葉が響く。
「血は血に 肉は肉に 骨は骨に あるべき姿に立ち返れ
損なわれし身の内も外も やさしき水巡る
生命の水脈を全き道に あるべき姿に立ち返れ」
国連の人権査察団が驚愕に息を呑み、食い入るように画面を見詰める。
役人は、肩越しに覗いて解説した。
「その術は【青き片翼】学派の【癒しの水】です。水に魔力を巡らせて、水が触れた部分の損傷を修復します。内臓に達する深い刺し傷も、手術なしで即座に回復させられます」
「これこそが、聖者様が悪しき業と区別なさった善き業なのです。明日、ペタロン市でオリーブ油を買って、お見舞いのついでに納品するのがよいでしょう」
フェレトルム司祭がにっこり笑って言うと、国連の調査員たちは仲間内で顔を見合わせた。




