2132.四軒目の魚屋
少年兵モーフは、四軒目のウハー鮮魚店であっさり当たりが出て、心臓が跳ね上がった。
だが、教えてくれた魚屋のおばさんは、帳面に目を戻して眉間に皺を寄せる。
「そんなの知らないわよ。戦闘が落ち着いて、他所へ行きたい人の手助けが一段落したから、他の地区の支援に行くって、急に取引切られたからね。ウチだって、卸売りが止まってから懇意にしてた漁師さんがテロで死んじまって困ってたのに」
急に雲行きが怪しくなって、モーフは漁師の爺さんを見た。
爺さんは顔を強張らせて、魚屋のおばさんに詫びる。
「身内の者がご迷惑をお掛け致しまして、申し訳ありません」
「どこへ行くか言わなかったから、今どこで何してるかなんて知らないよ」
「お忙しいところ、お邪魔致しました。教えて下さって有難うございます」
漁師の爺さんは泣きそうな顔で礼を言って、四軒目のウハー鮮魚店を去った。
どこか遠くの工場で、正午のサイレンが鳴る。
遠吠えのように長く尾を引いて、ギラギラ灼けつく夏空に消えた。
東西に長い商店街を北へ抜け、小さな公園に入る。
砂場とブランコはあるが、人っ子一人居なかった。
漁師の爺さんは、木陰の長椅子に腰を下ろすと、大きく息を吐いて俯いた。
モーフは手提げ鞄から香草茶が入った水筒と、昼飯のパンを出して爺さんの隣に置いた。パンは今朝、ピナの兄貴が、野菜とチーズを練り込んで焼いたものだ。
モーフは水筒の蓋を開けたが、すっかりぬるくなって香りが弱い。
「手掛かり……忘れねぇ内に」
「そうだな」
漁師の爺さんは顔を上げ、上着のポケットからペンと手帳を出した。水筒に気付いてモーフに礼を言うが、その微笑みは酷く弱々しい。
モーフには、これ以上何もできず、パンを一口齧った。チーズの薄い塩気と濃い味、野菜と小麦の味が混じり合い、確実に美味い筈だが、粘土細工を齧るような気持ちで噛みしめる。
……去年の春まで、あのウハー鮮魚店に魚を卸してた。
爺さんの身内は、日記のねーちゃんたちを逃がした後、少なくとも数カ月は無事だった。
今はどこに居るかわからないが、港へ行けば、何かわかるかもしれない。
魚屋に卸すのをやめて、仮設住宅へ回すようになったなら、ネミュス解放軍が、何か知っているかもしれなかった。
……あれっ? そう言や、解放軍の腕章巻いた奴って居たっけ?
勿論、人が多過ぎて、全員は見られないが、それらしい者は一人も見掛けなかった気がする。
ネモラリス政府軍と戦って、ネミュス解放軍が首都クレーヴェル全体を支配下に置いたのだから、他所よりずっと人数は多い筈だ。親玉のウヌク・エルハイア将軍も、この街に居るだろう。
モーフは、よくわからないコトは後でソルニャーク隊長たちに聞くコトにして、昼メシを腹に詰め込んだ。
漁師の爺さんも、さっきの話を書き終わると、パンをもそもそ食べ始めた。
モーフはホッとして、公園前の細い道を眺める。
真夏の昼メシ時で、出歩く奴は居なかった。どこからか漂う料理の匂いは薄い。
地下街チェルノクニージニクはメシ屋がたくさんあって、仕込みの時間から美味そうな匂いが通路に満ちて混じり合うが、この商店街は、魚を焼く匂いが少しするだけだ。
シャッターの色褪せた「閉店」の貼紙は、大半がメシ屋だった。
……何でメシ屋ばっか閉まってんだろな?
モーフと漁師の爺さんは、とぼとぼ歩いて、公民館の駐車場へ戻った。
薬師のねーちゃんたち、他の市場や商店街を見に行った組は、まだだ。
アマナたちの父ちゃんは帰ったところらしい。葬儀屋のおっさんに【操水】で丸洗いされる。
「知ってる魚屋、みつかった」
汗だくのモーフが言うと、留守番のみんなが一斉にこっちを見た。
漁師の爺さんが暗い顔で頷く。みんなは複雑な顔でモーフを見た。
どこか遠くで雷が鳴る。
「去年の春まで取引してたけど、他所の地区で人助けするって、どっか行ったってさ」
「他所の地区って?」
ピナがトラックの荷台から降りて聞く。
風に湿った土の匂いが混じった。
モーフは少し申し訳なくなったが、正直に答える。
「魚屋のおばちゃんも知らねぇって。急に取引切られて困ってるって怒ってた」
「えぇ……?」
みんなが困った顔になる。
甘い匂いがふわりと鼻をくすぐった。鎮花茶だ。ラジオのおっちゃんジョールチが、マグカップ一杯分淹れて、荷台の端まで持ってきた。漁師の爺さんがのろのろ荷台へ上がって受取る。
葬儀屋のおっさんは、アマナの父ちゃんを洗い上げると、モーフの汗を流してくれた。
鎮花茶で少し落ち着いた爺さんが、手帳に書いたコトを読み上げる。
「船舶用無線機の会社には、部外者に顧客情報を漏らすワケにはゆかないと断られましたが、光福三号など、ネーニア島から来た漁船が何隻も、クレーヴェル湾やその少し沖合で操業するのは、知っていると教えてくれました」
「それは、いつ頃の話ですか?」
元取引先へ行ってきたアマナの父ちゃんが言うと、漁師の爺さんはすぐさま聞いた。
「数が多いので、時期まではハッキリ覚えていないと言われました」
「明日、港へ行ってみりゃいいじゃねぇか」
メドヴェージが言うと、漁師の爺さんは何故かしょんぼり頷いた。
「そうですね。漁業権、月々の支払いがいつまであったか、教えてもらえれば」
「少なくとも、クレーヴェルには居るようですから」
ラジオのおっちゃんが明るく声を掛けたが、爺さんの顔は晴れない。
南の空が、いつの間にか真っ暗になり、空に雨と晴れの境がくっきりできた。
夕飯の少し前、薬師のねーちゃんたちも戻った。
みんなから、光福三号の手掛かりを聞いて、震える声で礼を言ったが、ねーちゃんも浮かない顔だ。
明日は、移動放送局の車を南地区へ移動して、港で聞き込みすると決まった。




