2133.報道を比べる
リストヴァー自治区へ派遣された国連人権査察団関連の記事が、連日、ポータルサイトや報道機関の公式サイトに配信される。
ファーキルは、キルクルス教圏の共通語メディアと、フラクシヌス教圏の湖南語メディアの記事を蒐集した。
共通語読者は、遠い異郷で異教徒に囲まれる中、信仰を守る信徒の暮らしに目を向け、湖南語読者は、長引く魔哮砲戦争の仲裁を求めて、国連の動向を見守った。
どちらも、和平交渉開始の材料を得る手掛かりとして、関心を寄せる。
アーテル共和国が表向きの開戦理由として、リストヴァー自治区の救済を掲げた為だ。
ラクリマリス王国軍による「清めの闇」の情報公開で、真の開戦理由は、ネモラリス軍に魔哮砲を実戦投入させ、兵器化された魔法生物を白日の下に晒すことではないかとの推論が広まった。
アーテル政府は、その推論を否定も肯定もしない。
国連は、ようやく重い腰を上げ、ネモラリス政府が再三に亘って要請したリストヴァー自治区の人権状況の調査に乗り出した。
国連の人権査察団には、バルバツム連邦などキルクルス教圏の記者が随行する。
キルクルス教徒の自治区である為、区長は「魔法使いの記者」の取材を拒んだ。
他には、地元メディアと、湖南経済新聞など近隣諸国の報道機関に所属する力なき陸の民の記者、そして、複数のフリージャーナリストが現地入りした。
どうやって誤魔化したか不明だが、ラゾールニクも力なき民のフリージャーナリストとして潜り込み、記事や動画を湖南経済新聞に売込んだ。
彼の記事は、「ラゾールニク」ではなく、全く別の呼称で本紙と公式サイトに連載された。
採用されなかった記事や動画も、動画共有サイト「ユアキャスト」で公開し、それなりのアクセスを稼ぐ。
関連動画には、ラゾールニク自身が撮影した他の動画の他、クアエシートル氏の動画が並ぶ。バルバツム連邦陸軍の取材でアーテル領入りし、様々な角度から現地の実像を発信する動画が人気を博した人物だ。
クアエシートル氏の動画は、バルバツム連邦最大手のポータルサイトで、アーテル共和国やリストヴァー自治区の記事下に関連情報として、度々リンクされる。
どうやら、定期的にラニスタ共和国など、インターネットが使える近隣の国へ移動し、大容量の有線回線からまとめて記事や動画をアップロードするらしい。
キルクルス教圏から派遣された記者が書いた記事は当初、リストヴァー自治区への魔装兵駐留を「キルクルス教徒の居住地に対する重大な人権侵害だ」と、咎める論調ばかりだった。
その読者も、大部分が共通語話者で、魔法文明圏の常識や湖南地方の環境を知らないキルクルス教徒だ。レーチカ臨時政府の対応を宗教弾圧として批難する書込みが記事下のコメント欄を埋め尽くし、理解を示す言葉はひとつもなかった。
リストヴァー自治区の衣と食は、ほぼ寄付頼みだ。
住環境などの改善は、バルバツム連邦など、科学文明圏の先進国基準では、「ゴミが散らかっていないスラム街」程度に映るらしく、これも批難の的になった。
西教区の農村地帯は、ネミュス解放軍の侵攻で多数の死傷者を出し、現在も人手不足が続く。
キルクルス教圏の記事では、ネミュス解放軍をフラクシヌス教原理主義で、神聖復古を目指してクーデターを起こした危険な極右武装集団と説明する。
解放軍の侵攻が、食料生産に多大な悪影響を及ぼしたと、自治区民の困窮ぶりを強調した。
フラクシヌス教徒によるリストヴァー自治区への侵略と宗教弾圧、非人道的な虐殺を放置したとして、レーチカ臨時政府を糾弾する記事を次々と配信。コメント欄も、ネモラリス政府やフラクシヌス教団、ネミュス解放軍への批難や暴言一色に染まった。
一方、ラゾールニクの連載記事は、共通語圏には配信されない。だが、湖南経済新聞の記者が書いた単発記事は、共通語訳した上で複数のポータルサイトに配信される。
新着記事一覧からは、あっという間に流れてしまうが、キルクルス教系報道機関の記事下にある関連の項目には、何度も取り上げられた。
こちらは、バルバツム連邦をはじめとするアルトン・ガザ大陸の先進国と、チヌカルクル・ノチウ大陸西部に位置するラキュス湖周辺地域では、環境が全く異なることの説明を交えた記事だ。
魔物や魔獣の出現頻度が高いせいで、魔力を持たない者向けのインフラ整備などが困難。実体を持たない魔物には、銃などの物理攻撃が無効。受肉した魔獣は、心掛けの護りでは防げないこと、ラキュス湖が塩湖で、農耕に適した土地が少なく、水は塩分の除去が必要なことなど、魔法の助けなしには生存が難しい土地柄であることを簡潔に付記する。
キルクルス教徒が「無原罪の清き民」と自称する魔力を持たない者だけでは、生活どころか、生命の維持すら覚束ない環境なのだ。
湖南語話者の記者による解説付き記事のアクセスが伸びるにつれ、コメント欄の態度が僅かに軟化し始めた。
湖南経済新聞社が、リストヴァー自治区にも国際テロ組織「星の標」の構成員が存在し、開戦後、ネモラリス領内各地で爆弾テロが頻発した件を報道すると、自治区絡みの記事の下には、自治区民を罵るコメントが溢れた。
ラゾールニクが、記事として採用されなかったインタビュー動画をユアキャストに投稿すると、更に潮目が変わった。
自治区の司祭と星道の職人が、星の標が武力を背景に歪んだ信仰を押し付けたことを暴露。ネミュス解放軍が星の標を壊滅させたお陰で、一般の自治区民が助かったと述べた動画が、SNSなどで急速に拡散した。
これを受け、一部の界隈では、ネミュス解放軍やフラクシヌス教団への風当たりが弱まった。
☆リストヴァー自治区へ派遣された国連人権査察団……「2061.自治区の査察」~「2065.交通も食料も」「2098.農作業と魔獣」~「2100.視えなくても」参照
☆アーテル共和国が表向きの開戦理由……「0078.ラジオの報道」参照
☆ラクリマリス王国軍による「清めの闇」の情報公開……「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」参照
☆真の開戦理由は(中略)推論が広まった……「601.解放軍の声明」「628.獅子身中の虫」「705.見張りの憂鬱」「823.明かさない国」「1196.大使らの働き」参照
☆ラゾールニクも(中略)記事や動画を湖南経済新聞に売込んだ……「2077.急遽開催決定」「2101.切取り方の差」「2102.偏向した報道」参照
☆クアエシートル氏の動画……「2045.呪歌を生配信」「2046.差異を埋める」「2102.偏向した報道」参照
☆ラキュス湖周辺地域は環境が全く異なる……「2062.記者団と司祭」「2064.脆弱な通信網」「2098.農作業と魔獣」「2099.短信から推測」参照
☆自治区の司祭と星道の職人が(中略)述べた動画……「2063.正された教え」「2100.視えなくても」参照




