2130.首都の商店街
二人は少し歩いて、元が喫茶店だったシャッターの前で立ち止まった。
漁師の爺さんが、一軒目のウハー鮮魚店で聞いた話を手帳に控える。ペンを握った爺さんの手は、少年兵モーフよりずっと速く動いて、たくさんの字を綴った。
モーフも、手提げ鞄からペンと手帳を取り出して、少し書いてみる。
こうじ。おっさんがクロとチャイロ。くびにタオル。
やね。あったりなかったり。
シャッターはメシやさん。
他に何を書けばいいか、字の書き方や綴りを思い出すのと、見たものを思い出すのが両立しない。
漁師の爺さんは、書き終わると溜息を吐いて歩きだした。モーフはペンと手帳を鞄に仕舞い、小走りで追いかける。
かなり歩いた気がしたが、まだまだ商店街の端は見えなかった。
両脇に店が続く道は、一応、歩道と車道に分けてあるが、自動車は一台も見当たらない。時々、工事現場をトラックやダンプカーが出入りするだけだ。
買物客は、工事車輌を避ける以外、歩道も車道も関係なく歩く。
葬儀屋のおっさんが言うには、開戦前の首都クレーヴェルは百万人くらい住んでいたらしい。
少年兵モーフには、百万と言う数字がどのくらいか、まだピンとこない。算数の勉強をしたおかげで、とにかく多いらしいのはわかるようになった。この商店街を見て、やっとうっすら実感が持てた。
車道は、二車線分くらいあるが、買物客は車道にも広がってぞろぞろ歩く。大勢があちこちに向かう様子は、草原が風で揺れるみたいだ。
人の流れは他の奴にぶつからないようにゆっくりで、店先に溜まる品定めの人垣が車道にはみ出すところもある。
東西に長い商店街で、南北道との接点には、持ち運びできる車止めが置いてあった。小さな看板が掛かるが、難しい単語ばかりで、モーフには時間の範囲しか読めない。
漁師の爺さんは、次のウハー鮮魚店へどんどん進む。
こんな所で迷子になったら、またみんなに迷惑を掛けて、ソルニャーク隊長に叱られる。
モーフは緑髪の人波を縫って駆け、地元民と同じ髪色の爺さんに追いついた。
……それにしても、みんなフツーに買物してンだな。
今の首都クレーヴェルは、クーデターを起こしたネミュス解放軍が支配する。
これまで通った街と同じで、解放軍の連中は特に悪いコトをするワケではない。店も客も落ち着いた様子で、日常が流れる。
昨日、調査した四人が言うには、物価が開戦前のゼルノー市よりうんと高いらしい。それでも、略奪やひったくりなどは、今のところ見かけなかった。
他の街と同じで、残った警察官が解放軍と手を組んで仕事を続けるのか、ネミュス解放軍が単独で自警団の活動をするのかわからない。だが、治安はよさそうに見えた。少なくとも、リストヴァー自治区東教区の商店街よりずっといい。
……ケーサツが仕事してるとしたら、給料、誰が払ってンだ? 解放軍?
小さな疑問が泡のように浮かんでは消えてゆく。
八百屋や果物屋も、さっきのウハー鮮魚店と同じで、早々に売切れて、陳列棚には「閉店」の木札が置いてある。シャッターを閉めないのは、魚屋のヒルアミとやらと同じで、今日中にまた入荷するからだろう。
服屋は、地下街チェルノクニージニクでコートを買ってもらった店のような出来合いの服を売る店はない。どの店も、ショーウインドウに見本の服と値段表があるだけだ。
靴屋の店先に並ぶ商品は少なく、空いた場所に何か書いた木札があるが、モーフの知らない単語が多くてわからない。
「あれ、なんて書いてあんの?」
「ん? あぁ、『受注生産承ります。材料はご持参下さい』だな。注文を受けて作るけど、材料はお客さんが用意して下さいってコトだよ」
「ふーん。でも、店の奴ってプロだよな?」
「まぁ、そうだね。靴を作る職人は、力なき民と【編む葦切】学派の魔法使い、両方居るよ」
「そうなんだ? でも、客に材料持って来いって、プロでも仕入れらんねぇのに素人の客が材料集めんの、ムリじゃねえ?」
モーフは、ランテルナ島でトラックを入れる【無尽袋】の素材集めをして、ソルニャーク隊長と薬師のねーちゃんが死にそうになったのを思い出した。
隊長は、魔法の剣で火の雄牛と戦ったが、モーフと一緒に二人を捜しに行った運び屋が【光の槍】の呪符で加勢しなかったら、危なかったかもしれない。
普通の靴はいいかもしれないが、魔法使いの職人に作ってもらうのは、客も命懸けだろう。
「普通の靴は、牛や羊の革でもいいし、魔法の刺繍糸も、外国に【跳躍】できる人なら、大丈夫じゃないかな?」
「あー、そっか。他所へ買いに行きゃいいのか。何で店の奴が行かねぇんだ?」
「土地勘があっても、今は作るのが忙し過ぎて仕入れに行けないんだと思うよ」
「あ、そっか」
あちこち土地勘のある魔法使いなら、魔法の素材でも、平和で物資が豊富な国へ行けば、安全に仕入れられる。
ラクリマリス王国とアミトスチグマ王国は、国連が勝手に決めた経済制裁に反対した。ネモラリス人相手に商売しても、お咎めなしだ。
それでも、経済制裁に賛成する科学文明国や両輪の国と取引がある店は、バレたら取引先にブチ切れられるから、ネモラリス人には売ってくれない。
だが、魔法関係の店は、そんなの関係ないから売ってくれる。
……ケーザイセーサイってイミねぇんじゃねぇの?
魔法の台所用品店、雑貨屋、鞄屋、帽子屋、手袋屋なども、店先に出した商品は少ないが、客が材料を持って行けば、注文に応じて作るとの木札や貼紙を出す。
外国のニュースでは、ネミュス解放軍を「クーデターを起こして民主主義を壊す武装勢力」と、悪者呼ばわりする。
モーフは、解放軍が幅を利かせる街を幾つも見てきたが、どこも、解放軍を迷惑がる奴は居なかった。
ネモラリス島北部の街や村で麻疹が流行った時、レーチカ臨時政府は地域を丸ごと見捨てたが、ネミュス解放軍はワクチンを掻き集めて医師団を派遣した。
……悪者は、見殺しにした奴らの方じゃねぇのか?
モーフは、ネミュス解放軍が支配する首都クレーヴェルの実際の様子と、外国のニュースに書かれた姿の差が、納得できなかった。
☆開戦前の首都クレーヴェルは百万人くらい……「659.広場での昼食」参照
☆またみんなに迷惑……前回「0974.行方不明の子」~「0976.議員への陳情」→「0980.申請方法調査」参照
☆警察官が解放軍と手を組んで仕事……「831.解放軍の兵士」~「833.支部長と交渉」参照
☆地下街チェルノクニージニクでコートを買ってもらった店……「532.出発の荷造り」参照
☆トラックを入れる【無尽袋】の素材集め……素材「0342.みんなの報告」「381.街へ往く二人」→「477.キノコの群落」~「479.千年茸の価値」参照
☆ネモラリス島北部の街や村で麻疹が流行った時
レーチカ臨時政府は地域を丸ごと見捨てた……「1090.行くなの理由」「1256.必要な嘘情報」「1474.軍医の苛立ち」参照
ネミュス解放軍はワクチンを掻き集めて医師団を派遣……「1211.懸念を伝える」「1212.動揺を鎮める」「1228.安全な場所は」「1286.接種状況報告」参照




